第21話 肩を並べて
気を取り直して、ちらし寿司の中に入っている大きな海老を食べた。プリッとしていて美味しい。
うん。味を堪能できる余裕は、まだ自分の中にあるみたいだ。
……。
——約束通り、昨日と同じ10時に、麻樹は私の部屋に来た。
相変わらず枕を同伴させている。昨日と違うところといえば、私があげたパジャマを最初から着ていることだった。
笑顔のワニが憎らしい。あらためて見ると、お揃いで着ているみたいで恥ずかしかった。
「……先に、ベッドに入っちゃってるんだ」
「悪い?」
私は掛け布団を口元まで持ち上げた。
今日は、椅子に座っていることなく、先にベッドで横になっていた。
「ううん。風香の部屋にあるベッドだから、風香が自由に使う権利はあるしね」
麻樹は部屋のドアを閉めた後、キョロキョロと辺りを見渡した。
「椅子に座っていいよ」
「……ありがとう」
麻樹はお礼を言うと、机の前に置いてある椅子を引いて座った。背もたれに体重をかけると、キィィという音が鳴った。その後は、静寂。
——昨日と比べてみると、居場所が反対だ。
先にベッドに入っていた方が恥ずかしくはない……気がする。
受け身だけど、主導権を握っているみたいな感じ?
だけど、椅子に座る彼女の目線が高くて落ち着かなかった。なんだか見下げられている感じがする。
私は一度、目をギュッとつぶった。まるで獲物にされたヌーの気分だった。
「……このパジャマ着心地いいね」
麻樹が袖を持って、私に見せてくれた。
「あぁ。うん。ツルツルした素材だから気持ちいいよね。寝返り打っても痛くないし……。昨日より、今日の方がぐっすり眠れるかもよ?」
「うん。ありがとう。大切にするね」
彼女はキラキラした目で袖から裾まで、噛み締めるように見た。
しまいには、またパジャマに頬擦りをして、大切なものを抱きしめるみたいに甘々だった。
……なんだか、私がハグされているみたいな気分になった。
「でも、眠れるかなぁ」
「どういうこと? 昨日、スースー寝てたじゃん」
「うん。最初の方はね。わたし、途中で起きちゃったんだ。風香わからなかったでしょ?」
確かに早起きしていて、私をじっと見ているくらいだもん。
目が冴えてしまったのだろう。
「家が変わったからじゃない?」
ありふれたことを口にしたからかな。
「——天然だね。隣に、風香がいたからだよ」
釘を刺されるようなことを言われてしまった。
「……ドキドキしてさ、眠れるわけないじゃん」
その言葉に、私の心臓がまた速くなる。
「あ……あぁ。麻樹は隣に人がいたら眠れないタイプなの?」
柄にもなく動揺してしまう。
「意地悪……。そういうわけじゃないんだけど……。現に、前の家でパパと布団を並べて寝ても、ぐっすり眠れたし……」
「そ、そうなんだ。じゃあ、ほら……何年も会っていない相手だからじゃない? 絶交までしていたわけだし……」
自分でも何を言っているか、わからなくなった。
「……はぁ。もういい」
どうやら麻樹を失望させたみたいだった。
彼女は机に頬杖をついて、時計に目を向けていた。
「——風香ってさ、賢いのに変に鈍いところあるよね。昨日だって、わたし達が仲良くなったきっかけを覚えていなかったし」
屋敷が帰った後の、いざこざが頭に浮かんだ。
私は一つため息をついた。
「……悪かったね。でも、それについては、本当に思い出せないんだからしょうがないじゃん」
中学の頃の記憶は、大体が薄ぼんやりとしている。
きっと忘れてしまいたい記憶だからなのだろう。
「……国語の授業でさ、環境問題について感想文書くことがあったじゃん?」
「……うん」
確かに言われてみれば、そんなことあった気がする。
「わたし、地球温暖化の"だん"を談笑の"だん"にしちゃって、"地球温談化"って書いたことがあったの」
「あっ……」
記憶が少しずつ蘇ってきた。
まるで教室のざわめきが間近で聞こえてくるかのようだった。
「そのままプリントを提出したらさ、壁に貼られた時に、クラスメートに笑われちゃうところだった……。だけど、風香が教えてくれたから。だから、あの時は、本当に助かったの」
麻樹がほんのりと赤い頬をして俯いた。
なんで今まで忘れていたんだろう。
あの時の、彼女の笑った顔が可愛かったのを覚えている。
「——それからもさ、わたしとトイレに行くと、いつもハンカチを先に渡して、使わせてくれたじゃん? あー、この子、いい子だなって思ったの」
むず痒い気持ちになった。
無意識にしたことだった。だけど麻樹からしたら、良い思い出になっていたんだ。
「——風香は、冗談とかも言ったりしない子だしさ……。だから、急に"Dキスって知ってる?"って言われた時は驚いたよ」
……うわっ!
