03:対話
「婚姻届を、ですか?」
「ああ、といっても私は君に触れるつもりはない」
……姿を見せなくてもどうこうはできるのに、しないって言うあたりが紳士だわ。
要するに、昔よく読んだお話の中にあった偽装結婚……この場合は契約結婚かしら?
物語ではなんやかんやで結ばれることが多かった記憶がある。
私はシルス様に好印象を抱いているけど、あちらにしてみればただのかわいそうな小娘よね。
この先どういう展開になるのかしら、……なんて、どうしても他人事に思ってしまうのはよくないわね。
「届けを出せば結婚しろとうるさい連中も黙るし、あなたの安全も確保される」
実際が白い結婚、いわゆるベッドを共にしないものでも、バレなければいい。
邸のひとたちは協力的なようだし、世間は簡単に欺せそうだ。
何年も子供ができないと疑われるだろうけど、先のことを今から考えてもね。
いわゆる契約結婚そのもののパターンに、ちょっとわくわくしてしまう。
あとで別途細かな誓約書もいるかしら。
「君は自由に生活してくれていい。私は同行できないが、パーティーに出ても構わない。勿論、発言には気をつけてもらうが」
「正直あまり得意ではないので、シルス様を理由に遠慮させていただければと思います」
「……年頃の女性はパーティーが好きなのではないのか?」
不思議そうに問いかけられて、いえ、あんまり……と、ぬるい返事になってしまう。
私の容姿は十人並みとはいえ、若さゆえの愛らしさはある、と思いたい、愛想はないけど。
憧れていた綺麗なドレスを着られるのは、嬉しいし楽しい。
社交に出る時は体面を重視する父によって、ちゃんとしたものを仕立ててもらえたから、なおさらだ。
でも、社交が、ものすごくめんどくさいのよね……
折角おいしい料理が並んでいても、食事をしすぎれば浅ましいと囁かれる。
誰と踊るかも考えなければいけないし、派閥の異なるひととの会話は揚げ足とり合戦。
綺麗なドレスと疲労を天秤にかけたら、ドレスをあきらめる程度なのよ、私は。
そもそもコルセットもしんどいし。体型補正のコルセットは昔もお世話になったけど、できれば楽に過ごしたい。
だったら趣味に精を出したいのが正直なところなのよね。
「私の事情でこの邸の人は最小限にしているので、家政を切り盛りしてくれれば助かる。ああいや、掃除ではなくて」
慌ててつけ加えてくる。掃除は得意だから、まかせてくれていいのに。
まあ、このへんはオーゴさんや侍女頭に声をかけてみよう。
家政というのは妻の役割ではあるから、普通の結婚なら自然なんだけど。
「信頼していただけるのは嬉しいですが、よろしいのですか?」
内向きのこととなると、重要な情報や予算のことなども入ってくる。
雇用に関しては増やす気はなさそうなので、当面そっちはないと思うけど。
そんな大切なことを、ぽっと出の小娘に任せていいのかしら。
父に教える気はなくても、もう少し慎重になるべきでは……
私の指摘に、小さく笑う息づかいが聞こえた。声がいいものだから、つい集中して音を拾ってしまう。
「少し話しただけだが、あなたは信用できると思っている。なにより、噂のある私を前にしても普通に接してくれるだけで、どれだけ嬉しいか」
……うまく、言葉は返せなかった。
シルス様の声の調子が、本当に嬉しそうだったから。
こういう時に気の利いたことが言えれば、もっと社交もできたのに。
こんな少しの時間、話しただけで評価されるのは、裏を返せば短時間で失礼な態度をとられた過去があるということ。
きっと今まで、シルス様は何度も悲しい……悔しい? 思いをしたのだろう。
信頼関係を築くのに布越しなんて間違っている、とか批判が出るのはわかる。
でもシルス様のこれは、事情があってのものなのに。
