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世界一嫌いな女が義妹になった〜ひとつ屋根の下での共依存関係〜  作者: 宮野ひの


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第40話 海





「どうしたんだい。風香ちゃんが僕をカフェに誘うなんて珍しいね」


「はい。ちょっと茂雄さんと話したいことがあって……」


 次の日の土曜日。私は休みの茂雄さんに声をかけて、外に連れ出すことに成功した。

 リビングでは落ち着いて話せない。——だって麻樹がいるから。


 彼と腰を据えて、大事な話をしたかった。


 私が連れてきたカフェの名前は『Mary』。西洋風のオシャレな白い外観が印象的で、隠れ家風だからか人も少ない。店内の席は、仕切りがついていて、等間隔に離れている。込み入った話をするのにもうってつけだった。皮肉なことに、屋敷から教えてもらったカフェだった。


 茂雄さんはコーヒーを頼んだ。私もならって同じものを注文する。


 窓の外を見ると、男女のカップルが寄り添って歩いていた。彼女は彼氏の腕にそっと腕を絡めている。幸せそうで、羨ましいと思ってしまった。


 店員さんがコーヒーを運んでくるまで、茂雄さんとは当たり障りのない話をした。今日気づいたけど、彼は時折りこめかみをかく癖があることを知った。


 程なくして注文の品が届く。白いカップに口をつけると熱かった。すぐに苦みに包まれて、逆に気持ちが冴え渡る良いきっかけになったと思った。


「——茂雄さん、前に困ったことがあったら何でも話してほしい。問題は、僕たち家族で解決していこうって、言ったことありますよね」


「うん」


「実は、聞いて欲しいことがあるんです——」


 私は唾を飲んだ。


 今から話すことは、屋敷のこと。——屋敷の死因についてだった。


 麻樹が私の部屋で屋敷の首を絞めたこと。私が二人を止めるのが遅かったこと。


 ——そして、おそらく、その時の首締めが原因で、屋敷が亡くなったことについてだ。


 きっと私は心が不安定になっていたのかもしれない。どうして、お母さんからまずは相談しなかったのだろう。


 きっと誠実な大人の男性の意見を求めていたのだと思う。


「……それは本当の話?」


 茂雄さんは、すべての話を聞き終えた後、ぽつりと呟いた。


 私はすぐに頷いた。


「そうか。風香ちゃんが嘘をつくわけがないもんな……」


 茂雄さんはコーヒーを一口飲んだ。一点を集中して見つめている。


「……麻樹からも話を聞いておきたい。とはいえ、警察が何も言ってこない以上、こちらから動くつもりはない……」


 茂雄さんの目は鋭かった。


 まるで"話を聞きたくなかった"というような、怨念が込められているように感じた。


 いつもは温厚な彼なのに、その変化に私は驚いてしまった。


「あのね。風香ちゃん。麻樹が高校に行かなくなった話をしたことを覚えているかな?」


「はい……」


「ようやく元気に行き始めたんだ。一人娘が立ち直る姿は、それはもう勇気が貰えるもんだよ。……他に何もいらないと思うくらいに」


 日差しが強くなった。眩しくて思わず目を細めてしまった。


「……できることなら、このまま平和に暮らしたい。風香ちゃん。もうこの話はしないでくれないか」


「はい……」


 茂雄さんは、父親の顔をしていた。


 私は彼に真実を打ち明けて、何をしてもらうことを期待していたのだろうか。


 麻樹を一緒に更生させようとした?


 ——いいや違う。


 重苦しい気持ちを誰かに一緒に抱えて欲しかった? 


 ——これはちょっと、あるかもしれない。


 茂雄さんに馬鹿正直に話すことは、少なくとも、"できたての家族"に亀裂が入る行為でもあった。


 あっ。そっか。


 ——私は麻樹と離れたかったんだ。彼女を怖いと思ってしまったから。


 このまま二人でいたら駄目になる。そもそも首締めは私が始めてしまったことだった。


 誰に対しても、残虐的な気持ちは抱いたことはなかった。だけど、麻樹と家族になったことで、逃げ場がなくなった私は、彼女に牙を向いた。


 もしかしたら、この告白は、家族がバラバラになることを望んでいたゆえにしたことなのかもしれない。


 お母さんは茂雄さんと夫婦になってから幸せそうだった。毎日料理なんてしたことなかったのに、今は三食力を入れて作っていることがわかる。


 私は一人になりたかった。


 不登校だった時は、押し入れの中が自分の安全地帯になっていた。


 だけど、今は何もしなくても麻樹が隣に来る。部屋に鍵なんてない。私はもう、条件反射のように彼女を受け入れてしまっている。


 本当の意味で一人になりたかった。


 もう私には屋敷もいない。かけがえのない親友も失ってしまったのだ。


 私に何もないと思いかけた時、ふと田中先生の顔が浮かんだ。

 いつも上下白いジャージを着ている彼女と話すと、心が和らいだ。今思えば、憧れ以上の感情を持っていたのかもしれない。


 だけど、田中先生は結婚した。当たり前だけど私以上に大切な人がいる。その事実がすごく悲しかった。


 茂雄さんとは、コーヒーを飲んだ後、すぐに別れた。一緒に家に帰ることはしなかった。


 私は一人、街をフラフラと歩いた。すれ違う人、みんな幸せそうに見えた。羨ましい。


 頭にある靄を消そうとして、私は行き先も見ずに、電車に乗り込んだ。ぼーっと一人、座席にすわっていると、何も問題は起きていないように感じられた。


 窓から海が見えた瞬間、途中下車したいと強く思った。


 ホームに降り立った瞬間、潮っぽい香りが鼻を掠めた。同時に懐かしいとも思った。


 導かれるように、ただ真っ直ぐ、海がある方向へと向かった。


 砂浜には人が少なかった。だけど一人になりたい私には都合が良かった。

 噛み締めるように砂の上を歩くと、足がもつれそうになった。上手くいかない人生みたいに思えてきて、少し笑けた後、希望が持てた。


 地平線はどこまでも続いていた。このままずっと海を見ていたら、一つの答えに辿り着きそうな予感がした。


「あー」


 小さく声を出してみる。


 良かった。震えてはいなかった。


 潮風の冷たさに身を委ねながら、私は首に手を当ててみた。熱い。ドクンドクンと跳ねる脈を身体中で感じる。


 両方の手を首にかけて、少しだけ力を入れてみた。


 自分で加減できるから、怖さなんてまったく感じない。


 屋敷は、どんな気持ちだったのだろう。自分より大きな女に、生殺与奪の権を握られるのって、自尊心も崩れて、惨めだったのではないだろうか。


 一瞬だけ、強い力を入れてみた。苦しかったけど、屋敷の顔が浮かぶと、しばらく続けることができた。


 気持ち良い感覚が湧き上がってきた時、やっと正気になった。


 私はスマホを取り出して、麻樹に電話をかけた。


『風香? 今どこにいるの』


 麻樹はすぐに出てくれた。


「……あのさ、麻樹がこれから何か困ったことがあったらさ、すべて私のせいにしてくれていいからね」


『……えっ?』


 彼女は状況が理解できないといった調子で、戸惑いの声を漏らした。


 今はそれでいい。


「群青さんのことも、三石先生のことも。そして——屋敷のことも」


『んん……?』


「——その代わりにさ」


 "私のことずっと覚えていてね"


 なんて、やっぱり言えなくて、すぐに口を閉ざした。

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