完全に、私の黒歴史だった。
今、言葉にして振り返られると、本当に本当に恥ずかしい。
頬が熱くなってくるのを感じて、掛け布団で顔を覆った。
私は断固として無言を貫いた。
「……そのまま、しちゃったもんね。まぁ。いい経験になったけどね。あれから、わたし達の関係はガラッと変わっちゃったよね」
あんなに嫌だった中学時代。
麻樹から淡々と語られると、予想以上に、すんなり受け止められている自分に気付き驚いた。
私は掛け布団から顔を出す。
「——タイムマシンがあったらいいのに」
……だけど、人間の感情は複雑なもので。
「えっ?」
「あの頃に戻ったら、絶対、麻樹とキスなんてしなかった」
まだ、完全に割り切ることはできなかった。
言ってから気付いた。私は子どもだ。これは八つ当たりだ。
自分が辛かった過去の気持ちを、今となって麻樹にも無理やり共有させようとしている。困らせたいと思っている。
こんな義理の姉。誰だって嫌だろう。
「——そしたら、わたし達はどうなっていたかな?」
麻樹は予想に反して、無邪気に質問をした。
悪態をついたり、わざとらしい共感をしてくれなくて良かった。
話を淡々と続けてくれるところに好感が持てた。
「……キスしなかったら、絶交することなく、友達のままでいられたんじゃないかな」
だから、私も誠意を持って答えた。
「……そうかもね。中学生活も、当たり障りなく過ごしたかもね」
一呼吸を置いて、彼女は続けた。
「——風香がキスしてくれたから、嬉しかったり傷ついたりして、人生を二倍生きているみたいに感じられたんだ。わたし」
「……」
麻樹の言葉をゆっくりと噛み砕く。
彼女はキスについて、肯定的に捉えているということだろうか。
「ねぇ。ゲームしない?」
私が長い間、黙っていたら痺れを切らしたように麻樹が声をかけた。
「どんな?」
彼女は、よからぬことを考えているのだろうか。
私は唾を飲み込んだ。
「……んっ? ほら、パパが買ってきたやつがあったじゃん。風香、まだ眠くないでしょ?」
「あっ。そういうことか」
何かを賭けてゲームをするのかと思った。
「どういうことだと思ったの?」
「……」
私の頭の中には、"風香からキスしてくれたら教えてあげる"と、昨夜言っていた麻樹の色っぽい顔が浮かんだ。
頭を振ってすぐに消し去る。
「……風香、わたしとゲームするの嫌なんでしょ」
彼女も勘違いしていた。
でも、間違いでもなかった。
予備室で、二人肩を並べて、にこやかにゲームをしているところが想像できなかった。
でもここは——。
「麻樹が、どうしてもゲームしたいって言うなら付き合ってあげてもいいよ」
上から目線で言うしかなかった。
麻樹に対して、私はどうしても素直になれない。
「やった。じゃあ、予備室に行こう!」
彼女は、勢いよく椅子から立ち上がり、こっちを見た。
こんな意地悪な言い方をしても乗ってくれるんだ。調子が狂う。
……素直な性格をしている子って得することが多いのかもしれない。
見習わないといけない……のかな。
二人してお揃いのパジャマを着て、さっそく廊下を移動する。
途中で、茂雄さんと行き合ってしまった。
「——仲良しだね」
にこにこと微笑みながら言われてしまった。
違うんですとも言えずに、私はぺこりと頭を下げた。
後ろにいる麻樹の顔は見ることができなかった。
予備室に入ると、未開封のゲーム機とソフトが床に置いてあった。昨日、触ったっきり、そのままにしておいたものだ。
……まぁ、ゲームなんて数十分もすれば飽きるでしょ。
そんなふうに私は高を括っていた。
だけど思いの外、面白くて——。「そろそろ寝なさい」というお母さんの声を聞いた時には、とうに1時を過ぎていた——。
隣に座る麻樹はコントローラーを持ちながら、とびきりの笑顔を私に向けた。




