氷の貴公子、初めての溺愛(2/5)
「わたし、完食はできない代わりに、せめて口に入れる分はしっかりと堪能したいと、いつも思っているのです」
「なるほど。小食なマリアンネならではの考え方だな」
「そうかもしれませんね。わたしは幼い頃は体が弱くて、ちょっとしたことで寝込んでしまう質だったのです。そんな時、乳母と彼女の子どもが、いつもお粥を作ってくれました。『早くよくなってくださいね』と言って。その心遣いが今でも忘れられないんです」
何が彼女の心を解きほぐしたのかは分からないが、マリアンネはもう不快な気分ではないらしい。シルヴェスターは、「素敵な思い出だな」と言いながら肩の力を抜いた。
(料理、か)
ここまでマリアンネがこだわる「食べ物の味」というものが、シルヴェスターも気になり始めていた。テーブルに並んだ料理に視線を向ける。
シルヴェスターにとっては、食事などただのエネルギーと栄養の補給のようなものだった。だが、これからはもう少し見方を変えたほうがいいのかもしれない。
あらためて眺めてみると、どの料理も美しく盛りつけられ、食器類もピカピカに磨き上げられている。これも料理人たちの気遣いの一部なのだろうか。
皿の上に載っているものから「美味しく食べて」と無言で訴えかけられたような気がして、シルヴェスターは思わずパンに手を伸ばす。
つかんだ丸いパンは、シルヴェスターどころかマリアンネの手のひらにもすっぽりとおさまりそうなほど小さかった。
その小さなパンを、シルヴェスターは指でさらに細かく千切る。こんがり焼けた外側の生地がサクッと音を立て、真っ白でフワフワの中身が顔を覗かせた。
その小さな塊を口に入れると、風味豊かな香りが心地よく鼻腔をくすぐる。どうやら、バターをふんだんに使っているらしい。
「……美味しい」
シルヴェスターはパンを呑み込むと、少し感動しながらそう言った。
「私は今まで、こんなに美味しいものを食べていたのか……」
もっと色々な味に出会いたくて、シルヴェスターはほかの料理にも手をつけていく。
サラダの葉野菜はシャキシャキしており、ドレッシングと絶妙に絡み合って軽やかな食べ応えを生み出していた。カリカリに焼けたガレットは薄味ながらも楽しい食感だ。
極めつけはミニグラタン。普段なら食べづらいとしか思わないのに、今はどこまでも伸びるチーズが愉快で仕方なかった。
「お気に入りはありましたか?」
シルヴェスターはいつもの倍以上の時間をかけてようやく食事を終えた。視線を上げると、マリアンネが優しい顔でこちらを見ている。我が子がエサをついばむところを眺める親鳥のようだった。
「これだろうか」
シルヴェスターはどことなくこそばゆい気持ちになりながらも、リンゴのタルトタタンが乗っていた皿を指差した。
「見た目もリンゴの薄切りが乗っていて綺麗だったし、苦みと甘みが混ざった複雑な味わいが印象に残っている。もう少し甘いともっとよかったかもしれない」
「シルヴェスター様は甘いものを好まれるのですね。……ふふ。なんだか、おかわいらしいわ」
マリアンネの顔に笑みが浮かぶ。
それはキラキラとした、こぼれ落ちるような笑顔だった。シルヴェスターは妻の邪気のない表情にしばし見入る。
「好きだ」
「えっ」
マリアンネは金縛りにでもあったように、ぎこちなく固まった。
「君のそういう顔は好きだ。もっと笑ってみせてくれ」
「あ……え、笑顔。笑顔がお好きなのですね……」
マリアンネは赤くなってうつむいてしまった。シルヴェスターは「どうした」と問いかける。
「下を向いていては、君の顔が隠れてしまう。さあ、私のほうを見るんだ」
「そんな……わたしの顔など、二回も眺め回す価値はありませんよ」
マリアンネはうろたえながら席を立つ。シルヴェスターもそのあとに続き、食堂を出た。
「このあと、何か予定はあるか?」
シルヴェスターが尋ねた。マリアンネはまだ声に動揺をにじませながら、「いいえ、特には」と返す。
「では、やってみたいことや行きたい場所は? 希望があるなら、私もつき合おう」
シルヴェスターは、妻を愛さねばならないのだ。だから、彼女の希望は何でも叶えてやる所存だった。
「お仕事はよろしいのですか?」
マリアンネは不思議そうに聞いてきた。
「シルヴェスター様は多忙な方だと聞き及んでおりましたが……」
「君のほうが大事だ、マリアンネ」
また時が戻れば、どんなに仕事に精を出そうが無意味になるのだから。
マリアンネの顔がまた朱に染まった。ためらいがちに「では、ノルトハイム領の様子が見たいです」と言う。
「わたしは昨日嫁いできたばかりですから、領内のことを何も知りません。ノルトハイム領がどのようなところか、領民がどんなふうに暮らしているのか、実際にこの目で見たいです」
「分かった。すぐに馬車の手配をしよう」
しっかりした女性だ、とシルヴェスターは心の中で妻を賞賛する。日陰に咲く花のように頼りない外見をしているが、中身のほうはそうでもないのだろうか。
(私が留守にしている間、領内のことはマリアンネに任せるのも悪くはないかもしれないな)
マリアンネとの結婚はどうやらいい選択だったようだと思い、シルヴェスターは満足を覚えた。





