第16話 風香の匂いがする
——話を聞くと、引っ越し業者の物流が遅れていて、麻樹のベッド諸々その他が届いていないということだった。
お客様用の布団もないし、床で眠るのも酷ということで、私・風香と一緒に寝たらどうだという提案を受ける羽目になった。
……冗談じゃない!!
そんな風に、声を荒げたかった。
だけど、茂雄さんが目の前にいたからできなかった。彼にとって麻樹は愛娘だ。いくら私でも、なりふり構わず叫ぶことはできなかった。
茂雄さんは慈愛に満ちた目で、申し訳なさそうに頭を下げた。
「風香ちゃん。嫌だよね。ごめんね」
「……えっと。その。麻樹が、嫌なんじゃない……かな。ゆっくり寝られないと思うし……」
私はしどろもどろになりながらも、一生懸命に言葉を紡いだ。
「——わたしは別にいいけど」
そしたら麻樹は、レタスを上品に食べながら、確かにそう言った。
はっ。正気!?
……。えっ……。
あとは、私が受け入れたらOKという空気感があった。
……。
「——それに、一緒のベッドで寝るのなんて初めてじゃないでしょ」
麻樹がとんでもないことを言った。私の記憶に浮かんだのは、ある日の保健室での出来事だった。
先生がいないのをいいことに、二人でベッドに横になった。
このまま記憶を辿っていったら、よからぬことまで思い出してしまう。
「——わかった。一緒に寝れば良いんでしょ!」
茂雄さんと、お母さんに、これ以上詮索されたくなかったから、私は仕方なく受け入れた。
案の定、二人はほっとした顔をしていた。麻樹はひょうひょうとしていて、感情が読めなかった。
「——まぁ。姉妹だしね」
何かに言い訳するように、一言付け加えた。しかし、誰も気にしていなかった。
なんだか急に恥ずかしくなる。気を取り直して、私は味噌汁をすすった。
「——じゃあ、10時頃、部屋にお邪魔するから」
「——わかった」
あと、3時間か。部屋はまだ汚いけど引っ越し初日だから仕方ないよね。
……って、なんで麻樹に気を遣わないといけないの!
「うふふ。お風呂はね〜。誰から入る?」
お母さんが、巻いた髪を優しく揺らしながら、みんなに聞いた。
「女性の皆さん、先にどうぞ。僕は一番最後に入るよ」
「まぁ。茂雄さん優しいのね! でもこれから3人となると時間かかっちゃうわよね。どう? 麻樹ちゃんと風香。お風呂も一緒に入っちゃったら!?」
「……へ、変なこと言わないでよ!」
味噌汁を吹き出しそうになった。もう少しで、むせるところだった。
「あら〜。いい提案だと思ったんだけど……」
お母さんは困ったように首を傾げた。
口直しに、お茶を飲もうとして、コップを手に取った。ピンク色のラメ入りのコップ。
お母さんと茂雄さんが今日一緒に買ってきたものだった。仲良くいられますようにという願いが込められているみたいに、4つともお揃いだった。
夕ご飯を食べ終えた後、私は、宿題があるからと言い訳をして、自分の部屋に戻った。
すぐに、ベッドが目に入る。白地にチェック柄の掛け布団。枕は一つしかない……。
このシングルベッドで今日、麻樹と一緒に寝ることになってしまった。
私は今から妙な緊張を感じていた。
◇
——お風呂は1時間前に入った。
薔薇の入浴剤が入れられていたから、お母さんが一番風呂に入ったのだろう。ということは、私の次に麻樹がお風呂に入ることになる。……だから、どうというわけでもないんだけど。
私は机の前の椅子に座って、足を組んだ。
時計を見ると、9時59分だった。あと1分で麻樹が部屋に来る。
そういえば中学時代、彼女と遊ぶ約束をした時は、必ず時間通りに来たことを思い出した。
私も遅刻するタイプではなかった。だから、「遅い〜」なんて揉めることは一度もなかった。なんだか懐かしかった。
——トントン。
部屋にノックの音が響き渡った。
「……はい」
良かった。声が上ずることなく、普通に言えた。
「——わたしだけど」
予想した通り、相手は麻樹だった。
「いいよ。入って」
「お邪魔します」
ガチャリとドアが開くと、自分の枕を持っている麻樹が、そこにはいた。
血の気が引いたのは、中学の時のジャージを着ていたからだ。
「……まだ、それ持ってたんだ」
「んっ? ジャージのこと? 寝巻きにちょうどいいんだよね」
「ふーん……」
私は中学の時の物は、すべて捨てていた。思い出の品を残すと、当時の嫌な記憶も思い出してしまうから。
冷静を装っていたけど、確かな息苦しさを感じていた。
そんな私はというと、ネット通販で買った、襟付きのフリルのパジャマを着ていた。ピンク色で、ポケットにうさぎが描いてあるガーリーなデザイン。
なんだか、私の方がオシャレをしているみたいで恥ずかしかった。
「ちょっ。何してんの?」
「何って、座るところないから、ベッドに居させてもらおうと思ったんだけど」
麻樹はドアを閉めた後、一直線に私のベッドを目指した。許可を取ることなく、すとんと腰を掛けた。
「あぁ。勝手に入らないでよ」
自分の枕を定位置にセットした後、掛け布団をめくって、部屋の主より先に、寝床についた。
私だって、今日一度もベッドに入っていないのにっ!
麻樹は掛け布団を、鼻をすっぽり隠すくらいに引き上げた。
「——風香の匂いがする」
「!?」
「なんか落ち着く」
は、はぁ!?
ベッドに入って最初の感想がそれ!?
調子が狂う。




