第25話 停電
「何? いいけど」
私は彼女の答えを聞く前に、すでに受け入れていた。
「わたしね、少し前まで、めちゃくちゃ太ってたの」
私の手を取ると、麻樹は自分のパジャマの下に手を持っていった。
ピタッと触れた先は、お腹だった。
「わっ……」
柔らかな人肌の感触が伝わってきた。触れると、皮のようなものが上下に揺れて、言っていいのかわからないけど気持ちが良かった。
「20kgは太ってたかな。今よりもまんまるですごかったよ」
「そうだったんだ。知らなかった」
麻樹がジャージをハサミで切った日、一度、彼女の肌を見たことがあった。
タンクトップとパンツは身につけていたけど。
それでもシルエットは綺麗なままだったから、かつて太っていたとは思えなかった。
「ねぇ。お腹、見ていい?」
私は何故そんなことを言ってしまったのだろう。
定義するなら、やっぱり好奇心なのかな。
一瞬だけ、時が止まったような気がした。
これはまずいかな。
「嫌だったら見ないから」
「——見てほしいかも」
麻樹は私から離れて、そっとパジャマを上までめくった。
彼女の肌は白くてきれいだった。
そんな感想を口にした方がいいかなと思ったけど、一瞬、間ができたら、もう言葉にはできなかった。
お腹の皮の部分をつまんだり、離したりしてみる。
ふと麻樹の顔を見ると真っ赤だった。
「——そこ、くすぐったいかも」
「——ごめん」
気まずさを誤魔化すように、私は一つ咳払いをした。
「……初めて、人に痩せた後のお腹を見せたかも」
麻樹は伏し目がちに言った。
「そうなの?」
「うん。やっぱり、コンプレックスだから」
彼女は深いため息をついた。本当に気にしているようだった。
そんな変に思わなくてもいいのに。むしろ、「めっちゃ痩せたよー」って感じで、誇らしげに友達に見せてもいいくらいなのに。
「——きれいなのにね」
……あっ。やっと言えた。
「き、きれい!? 本当っ!?」
麻樹が身を乗り出してくる。
瞳には眩しい光が宿っていた。とても嬉しそうだった。
「……うん」
「ありがとうぅ……」
何気なく思ったことだったのに。
彼女に伝えたら、こんなにも喜んでくれた。
——そっか。気持ちって思っているだけじゃ伝わらないんだ。
そういえば、中学の頃、麻樹に「頭いい」と言われたことがあった。悔しいのに、ふと思い出すと、やっぱり嬉しくなった。
彼女は昂った気持ちが収まった後、こてんとベッドに横になった。
「——わたし、この前まで学校に行ってなかったんだよね」
麻樹は大の字になって、告白をした。
「……」
既に、茂雄さんに聞いていたから知っていたことだった。
しかし、黙ったまま、彼女の話に耳を傾けた。
「高校が楽しくなかったんだよね。不満があったわけじゃないんだけど。一度、風邪で学校を休んだら、次の日から行けなくなった。笑えるよね」
「……笑わないよ」
「……風香は優しいね」
麻樹は掛け布団の中に潜った。
口元まで引き上げて、目だけで私と会話する。
「ねぇ。バカみたいなこと言っていい?」
彼女は、ゆっくりとまばたきをした。
「いいよ。何?」
「——誉山高校に、風香と一緒に通いたかったから、行けなくなっちゃったんだと思う」
私の喉がくっと鳴った。
「今もね、風香が夢に頻繁に出てくるもん。そこでは、一緒にお弁当を食べたり、プリクラを撮りに行ったり、仲が良いんだぁ」
麻樹がギュッと目をつぶった。
怯えているような表情に見えた。
「——風香に許されたかった」
彼女は泣くことも、笑うこともしなかった。
まるで何かに祈るように、ただじっとしていた。
私のことなんて、とっくに忘れていると思っていた。
新たな生活に夢中になって、過去を振り返る余裕すらもないと思っていた。
——私も未だに麻樹が夢に出てくることがある。
内容はプリクラを一緒に撮るとか、そんな良いものじゃない。
彼女を叩いたり、首を絞めたりと、とてもじゃないけど、口にはできない内容だ……。
もしかして、潜在意識に麻樹に憎しみを感じているから、そんな野蛮な夢を見るのだろうか。
「わっ」
——その時だった。
急に、室内が暗くなった。目の前が何も見えなくなった。
停電?
手を伸ばすと、彼女に触れた。一人じゃない感覚にホッと安心できた。
それにしても、同じ家にいるお母さんと茂雄さんが焦る様子はなかった。
なぜだろうと思ったら、もう既に寝ている可能性に気付いた。
「風香、風香……」
麻樹が、か細い声を出した。
吐息が漏れて、まるで、とても怖がっているように見えた。
「ここにいるよ」
私は彼女の手を取った。
生暖かく、湿っぽい感触がした。
「風香、ごめんなさい……」
「……」
「本当にごめんなさい……」
先ほどまでの落ち着いていた彼女とは違った。
暗闇がそうさせるのか。
麻樹の不安が、触れ合った部分から微かに伝わってきた。
私は、もう良いよとも、大丈夫とも口にはしなかった。
いや、できなかった。
「わたしね、もう一度……風香に会いたかったの……」
透き通るような声だった。掛け布団が擦れる音も耳に届く。
「——でも、難しかった。手紙を書いても、家に行っても、迷惑かなって思うと何もできなかった。それに、風香と会ったところで、わたしは何も力になれないと、わかっていたから」
——中学時代、麻樹と図書室でキスしたことで、学校中から孤立した記憶がよみがえった。
確かに、彼女に会ったところで、何にもならず、さらに関係が拗れていただろうと思う。
私が言うのもなんだけど、麻樹が力になれることなんて、何もなかった。
「……そもそもわたしと風香は他人だし。家族以上に何かできるとは思えなかったの……」
そうなのだ。
私が学校にも行かず家に引きこもっていた時、お母さんだけが社会との唯一のつながりだった。
仕事で忙しいはずなのに、毎回ご飯を作ってくれて、生活が回るように懸命に支えてくれていた。
きっと大変だったと思う。
「——だからね、家族になりたかったの」
「家族?」
「うん。それだったら、何も理由がなくても風香に会えると思ったから」
「……」
私は言葉に詰まった。
「同じクラスにリリアって子いたでしょ? 仲良かったけど、高校で離れてからは、一度も会っていないんだ」
群青さんの顔が思い浮かんだ。
オシャレで垢抜けていて、クラスでも一番目立っていた。
「——普通の友情ですら、きっかけがないと会うのって難しいんだって、つくづく思ったよ」
そうなんだ。
でも今は、群青さんの話なんて聞きたくなかった。
「——ねぇ。麻樹が、お母さんと茂雄さんを引き合わせたって本当?」
ずっと気になっていたことだった。
話題を変えるために言ったことだけど、麻樹の動きが止まったのがわかった。
暗闇の中から、微かな息遣いが聞こえてくる。
「——うん。そうだよ」
あっ。認めた。
麻樹は素直だった。




