第32話 図書館
◇
こんなはずじゃなかったのに。もう二人きりじゃないのに。
——それからというと麻樹とは、タカが外れたように求め合うような関係になってしまった。
決まってするのは私の部屋。
たまに、麻樹の部屋でする時もあるけど……なんか主導権を握られているようで好きじゃなかった。
私がいつも寝ているベッドで彼女を好きにできる時、否応なく興奮してしまう自分に気づいた。
麻樹は私を好きだと言ってくれた。こんなに酷いことをしても、まだ好意を持ってくれるのだろうか。
少し不安になっても、彼女の潤んだ瞳と、紅潮した頬を見ると安心することができた。
だけど、夜は茂雄さんとお母さんがいるから何もできない。
もどかしいけど、それは爛れた生活を正してくれる一種の規律のようだった。
——しかし、家族4人で夕ご飯を食べている時に、麻樹はこんなことを言った。
「あのね、最近悪夢を見ることがあるんだ……。子どもみたいで恥ずかしいんだけど、怖い時とか、風香の部屋に行ってもいい?」
「麻樹は怖がりだなー。風香ちゃんごめんね。迷惑だったら、断っていいからね」
茂雄さんは口にご飯粒をつけて笑った。
「いえ、別に私は大丈夫です……けど……」
「あらあら。麻樹ちゃん。遠慮しないで! いつでも風香に頼ってくれていいんだからね〜」
お母さんが呑気そうに言う。
麻樹の口元が緩んだように見えた。
側から見れば、何気ない会話だ。だけど、私は意味深に捉えることしかできなかった。
麻樹の提案をきっかけに、夜に私の部屋へ来ることが、半ば公認のものとなった。
二人を隔てる壁は何もないように——思えた。
◇
「関内ー。そろそろ引っ越してから、3ヶ月は経つじゃん?」
めっきり寒くなって、雪でも降ってくるかと思った。
私の前の席に座っている、屋敷はくるりと振り向き、談笑に講じてきた。
「あれ。もうそんなだっけ?」
私よりも、屋敷のほうがよく覚えている。
それがなんだか不思議で、少しおかしかった。
「——んで、どう。麻樹ちゃんとは?」
「……まぁ。ぼちぼちかな」
「なんだよそれー。でも仲良さそうで良かった。関内、自分のことあまり喋らないからさー。安心したよー」
彼女は、紺色のセーターを萌え袖にして、にゃははと笑った。
屋敷はずっと義理の妹との仲について、心配していてくれたのだ。
「ありがとう」
お礼を言って気付いた。
私は屋敷のことが好きだ。だけど、叩いたり噛み付いたりしたいとは、まったく思わない。
むしろ、何気ない話をして、これからも健全な友人関係を築きたいと思っている。
——だけど、麻樹のことはどうだろう。
最近では、裸で抱き合っている時間の方が多くなったように思う。
愛しい気持ちが込み上げてくるのと同時に、憎らしさも湧き上がってくる。
"私たちは、セックスなんてしていない"と言っていたのが、まるで遠い日のように感じた。
「——ねぇ。屋敷に聞きたいことがあるんだけど」
「おー。どったの?」
「人を叩きたいと思ったことある?」
ガタタッ。
彼女は座っている椅子を引き、私から距離を取った。
や、やばい。ドン引きされたかもしれない。
「……ふぅ。ウチへの宣戦布告ではない……? 関内…………なんかあったの?」
だけど、屋敷は私と再度向き直ってくれた。逃げも隠れもしなかった。
彼女なりに明るい雰囲気にしてくれているのだろう。ありがたかった。
「な、何もないよ! ……で、どう?」
私もめげなかった。
「そうだなぁ。うーん」
屋敷は首を傾げて、真剣に考えてくれていた。
……。
この調子だと、無いと言われるのがオチかなぁ。
「ある……かな」
返ってきた答えは、意外なものだった。
「弟がウチをおしりぺんぺんでバカにしてきた時は、こんにゃろーって一発、殴りたくなったしねっ」
「な、なるほど」
彼女の言葉は物騒だったけど、いいお姉さんの顔をしていた。
私は一人っ子だからか、肉親に向ける暴力性がわからなかった。
「あっ。関内はさー。麻樹ちゃんのこと、叩きたいと思ったんしょー!」
「えっ」
ドキッと心臓が跳ねた。
「顔に書いてあるよ」
「……」
図星だった。
自分から話を振ったからかもしれないけど、屋敷に心を読まれているのは、なんとも居心地が悪かった。
「——なんかあったの? 本当に」
彼女は私に無垢な瞳を向けた。
「な、何もないって」
しかし、すぐに思い直す。
屋敷には言ってもいいんじゃないかな……親友なんだし。
私は覚悟を決めた。
「——でも、ここだけの話。麻樹はさ、中学が一緒で、絶交した相手なんだよね」
ぽつりぽつり話していくことに決めた。
「それは殴りたくなるのも、無理はないかもねー」
屋敷はあっさりと受け流す。
……そ、そういうものなのかな?
