死が彼らを分かつ時(2/3)
「シルヴェスターさんから手紙をもらいました」
ダスティンは懐から封筒を取り出した。
「なんだか随分とおかしなことが書いてありましてね。気になって来てみたんですよ。こんな時間だし、訪問は明日にするつもりでしたが、嫌な予感がして……。真夜中なのに教会の鐘が鳴っていたから、もしかしたらここにいるのかもしれないと思ったんです」
ダスティンは死神のことを薄気味悪そうな目でチラチラと見る。
「こいつは一体何なんですか? 二人の会話は途切れ途切れにしか聞こえませんでしたが、死神がどうのとか言っているような気がしましたけど。いや、そんなことより……」
ダスティンは封筒をひらひらと振った。
「何なんですか、この手紙は! 『マリアンネのことはよろしく頼む』だなんて。これじゃあまるで……」
「遺言のよう、か?」
シルヴェスターの言葉に、ダスティンとマリアンネが息を呑んだ。
「その解釈で間違いない」
シルヴェスターは死神を見据えた。
恐れなど初めから感じていなかった。唯一の心残りは、妻に一目会わずにここへ来てしまったことだったが、図らずもその未練は解消されたのだ。今シルヴェスターの心は、凪いだ海のように静かだった。
「取引をしよう、死神。マリアンネの代わりに、私を連れていけ」
「シルヴェスター様っ!?」
マリアンネが悲鳴に近い声を出した。ダスティンも声こそ上げなかったが、頭を殴られたような顔になっている。
「何を言っているのですか! だって、死ぬのはわたしのはずでは……!」
「君は言ったな。『死の運命は覆らない』とは、『誰がいつどこで死ぬかは運命で決まっていて、それを変えるのは無理だ』という意味だと」
シルヴェスターは、かつて妻と交わした会話を繰り返す。
「だが、それは正確には少し違ったんだ。『いつどこで死ぬかは運命で決まっていて、それを変えるのは無理だ』が正しい。分かるか? 『誰が』という要素は抜けていてもいいんだ」
「それって……」
「要するに、『マリアンネが今日、ここで死ななければならない』わけではない。正解は『誰かが今日、ここで死ななければならない』なんだ。死神に決められるのは死者の数だけ。刈り取る魂の数だけなんだ。……そうだろう?」
シルヴェスターは死神に問いかける。
もしかしたら死神は、個々人の終わりの時を正確に管理しているわけではないのかもしれない。刈り取る命の数だけ決めておいて、その対象は直前になって決定するのではないか。
これは、死神に関する本を読んでいて気づいたことだった。
もしも死神撃退作戦が上手くいかなかった場合は、この点に賭けようとシルヴェスターは決めていたのである。
「私の魂では不足などとは言わせないぞ。……さあ、さっさと持っていけ。次にマリアンネの前に現われるのは、もっとずっとあとにしろ」
シルヴェスターは死神に向かって手を伸ばす。彼の推測は正しかったようだ。死神も黙ってこちらに触れようとしてきたのだから。
「ダメです!」
マリアンネが叫んだ。シルヴェスターの腕を押さえつける。
「いけません、そんなの! シルヴェスター様がわたしのために犠牲になるなんて……。そんなことになるくらいなら、わたしは喜んで死に身を委ねます!」
「それはダメだ、マリアンネ。君は生き延びるんだ。いいな?」
シルヴェスターの声は、死が間近に迫っているとも思えないほど温和なものだった。マリアンネは唇を噛み、「シルヴェスター様はひどい方です」となじる。
「わたしを一人にしないと言ったのに、嘘を吐くのですか」
「そんなつもりはない。そのために彼を呼んだ」
シルヴェスターは、凍りついたように事の成り行きを見守っていたダスティンに視線を向ける。
シルヴェスターと目が合ったダスティンは、ドキリとしたのか体を震わせた。
「私の死後のマリアンネの身の振り方は自由だが、ダスティンならどんな時も君を支えてくれるはずだ。再婚も好きにしてくれて構わない。ただ、相手が誰にしろ、今度は氷の貴公子なんて選ぶなよ」
「……もうやめてください。シルヴェスター様以外の方と結婚だなんて……」
