第24話 わたしも風香の心臓の音、確かめていい?
へっ。い、いいの?
……。
今更断るのも、麻樹に悪い気がした。
何より恥をかかせたくない。
彼女が覚悟を決めたなら、私も腹を括ろう。
ごくりと、思わず唾を飲んだ。
私は麻樹の左胸におそるおそる手を伸ばした。
「んっ……」
触れた瞬間、彼女は微かに吐息を漏らした。
ドキッとするほど可愛い声だった。背中がくすぐったくなる。
麻樹の心臓は速かった。嘘なんてついていなかった。
確かに、緊張しているのはわかるけど——。
前に触った時と、サイズ感が全然違う。今は大きく柔らかくて——。
変なことを考えそうになった。
私は、ぶんぶんと頭を振る。
「た、確かに、速いね」
一言感想を言って、胸から手を離そうとした。
「わっ」
——そしたら、彼女に手首を掴まれてしまった。
しばし、私たちは見つめ合った。
「ごめん。つい。——って、風香の許可なく触っちゃったね」
「……別にいいよ。私の方から手、出したし」
たまらず目を逸らした。
「……それ、おあいこってやつ?」
麻樹は意味深に言う。
「そうなるかもね……」
無難な相槌を打った。
すると彼女は、握っていた私の手をパッと離した。
急に自由になったことに戸惑っていると、すかさず麻樹は体を起こした。
「おあいこならさ、わたしも風香の心臓の音、確かめていい?」
「ええっ」
「——だって、普通の人の心音の速さってわからないんだもん。きっと風香は平常心のはずだから……。この際、ノーマルな人の心臓の音、聞いてみたいな」
「……」
「ねぇ、駄目?」
うん。駄目——とは言えなかった。
それは、私が先に麻樹の心臓の音を確かめたからだ。
先に胸を触ったのに、私の方は駄目というのは、おかしな話だと思った。
「……いいよ」
「ありがとう!」
麻樹はそう言うと、すぐに私の胸を触った。
ひゃっ。と心で声が出た。
急すぎて、びっくりした。
普通、「じゃあ、早速いい?」みたいな、やり取りをすると思ったから。
だからかな——。
「なーんだ、風香も結構、速いじゃん」
「……」
——いつもよりも心臓の音が速くなってしまったのは。
……人は予期せぬことには弱いものだ。
「そ、そう? 別に普通じゃない」
「——意地っ張り」
「……何が言いたいのよ」
「うーん。素直じゃないなぁと思って」
「……誰のせいだと思ってるのよ」
「わたしのせい?」
「……」
気まずくて、目を逸らした。
「——やっぱりわたしのせいなんだ。いいよ。風香だったら。すべて何もかも、わたしのせいにしても」
麻樹はゆっくりと言った。どこか含みを感じてしまう。
「——いいの? そんな無責任なこと言っても」
だから、私は念を押す。
「うん。風香だったらいいよ」
麻樹は優しく微笑み、そう言った。
何気ない会話のはずなのに、彼女は私のすべてを受け止めてくれたように感じた。
何故か、泣きたい気持ちになってしまった。
「……そろそろ胸から手、離してよ」
悟られないように、そっけない態度で返した。
麻樹が素直に手を引くと、私たちの間にはまた壁ができてしまう。
「——ねぇ。そんなこと言うなら、学校に行かなくなったのも、麻樹のせいにしていいってこと?」
静寂を破ったのは私だった。
きっと彼女に甘えている。そんなことは、とっくにわかっている。
だけど、止められなかった。
「——いいよ。人生の上手くいかないこと、すべてわたしのせいにしたらいい」
気持ちは——スッキリしなかった。むしろ、モヤモヤとしたわだかまりが残った。
当たり前だ。
自分が責任を取らなくてはいけないことを、人のせいにしているんだから。
「えっ。風香、泣いてるの?」
「こっち見ないで……」
気付けば、頬に涙が伝っていた。
そのまま目を開けて乾かそうとしても上手くいかない。
溜まった涙は、重力に引かれるまま下へと溢れていった。
「——そんなわけにはいかないよ。よしよし」
「ちょっと、離して」
麻樹は私を優しく抱きしめた。背中に手を回して、ギュッと、ベッドの上で。
似たパジャマを着ているのに、同じ香りにはならない。
中学時代にも、嗅いだことがある匂いが鼻をついた。
——悔しいのに安心感があった。
手を伸ばすと麻樹の胸に当たった。押してみるけどびくともしない。
「もう嫌だ。もう……」
部屋には私の声だけが広がった。
もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。自分が何をしたいのかわからない。
麻樹に弱音を吐いている状況も、抱き締められていることにも腹が立つ。
——なのに、心から嫌だと思えていない自分に、一番腹が立った。
「風香、何が嫌なの?」
彼女は私の言葉を素直に受け止めた。
話題を変えるでもなく、小手先の励ましの言葉をかけるでもない。
純粋な質問を投げかけた。
「こんな、自分が嫌だ……」
本音を話したら、硬くなった心が解けていくような感覚がした。
言葉にしてみて気付く。
私は自分と向き合うのが怖かったんだ。
過去の嫌なことも、誰かのせいにすることで、自分というちっぽけな存在を保っていたんだ。
確かに麻樹が原因で、学校に行かなくなったと言えるだろう。
だけど、最後にそんな選択を取ったのは自分自身だ。開き直って、学校に通い続けることだってできただろう。それがどう転ぶかはわからなかったけど。
——全部、私が決めたことだったんだ。
「……わ、私の情けないところを……見ないでほしい」
支離滅裂だ。
やっと自分と向き合えたというのに、目の前には麻樹がいた。
誉山高校に一緒に入りたくて、切磋琢磨してきた、かつての親友。
今、ぼろぼろに泣いている状況は、やっぱり見られたくはないものだった。
「風香が言うなら見ない。でも、感じ取らせてほしい」
彼女はそう言うと、さらに深く私を抱き締めた。
二人の間にあった大きな壁は透明になった。
まるで一つになれたような錯覚に、意識がぼんやりとしていった。
私も麻樹に応えるように、背中に腕を回した。そして、少しだけ引き寄せた。
彼女の髪の毛が口の中に入った。不快感があるのに嫌じゃない。
一度だけ強く噛んだ後、すぐに口から出した。
部屋には、私の情けない嗚咽が漏れる音がした。
麻樹はもう何も言わなかった。私が動いた時には、優しく受け入れて、すべてを包んでくれた。
速かった脈も、彼女に共鳴するように同じ心臓の音を奏でていた。
どれだけそうしていただろう。
家の中には、お母さんと茂雄さんもいるはずなのに、ちっとも気配を感じない。
それだけ、大きな家に越してきたという証でもあった。
「——ねぇ。これわかる? 風香に触ってほしい」
しばらく二人で抱き合っていると、麻樹がぽつりと言い出した。どんな表情をしているのかはわからなかった。