うーん。
でも、その軽い口調を聞き、彼女は私の味方をしているようで、誰の味方もしていないようにも思えてしまった。
「一発、叩いたら見える世界が違うかもよ!」
「実は……その……」
「えっ。……したの?」
「うん……叩いた」
「わー。関内、刺激的!」
「——でも合意の上でだよ」
私は往生際が悪かった。
「うははっ。そんな拳をウェルカムに受け止められることってあるんだ?」
「……」
「ウチにはわからん世界だー。関内と麻樹ちゃんの関係、面白すぎる!」
屋敷は前のめりになって、腹を抱えて笑った。
「……でもさー。そういう暴力的な行動って、心の奥にストレスを抱えてるって、よく言うよねー」
「そうなの?」
「なんか、前見た本に書いてあった気がするー」
「屋敷、本とか読むんだ」
「ひど! 読むよー。人は見かけによらないんだよー。ウチだって、いろいろあるんだよー」
屋敷に睨まれてしまった。
これは失敬。
「ごめん」
「いや、別にいいけどー? んで、根本的な悩みやイライラがなくならない限り、手を出すことはやめられないみたいだよー!」
屋敷は、ふんぞり返って言った。
「……まぁ。ウチは痛いのは嫌いだから、叩いたりしないでねん♪」
「りょーかい」
女子高生らしからぬ会話だった。
私たちは、しばしの間、見つめ合う。
屋敷はその後、シーシャの話をしたり、道に落ちているBB弾の話をしたりした。
どうやら私の相談話には、引いていないようだった。ホッと安心する。
屋敷は、いつもあっけらかんとしている。生まれ変わったら、こういう性格になってみたいものだ。
……でも、私の知らない一面もあったりするのだろうか。
……。
それにしても、屋敷の言葉が妙に引っかかった。
麻樹に酷いことをしてしまうのは、ストレスによるものだということだった。
それなら中学のことが原因だろう。身に覚えがあるからこそ、上手く解消したい。
そっか。本かぁ。
私も読んでみるかなぁ。
その日の放課後。私は、学校の近くにある図書館に行ってみた。周りには木々がたくさんあり、館内も広々としている。
そもそも中学時代のトラウマのせいで、学校の"図書室"には長らく足が向かなかった。
そのことに気づいたのも、過去を振り返る上で、いいヒントになりそうだと思った。
図書館は思ったよりも空いていた。テーブルでは、数人の学生が勉強していた。
ひとまず心理学の本でも手に取ろうと思い、その類の本が並ぶ棚の周辺をゆっくりと見て回った。
きれいな本が多いから、最近リニューアルしたのだろう。
あくびが出るのを噛み殺しながら、人の気配を感じて、窓の外を見た。
「えっ」
驚くと、あくびが自動的に止まることを知った。
目が点になる。
——なんとそこには、群青リリアがいたからだ。