「独身でいるというのなら、この城に残る選択肢もある。ノルトハイム家は遠縁の者に継がせるけれど、マリアンネにはかなりの遺産を相続させるつもりだから、肩身の狭い思いはしなくて済むだろう。詳しいことは顧問官に聞いてくれ。私の遺言状を預けてある」
「これ以上は聞きたくありません!」
こらえきれなくなったように、マリアンネは顔を覆った。
「どうしてそんなことばかりおっしゃるのですか! わたしをお嫌いになってしまったのですか!?」
「愛しているからだ」
シルヴェスターはマリアンネの肩に手を置いた。
「私のことは、いくらでも恨み、憎んでくれ。許しなど乞うまい」
シルヴェスターの澄んだ水色の瞳が、マリアンネの涙で濡れたグレーの瞳を捉えた。
マリアンネはこの世の終わりが来たような顔になっている。シルヴェスターの死は、彼女にとってそれほど大きな痛手なのだろう。
(マリアンネは何よりも私を想ってくれているんだな)
この瞬間、シルヴェスターはやっと自分が愛されているという実感を持てた。
それはきっと、マリアンネも同じだっただろう。
身を挺してまで妻を守ろうとしているシルヴェスターの姿に、彼女は深い愛を感じていた。その愛を受け入れたからこそ、マリアンネは絶望しているのだ。
もう何を言ってもシルヴェスターの心を変えることはできない。彼はすでに無私の愛を身につけてしまった。今、シルヴェスターの頭にあるのはマリアンネの幸せだけだ。
その強固な想いは誰にも崩せない。たとえ、それがマリアンネ本人であっても。
「マリアンネ、私を愛してくれてありがとう」
生きている間に思いが通じ合ってよかった、とシルヴェスターは満足を覚えていた。
何の偶然か、ここは教会の中だ。一カ月前に二人が愛を誓った場所である。そんなところで互いの真心を受け入れ合うことができたなんて、まるで二度目の結婚式を挙げたようではないか。
「ダスティン、マリアンネのことは頼んだぞ」
シルヴェスターは静かな声で言って、最後にもう一度マリアンネと向き合った。
「さようなら。愛している」
この世の別れに愛の言葉を告げ、シルヴェスターは死神の手を取った。マリアンネの絶叫が石造りの室内にこだまする。
シルヴェスターは自分の体から重さがなくなるのを感じていた。床にくずおれた肉体。そこから魂が離れようとしている。
「シルヴェスター様! シルヴェスター様っ!」
マリアンネは動かなくなった夫の体を揺すっていた。
(最期に聞くのが、愛する人に名前を呼んでもらう声とは悪くない)
シルヴェスターは微笑みたいような気持ちになる。もっと楽しそうな声色だとさらによかったが、そこまで望むのは贅沢というものだろう。
天上からは、先ほどまでは見えなかった明るい光が差し込んでいた。この先にあの世があるのだろう。
(私が行き着く先は天国か地獄か……。きっと地獄だろうな。氷の貴公子として、散々悪行を重ねてきたのだから)
シルヴェスターは諦めの境地になる。
(だが、マリアンネの寿命が尽きた時は、ぜひとも天国へ行ってほしいものだ。まあ、彼女なら大丈夫か。あれほど素晴らしい女性など、二人といるものではない。天使たちも大歓迎するはずだ)
シルヴェスターは、マリアンネの死後にも平穏が待っていることを心の底から望んだ。
(しかしそうなると、私はもう二度とマリアンネとは会えないな。永久に離れ離れだ。だがその苦痛も、甘んじて受け入れなければ……)
シルヴェスターは、不意にガクンとした衝撃を感じた。階段がもう一段あると知らずに、踏み外してしまったような心地。天上の光が消え去り、代わりに体に重さが戻っていた。
「シルヴェスター様!」
気づいた時には、シルヴェスターは妻の腕の中にいた。
涙で濡れたマリアンネの白い頬を、シルヴェスターは無意識の内に指先で拭う。彼女の後ろでは、ダスティンが放心したような顔をしていた。
(一体……何が起きたんだ? 私は昇天していく途中だったはずなのに……)
シルヴェスターは困惑していた。冥府への旅を始めようとしていた頭では、状況をすぐには呑み込めない。
一つ確実なのは、なぜか自分はまだ生きているということだけだった。





