第2話 お揃い
私は歯を食いしばって、先に予備室へと向かった。
ドアを開けると、中は蒸し暑く、すぐにクーラーのリモコンを取って電源を入れた。後から入ってきた麻樹は、ゆっくりドアを閉めた。
部屋の中央には、赤い箱に入っているゲーム機が置いてあった。新品だ。
隣には、ゲームソフトも置いてあった。コミカルなキャラクターが車に乗っていて、さまざまな場所でレースをするゲームだった。私は手に取り、パッケージをじっと見た。
「——ゲームって今も好き?」
二人だけの空間の中で、そっと音が響いた。声の主は麻樹だった。
「……わからない」
好きか嫌いかと言えば、好きだと思う。そういえば、彼女とも昔ゲームをして遊んだ記憶があった。楽しかったような気もするけど、今となってみれば、すべてがわからない。
「……じゃあ、しなくていっか。わたしも別に、今ゲームする気分じゃないしね」
麻樹は床に置いてあった、水色のクッションの上にどかっと座った。
私はそのまま立ったままでいた。もう予備室に用がないと踏んで、ゲームソフトを床に置いた。
「——ねぇ。座ったら?」
そしたら、彼女は近くにあった似たようなクッションを指差した。こちらはグレーで、座り心地が良さそうなふかふかした素材でできていた。
少し迷ったけど、私は麻樹に従った。すぐに予備室から出ると、茂雄さんとお母さんに心配をかけるとわかっていたからだ。
私と彼女の間には、2メートルほどの距離がある。息を吸うと、木の香りがした。この家は中古物件だった。前の住居者がすぐに手放したもので、汚れや損傷が極端に少なく、いわば新築同様だった。
私が前に住んでいたアパートよりも広々としていて、落ち着かない。多分、近くに麻樹がいるからだとも思うけど。
「あのさ、風香ちゃんは……」
「その呼び方、やめてよ」
咄嗟に言い返してしまった。
彼女から、ちゃん付けなんて初めてされた。
しかし、麻樹は怯むことなく続ける。
「じゃあ、お姉ちゃんって呼んだ方がいいの? ——ねぇ。お姉ちゃん」
わざとらしく、ゆっくりとした口調。
足を組んで、手は気だるそうに床に投げ出されている。
妙に色気があるのが腹が立った。
「ゾクゾクするからやめて。普通に風香でいいから」
「昔のように呼んでもいいんだ」
空気がピリつく。思わず息を呑む。
麻樹は自分の爪を気だるそうに眺めていた。
「……本当は名前さえ呼ばれたくないけど仕方ないでしょ。家族になっちゃったんだから」
どうせなら、"あの"とか"その"とかで、やり過ごすことができればいいのにね。
だけど、そんなことをしたら、お母さんと茂雄さんがうろたえる。「喧嘩してるの?」とか余計なことを聞かれるに決まっている。面倒くさい。
「——わかった。風香」
麻樹は意外にも、あっさりと受け入れた。淡々と、真顔で言うものだから、私の中に燻っていた感情がふいに顔を出した。
このまま声を荒げてやりたい。泣き喚いてやりたい。私がどんなに傷ついたか、彼女に教えてやりたい。沸々と煮えたぎる想いが、雷鳴の如く胸の中を広がった。
——コンコン。
その時、ドアをノックする音が響いた。ハッと我に返る。
「風香。麻樹ちゃん。それじゃあ、出かけてくるわね。留守番よろしくね」
「あ、うん」
お母さんだった。ドアの向こうから聞こえてくる声が、いつもより1オクターブ高い。
まだ出かけていなかったんだ。
その後、廊下を歩き、玄関の扉を開け閉めする音が耳に届いた。
——この家で完全に麻樹と二人きりになってしまった。
だからと言って、何かあるのということはないんだけど。
私は一つため息をついた。
お母さんと茂雄さんが完全に家にいない今、予備室で彼女とゲームをしているふりをしなくてもいいんじゃないかな。仲良しごっこは終わりだ。
幸い、私たちには自分の部屋が与えられている。スペースは6畳ほど。今は、ベッドと机だけが置かれている。
前のアパートでは自分だけの部屋なんてなかったからすごく嬉しかった。
「……じゃあね。私、荷ほどきがあるから」
まだ段ボールから出していない荷物も山ほどあった。
麻樹と離れるための口実にする。
「——まだ行かないでよ」
彼女の声は震えていた。
「えっ?」
「ここにいなよ」
「……私がいる意味ある?」
何かの嫌がらせだろうか。麻樹の意図がわからなかった。
私の視界の端には、か細い一人の少女が映っていた。
「ある。わたしの呼び方についてまだ決めてないでしょ」
何それと、一言いってやりたかった。
だけど、さすがに大人気ないと思い、言葉を飲み込んだ。
思えば、もう長いこと彼女の名前を口にしていなかった。
「……普通にさ、麻樹じゃ駄目なの?」
「……まーちゃんは?」
心臓が跳ねた。
「それって、中学の時に呼んでたあだ名じゃん……。子どもっぽすぎるしさ、さすがに無理」
「ふーん。残念」
麻樹が口をとがらせた。調子が狂う。
絶対に、まーちゃんなんか呼んでやらない。口にする度に、苦い中学の思い出も蘇ってきそうだ。
「名字で呼べたら良かったのに。だけどさ、私たち一緒になっちゃったじゃん?」
そうなのだ。
お母さんと茂雄さんが再婚して、私の名前は関内風香から、楠木風香になってしまった。
高校を卒業するまでは、さすがに関内で通るように融通を利かせてもらったけど。
家庭内では通用しないだろう。
「あはっ。本当だ。お揃いになっちゃったね。なんか、結婚したみたいだね、わたし達」
麻樹は今日イチの笑顔を私に向けた。目を細めて、ケタケタとお腹を揺らしている。
窓から差し込む夏の陽に照らされて、彼女の影も揺れていた。
馬鹿にして。




