第11話 跪く
◇
「麻樹ー。一緒に帰ろーよ!」
「リリアも部活あるでしょ。陸部はどうすんの?」
「今日はサボりたい気分なのー。ねぇ。付き合ってよー!」
「はぁ。まったくー」
放課後の教室。部活に行く前のひと時に、私はまーちゃんと机を挟んで話していた。
しかし、急に群青さんが入ってきたというわけだ。
私のことを視界に入れず、完全にまーちゃんだけに話しかけている。意地が悪い。
まーちゃんはというと、やれやれという擬音がぴったり合うように、ため息をついた。すぐに断ってくれればいいのに。
群青さんの怠惰な提案に乗る必要はないよと、私は目力で訴えた。
「——やめとく。後輩にレシーブの練習をしなくちゃいけないし」
「そっかー。残念……。でも、別にいいよ! 隣のクラスの子を誘うからさー」
群青さんは捨て台詞を吐いた。一度私を睨んだ後、ものすごい勢いで教室から出ていった。
「なんだったんだよー。サボりとかよくないよね」
まーちゃんは驚き、目をぱちぱちさせている。
きっと群青さんは、私に当てつけているのだろう。
グイグイ押せば、まーちゃんの心は奪えると思っているのかも。
「ってか、風香は美術部行かなくて大丈夫?」
「うん。まだいいかな」
文化系の部活だからか、運動部よりも規則が緩かった。
もっとまーちゃんと喋っていたかった。
「そっか。わたしはそろそろ体育館に移動しないとだー」
まーちゃんは教室の壁にかけられた時計を見て、うーんと一つ伸びをした。
呑気そうに見えるけど、口元は緩んでいた。
バレー部の次期部長候補として、先輩たちから期待されていることを私は知っていた。
でも……。
やだ。行かないで欲しい。
もうちょっとそばにいて欲しい。
きっとレシーブの練習をする時に、後輩の女の子の手を触ったりしちゃうのかなぁ。
まーちゃんに、その気はなくても、相手がどう思うかはわからない。年上の魅力もあってか、気付いたら好きになっていることだって全然あり得る。
「……風香?」
俯いていたからだろう。
まーちゃんは心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「顔色、悪いよ」
嫌な想像をしていたからかな。
本当に青ざめた顔をしているのかもしれない。
「……まーちゃん、ちょっと私、具合悪いかも」
「大丈夫? 保健室に行く?」
「うん。一緒についてきてくれる?」
「もちろん」
まーちゃんは自分のカバンを背負った後、私のも持ってくれた。優しい。
そして、隣のクラスのバレー部の子に、遅くなることを伝えた後、私のほうを振り向いた。
「よし。行こう」
「ありがとう」
まーちゃんが先に廊下を歩く。身長が高いのに、華奢な背中に目を奪われる。
時折、ちらっと後ろを振り向いては、私の様子を伺ってくれた。
保健室の先生には、なんて言おう。恋の病です、なんて言ったら笑われちゃうかな。
そんな冗談を思いつくくらいに、私は元気だった。
ごめんね。まーちゃん。もう少しだけ一緒にいさせてね。
◇
「失礼しまーす。あれ。先生いないの?」
保健室のドアをノックして、中に入ると、誰もいなかった。
このまま居座ってもいいのだろうか。
迷いながらも、まーちゃんは勇敢にも、どんどん奥へと進んでいった。
「風香。おいでよー」
椅子の前までたどり着くと、私をこいこいと手招きをした。
頷き、ドアをしっかり閉めてから、彼女の元へと向かった。
「とりあえず、ここに座りなよ。頭ズキズキしたりとかはする?」
「う、うん」
私は深緑の丸椅子に座ると、ひとつ嘘をついた。
「そっか……。じゃあ辛いよね。先生呼んでこようか?」
「いやいい。まーちゃん、そばにいてよ!」
「…………わかった」
まーちゃんは近くにあった長椅子に、私と自分のカバンを置いた。そして、体育館シューズ入れも。
今さら嘘をついた罪悪感がちくりと胸を刺す。
私の隣にもう一つあった深緑の丸椅子に、まーちゃんが、よいしょと座った。
「熱はあるの?」
そう言って、おでこに触れた。
まーちゃんの手が、ひんやりとしていて気持ちが良かった。
思わず息を呑んでしまう。
「んー。ないかな?」
「まーちゃん、お医者さんみたい」
「えへへ。そう見えるー?」
「うん。かっこいい……」
「ふふっ。将来は医療系に行くのもいいかもね」
二人して談笑をした。密室でまーちゃんと話しているとホッとする。
誰にも奪われる心配がないからかな。ずっと、こんな時間が続けばいいのに。
その時だった。
私の視界の端に赤いものが映った。んっ? なんだろう。
そう思い、下を見ると、なんとまーちゃんの膝から血が出ていた。
「きゃっ。まーちゃん! 血が出てる! 大変!」
「ありゃ。かさぶたが剥がれたのかな?」
まーちゃんが愉快そうに笑った。
半ズボンジャージから伸びた彼女の白い膝を、赤い液体が汚していた。
「部活で擦りむいた時のやつだー。ここが保健室で良かったよ。絆創膏くらいはあるよね?」
まーちゃんが丸椅子から立ち上がろうとしていた。
振動で、血が溢れそうになっていた。
「待って。動かないで! 私が探すから」
「そう? ……それじゃ風香、お願いしていい?」
まーちゃんに無理させたくない。そのまま安静にしていてほしい。
彼女のかさぶたから溢れた血は、日々、バレーを頑張っている勲章のように思えた。
保健の先生が不在の間って、棚を勝手にゴソゴソ漁ってもいいのだろうか。だけど、非常事態だから仕方ないよね。
私はティッシュと絆創膏を探した。急げ急げ。まーちゃんを待たせられない。
焦る私は不意に、これじゃ、どっちが病人かわからないよ。なんてことを思った。
包帯はたくさんあるのに。肝心のティッシュと絆創膏はない。
まーちゃんを見ると、不安気な顔をしていた。じっと一人で膝小僧を見ていた。
それは、デパートで親を見失って、心細さを感じている少女のようにも思えた。
寂しい。切ない。心がそう叫んでいるように見えた。
ぞくりとしたものが背中を走る。
気付いたら、私はまーちゃんの前で跪いて、足を触っていた。
「ひゃ。何、風香。くすぐったい」
心臓は大きく高鳴っていた。
やめた方がいい。したい。そんなアンバランスな感情が混ざり合っている。
まーちゃんの膝に顔を近づけて、目を閉じた。
まだ引き返せる。
でも、もう——。
私は舌を出すと、彼女の血を舐めた。
生臭くて、正直美味しくない。だけど、衝動を抑え切れそうになかった。