嫌な経験がたくさんあったはずでも、初対面の私に、こうして相対してくれた。
とても真面目で、誠実な性格に違いない。
「あなたは若いのに、きちんと考えて行動できるようだから、好きに過ごしてくれて構わない」
近所のおじさんみたいな言葉に、見えないだろうから苦笑いを返す。
今の私は十代ですからね……そりゃひとまわり上のシルス様からすれば、若く感じられますよね。
入っちゃいけないと言われる場所にあえて入るような子供じみたまねもしません。
「ただ、その……部屋は、あの部屋で我慢してほしいが」
「もちろんです、主寝室を使いたいなど、言うつもりはありません」
書類上の夫婦なのだし、姿を見せたくないと思っているなら、シルス様のいるエリアに立ち入るべきではない。
うっかり鉢合わせしたら申しわけないので、場所がきっちり分かれているほうが安心だ。
実家のように拒絶という理由だと落ちこんでしまうが、理由もはっきりしている。傷つく理由はない。
それに、あの客室は実家の部屋より居心地がよさそうだ。
私の部屋にあった家具はすべて亡き母のお下がりで、母には悪いが趣味が合わないのよね。
父は雑事は放棄しても、出納帳だけはきっちりチェックしていた。
だから、家具などを新たに買うのは難しかった。
自分のほうは、愛人との邸に色々買いこんでいたっていうのにね。
その点、案内された客室はよくも悪くも無難なので、落ちつけそう。
「部屋はとりあえずで用意したので、家具などは好みのものに変えてもらってかまわない。他にも必要なものがあれば、遠慮なく申し出てほしい」
シルス様に絞められることはないと思っても、遠慮なく、というのはなかなか難しい。
どうしても父からのあれこれを思いだしてしまうからだ。
以前もお局からの嫌味やらなんやらに耐えていたけど、まるきり平気、とはいかないものよね。
暮らすだけなら問題ないから、ひとまず置いておくことにして、それより大事なことがある。
「あの……植物を、持ってきたので、それを置かせてください。それを許してくれるなら、他は望みません」
「植物?」
疑問系で返され、はい、とうなずく。
このひとの勤め先からして、これだけでさっきの契約が反故にはならないと思うけど、緊張はする。
理解は示しても、なぜそんなものを、と引かれる可能性は大きいし。
膝の上に置いた手をにぎりしめ、意を決して顔を上げた。
本当なら、許可を得てから運ぶべきだったが、私にとってはドレスより装飾品より優先すべきものだったので、みんなに止められたけど馬車に乗せてきたのだ。
「私が育てていたものです。ただ……いわゆる魔花と呼ばれるものなので、嫌がるかたもいるでしょう。目に入らない場所で育てるようにしますので、お願いします」
魔法が当たり前に存在するこの世界には、魔花もしくは魔草と呼ばれるものがある。
……といっても、中には普通の植物なのに、食虫植物だとか、見た目が気持ち悪いという評価でくくられているものもあるので、その分類は雑なものだ。
わかりやすく言えば、ハエトリグサなんかも、この世界では魔草扱い。
傷を癒やしたりするものなら薬草と呼ばれるし、魔力で美しく咲くものは高額で取引される。
この事実を知った時、私は一人で大いに嘆いたものだ。
忌避する心理ももっともだけど、それにはちゃんと理由があるのに。
「……なぜ、あなたはそういう植物を育てているんだ?」
しばらくの間ののち、そう訊ねられた。
声のトーン的に、咎めるものは読みとれない。
そのことに安心しつつ、さて、どう答えたものかと少し悩む。
私の性癖を明かすなんてのは論外だ。
実家のみんなにも秘密にしているんだから。
この秘密は墓まで持っていかなくちゃ……!
