第38話 切迫
「わー。麻樹ちゃん。久しぶりー!」
屋敷は私を触る手を引っ込めた。麻樹に向かって、愛想が良い笑顔を振りまいている。
「——何してるのって、聞いているの」
「……」
麻樹の声は低く、怖かった。眉間にシワを寄せて、腕組みをしている。
とてつもなく怒っているように見えた。
「か、関内をからかってたんだよー」
「そんな、二人でベッドに入って?」
「うん。寒かったしさー……」
「——今すぐ出て」
「ま、麻樹ちゃん、顔怖いよー」
「いいから、出て」
「はい……」
麻樹は、ぴくりとも笑わなかった。
陽気な屋敷でさえ、彼女の異変に気がついて、大人しく従っている。流れから私もベッドを出た。
麻樹に見下ろされながら、二人呆然と立ち尽くした。
「なんか卑猥な声が聞こえたんだけど」
「そ、それは……」
きっと私の声だろう。
くすぐられている時に情けない声が出ていた。
「あっ。……ウチのテクニックで関内良くなっちゃったんだよねー」
ちょっと、屋敷。本気!?
よくひどい顔をした麻樹に冗談を言うことができるね。
——その時だった。
「こいつ!!!」
「うっ……」
麻樹は屋敷に詰め寄り、勢いよく襟元を持った。ギュッと首がしまって、苦しそうだった。
「ま、麻樹!」
屋敷の顔がどんどんと青ざめていく。
「——離して! こちょこちょされただけだから!」
「——許せない。風香のベッドの隣は、わたしだけのものなのに」
麻樹は屋敷をさらに高く吊り上げた。
この場にいる誰よりも背が高い麻樹は、場に強い威圧感を与えていた。
「お願い、麻樹! 言うことを聞いて! 屋敷を離して」
「……」
麻樹は我に返ったようだった。屋敷の襟元からゆっくりと手を離した。
屋敷はたまらず床に座り込み、肩で大きく息を吐いた。
「はぁ……はぁ。はぁ……。ま、麻樹ちゃんって、ヤバいね」
首に手を当てて、自分の命の無事を確かめるようにしていた。
「はぁ……。はぁ。なんなの? か、関内のこと……好きなの?」
「……」
「ベッドの隣はわたしだけのもの? へぇ? ……もしかして、二人って、ヤってる? あはっ。関内って時たま、首に赤い跡つけてくることあるもんね……」
屋敷の顔が醜く歪んだ。
明るくひょうきんな彼女からは想像もできない表情だった。
私は思わず首元を触った。
——見抜かれていたんだ。
自分では、麻樹にキスマークを付けられたことに気付いていなかった。
……恥ずかしい。
「関内さ、めっちゃ気持ち悪いよ」
「……」
「麻樹ちゃんもさ、おかしいよ。二人って姉妹なんでしょ?」
屋敷は正論を突きつけるように、私たちに冷たい目を向けた。
——親友だと思っていたのに。いや、親友だからこそ、本音を話してくれているのだろう。
部屋の中の空気は乾燥していて、唇を動かすと、わずかにカサついた。
麻樹の目は赤く呪いのように充血していた。
「——風香、泣いてるの?」
「えっ」
気づいたら、目の淵から涙が溢れていた。悲しいわけではない。
むしろ場面の空気感に緊張しているからこそ出たものだった。
「——許せない。許せない」
「麻樹……」
言葉をかけようとした、一瞬のことだった。
「くっ……あっ……」
屋敷の首に手がかけられた。
麻樹の指が絡みつくように沈み込んでいく。
ゆっくりと、でも確かに、二人は交差した。
「——ちょっと!」
麻樹の手の甲には血管が浮き上がり、強い力が込められているのが一目でわかった。
屋敷は目を大きく見開きながら、彼女の手から必死に離れようと、もがいている。
——首絞めは、私と麻樹の間では何度も繰り返してきた行為だった。
けれど、屋敷の切迫した様子を見て、それがただの戯れに過ぎなかったことを知った。
人がこうも一瞬で変わってしまう様子は——美しいとさえ思った。
いつもふざけている屋敷が、生きたいという一念だけで、牙を向くように麻樹に食らいついている。
私が二人をすぐに止めなかった理由を聞かれると、多分、ずっと見ていたいからと答えるだろう。
屋敷の口から唾液が床にこぼれ落ちた。水たまりを作る様子を見て——我に返った。
「——麻樹、やめて! 屋敷、気を失っちゃうよ」
「……」
「麻樹!!!」
麻樹の手が緩まると、反動で屋敷は床にへばりついた。
ゲホゲホとむせ込んで、新鮮な空気を吸おうと、一生懸命に背中を震わせている。
「……はぁ。あっ……。いみ、わかん……ない」
体中に心臓があるかのように、屋敷はびくびくと激しく震えていた。
涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだった。
「こいつに殺される……はぁ……」
屋敷は立ち上がり、近くにあったカバンを掴むと、一目散に部屋を飛び出していった。
程なくして、バタンと1階から大きな音がした。
どうやら、帰ってしまったようだった。
「——風香、あいつに何されたの?」
麻樹は淡々としていた。
まるで首を絞めることには、慣れていると言った感じだった。
「だから、何もされてないよ」
「ねぇ。ベッドに他の子なんて入れないでよ」
一言喋るたびに、涙声になっていくのがわかった。
麻樹は、今日は本当によく表情が変わる。
「……ごめん」
「わたしだけにして」
「うん。軽率だった」
「あの子が風香の親友ってだけでもムカつくのに。うぅぅぅう……」
麻樹は、その場にうずくまった。
私は彼女が小さく見えてしまい、思わず背中を撫でた。




