第37話 じゃあ、もう一生離れられないね。
◇
「……風香。風香」
「な、なに……?」
目が覚めたら真っ暗な天井だった。横には心配そうな顔をした麻樹がいた。
「うなされていたよ」
「あっ……。嫌な夢、見てたんだ」
視界はまだぼんやりとしていた。
息が荒く、心臓だけがやけに速く打っていた。
私は、大きな化け物に追われていて、全速力で逃げていた。もう少しで飲み込まれるところだった。
「——って、なんで麻樹が隣にいるの?」
「わたしも怖い夢を見て、眠れなくてこっちに来たの」
「……」
気付かなかった。
でも、結果的に起こしてもらえたから良かったのかな。
ふぅ。
私はやっと、一息つくことができた。
ここのところ嫌な夢ばかり見ているような気がする。
もう毛布無しでは眠れない季節だというのに、朝起きた時に、まるで真夏のように、汗びっしょりかいていることがよくあった。
「——ねぇ。群青さんと三石先生ってさ、ここから元の生活に戻れることってあるのかな?」
多分、悪夢をよく見るようになったのは二人のことが原因だろう。
なし崩し的に、群青さんと三石先生の生活を壊してしまった。
心では平気なふりをしていても、身体は罪悪感に満ちていた。
「さぁ」
麻樹の答えはとても軽かった。
「さぁって」
「……未来は誰にもわからないよ。自分の人生の行く末もわからないのに」
「……確かにそうではあるんだけど」
彼女と話していてわかった。
私は、口先だけでも大丈夫と言って欲しかったのだ。
「——まぁ。無理かもね」
空気が変わる。
暗闇の中で光る灯りがゆらゆらと揺れていた。
「——でも、それだと風香とわたしが人生を立て直すことも無理だという証明になっちゃうけど……」
私はじっと、部屋の隅にあるエアコンを見ていた。
身体は暑いくらいなのに、やけに手足が冷たい。
麻樹の瞳は星のように綺麗だった。
「——だから、無理じゃないよ。きっと」
彼女は優しく締めくくるように言った。
外では小さな風が吹いていた。
「——私、知らなかった」
「何が?」
「……傷つけられた側が辛いのは当然だけど、傷つけた側も、悪夢を見るくらいに引きずることがあるんだね」
「……うん。そうなんだよね」
麻樹は目を閉じていた。淡々とした口調だったけど、語尾にはわずかに力がこもっていた。
「今度はさ、わたし達が重い罪を抱えて生きていかないといけないんだよ。二人の人生を壊しちゃったから……」
彼女は恐ろしいことを言った。
的外れでもないだけに、重いものが胸にのしかかった。
「放棄することはできないの?」
「できないよ。まぁ。不可能じゃないけど、薄っぺらい人生になるかもしれないね」
息が苦しくなる。だけど気持ちが良いのも事実だった。
きっと、麻樹と二人で責任の重さを感じているからだった。
「あっ。でも、一つ抜け道はあるよ」
「何? 教えて」
「……ミツセンとリリアに、あの炎上がわたしの仕掛けだと気付かせること」
「……それは」
どうなんだろう。
「そうなると、恨みはわたしに向くだろうね。今度は、仕返しを受ける側になるのかも」
「……本当に復讐って何も生まないね」
「熱い心、以外はね」
もう私たちは取り返しのつかないところまで来ているのだろうか。
逃げ出したい気持ちはあった。でも、その先に幸せがあるとは思えなかった。
「私達は共犯者ということになるのかな?」
「……うん。そうなるのかな」
麻樹がぽつりと言った。
「じゃあ、もう一生離れられないね。お互いがお互いのことを見ていないといけないから……」
私は彼女の頬にそっと触れた。温もりが伝わってきて、ホッとした。
「ふーん。自責の念に駆られた時はどうするの?」
「そういう時は……」
私は麻樹を押し倒した。両手を掴んで、逃げられないようにする。
身体を重ね合わせる——という言葉は恥ずかしくて口にはできなかった。だから、行動で示した。
麻樹の唇に触れると、不安はすっと消えていった。次第に、部屋には高い声が響き始めた。
彼女の口を押さえると、さらに身をよじり、気持ちよさそうにする。
悩みは刺激で塗り替える。平坦な関係ではない私たちには、お似合いの行為のように思えた。
◇
「いやー。関内の家に来たの、引っ越し初日ぶりだわ〜。お邪魔しまーす!」
「ゆっくりしていってね。お茶持っていくから、先に2階の一番奥の部屋に行ってて」
「へーい! お構いなく」
春の訪れを待ち焦がれる季節。屋敷が私の家に来た。
本当は放課後にカフェへ行く予定だったが、屋敷が金欠だったため、急遽、私の家に行くことになった。
キッチンで烏龍茶を注ぎ、棚からチョコチップクッキーの箱を出した。おぼんに乗せて、急いで部屋まで行く。
「ちょっと、何してるのー!」
「へっ? 座るところなかったからさ〜。駄目だった?」
屋敷は私のベッドの上にいて、ちゃっかり掛け布団をめくり、その中に潜り込んでいた。
「……別にいいけどさ。はい、これ。飲み物とお菓子」
「ありがとうー。もうちょっと関内の温もりを堪能したら食べるねー」
「……その温かさって絶対、自分の熱でしょ」
彼女は気ままな猫のようだった。
私はおぼんをテーブルの上に置き、机の前にある椅子に座った。
学校と同じように、屋敷とは世間話をしながら過ごした。
彼女と一緒にいると、普通の女子高生になれた気がして、気持ちが楽だった。
「なんか、眠くなってきちゃったなぁ」
私は昨日も麻樹と一緒に寝て——その……夜更かしをした。
最近、寝不足気味なのは自覚していた。
「ありゃりゃ。じゃあ、関内隣来たら?」
「……屋敷、出てよー」
「やだー。ここ居心地いいんだもん」
彼女は掛け布団をギュッと握り、離そうとしなかった。
……仕方ないなぁ。
私は狭いシングルベッドに割り込んだ。屋敷と二人並ぶと、やっぱりぎゅうぎゅうだった。
「へー。関内が一緒にベッド入ってくれるとは思わなかったよー」
「……」
最近は隣に麻樹がいるのが当たり前になっていたから、私の中では、ごく自然なことだった。
……普通は、友達とベッドに入ることってしないのかな?
私には世間の一般常識がわからなかった。
「えい」
「きゃっ」
ぼーっとしていたら、屋敷が私の脇腹をつついた。不意打ちだったから変な声が出た。
「……おー。関内、そんなかわいらしい声も出せるんじゃん。うりゃうりゃ」
「……んっ。ふぅ。やめ……てよ!」
彼女は調子に乗って、こちょこちょをしてきた。優しく撫でたり、かと言えば、強く触ったり、予想外の動きをしてくるから、変な声が漏れっぱなしだ。
「ひゃぁ……はぁ……んっ」
「"風香"かわいいよ……」
「ちょっ。なんで下の名前……あっ」
「いいじゃんかぁ。なんか女同士なのに、ドキッとくるわぁ……」
「——ねぇ。何してるの?」
——ビクッ。
声の主を見ると、麻樹だった。私たちのすぐ側に、彼女が仁王立ちで立っていた。
……いつのまにか学校から帰ってきたようだった。
ノックもなかったため、ドアが開いていることにすら気づかなかった。