「私の魔力は、土……特に植物に適性があります」
と言っても、魔力自体が少ないので、実用的ではない。
成長の促進とか、色味を鮮やかにできるとか、その程度。
繊細な魔力操作が必要な専門職は望めないレベルだ。
実力があれば、父から離れて生活できただろうけど。
「だから、髪の毛も緑っぽいんですよね。あ、でも、シルス様のお仕事と合っているから、偶然の一致もいいものです」
「……そう、だな」
シルス様の魔力がどれくらいか知らないが、仕事にできるくらいなのだ。
植物といえば緑、っていうのは安直だけど。私の育てている子も、緑は少ないし。
でも、魔力特性としては、植物系は緑色が出がちなのよね。
魔力が緑だから植物が好きなのかは、卵と鶏みたいな感じで、よくわからないけど。
「普通の花も好きです、でも……そういうものを選んだのは、自己満足、ですかね」
きっかけは使用人に混じって街へ買い物へ行った時、底値で売られていたひとつの鉢植えだった。
売れないから捨てる、と聞いた瞬間、我慢できなくなり、なけなしの小遣いで鉢を購入したのだ。
私自身の趣味のせいもあったけど、そういう、見向きもされない存在が、自分と似ている気がしたから。
適当な扱いだったのでしおれていたけど、水をやって手入れをしたら、きちんと回復した。
キンヒモみたいなそれは、見た目は少し、いやかなり? 毒々しい紫色をしている。
でも、それがこの植物の個性で、非難されるものじゃない。
今でも元気で、植え替えるたびに大きくなっている。
以来、数少ない社交用の諸々で出たわずかな差額を貯めておいたりして、コツコツ貯めたお金は、みんな植物を買うことに費やした。
独身時代の節約生活が遠い記憶にあったので、苦ではなかったし、そうして手に入れた子たちはみんな愛着がある。
……あるのだけど、ものがものだ。
どれも見た目がかなり特徴的で、私に同情的な実家の使用人たちも「これはちょっと……」と近づかない。
おかげで私の趣味が「見た目が特徴的(使用人の必死の形容)な植物の育成」だと思われている。
父にバレればどうなるかは明らかだったので、庭師に頼みこんで、彼らの作業場近くに置かせてもらっていた。
金銭面と置き場所の問題もあり、鉢の数は少ないが、どれも大切なものだ。
でも、駄目だと言われたら、残念だけどどこかに預けるしかない。
あの客室のベランダなら、外から見えづらいし、こっそり置ける気はする。
でも、それじゃ不誠実だから、ちゃんと自己申告しなくちゃ。
「庭の一角に温室がある、そこへ置くといい」
「え……そんな立派な施設を使用していいんですか?」
目立たないすみっこでも許可が出れば御の字と考えていたのに、大盤振る舞いだ。
というか、温室まであるなんて、凄いわね。
「今はほぼ使っていないから、問題ない」
「ありがとうございます!」
本当にいいなら、窮屈な思いをさせていたあの子たちも喜ぶわ。
遠慮せずに大きく育てることだってできる。
栄養不足で花が咲かなかったりしてたから、咲けばみんなも好きになるかもだし。
温室は仕事用に建てたけど、不要になったからそのまま、……って、貴族らしいわね。
いつでも使えるようメンテナンスはしているが、現状ではたまに庭師が使う程度なのだとか。
理想的すぎる環境に、大喜びで何度も礼を言う。
急いであの子たちを運ばなくちゃ。
「ちなみにどんなものを育てているのか、聞いても?」
シルス様の問いに、置かせてもらうからにはとすべての品種を答える。
どれも人間に害を為すものはないが、魔力によって変化するものもある。
外敵から身を守るための棘に似たものを持つ種類もいるから、周知しておかないと危険だ。
役職が名ばかりでない証明のように、シルス様はすべての種類を知っていた。
「どの子もみんな個性的で、とってもかわいいんですよ」
静かに聞いてくれるものだから、つい喋りすぎた気がするわ。
しかもついクセで、かわいい、とまで。
マヤたちはどこがかわいいのかわからない、って正直な感想だったのに。
「それならなおのこと、遠慮せずに温室を使ってくれ」
でもシルス様は気持ち悪いとかは一切口にせず、それどころか寛大な反応。
嬉しい言葉に、改めてお礼を口にする。
隠していた趣味を認めてもらえるのって、こんなに嬉しいことなのね。
この恩はしっかり返そう。少なくとも、あの子たちにかかる費用分は働かなくちゃいけない。
他に、実家から持ってくる荷物はあるかという問いに、特にないと答えた。
どうしてもなものは持ちこんでいるし、そんなに数もない。
とにかく鉢植えが一番大事だったもの。
まあ、結婚が成立したから、忘れものがあればとりに帰ればいいだけだし。
父のことだから、本邸はこのまま放置でしょう。
弟が成人するまで、ほっとかれる気がする。
で、肝心の婚姻届の署名は、まさか私のようなもの娘がくると思っておらず、用意していなかったそう。
説得して帰ってもらうつもりだったなら、当然よね。
なので、書類を用意して、日を改めてということになった。
とりあえず今日はこれで、となり、私とシルス様との顔合わせは、順調すぎるくらいで終了した。




