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今日から君を溺愛したいと思う ~氷の貴公子、愛妻家になる~  作者: 三羽高明


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わたしが愛しているのは……(4/4)

「シルヴェスター様……わたし、今、とても幸せです」


 マリアンネは濡れた唇で囁いた。シルヴェスターは「私も幸せだ」と言って妻と額を合わせる。胸を占めるこの優しい感情は、「幸福」以外に名前のつけようもないとシルヴェスターは思っていた。


「けれど、少し怖くもある」

「……実は、わたしもまだ少しだけ」


 二人は息も触れ合うほどの距離から会話を交わす。


「私はマリアンネに愛されてもいいのだろうか」

「わたしこそ、シルヴェスター様に愛されてもいいのですよね?」


 マリアンネはまつげを伏せる。


「こんなことを言い合うなんて、わたしたちは変わった夫婦ですよね。これも全てはあのおまじないから始まったことに原因があるのでしょうか……」


「おまじない?」


「……すごくくだらない話ですよ。聞きたいですか?」


 マリアンネはモジモジしたが、シルヴェスターは「君が嫌でなければ」と先を促した。


「結婚翌日のことでした。図書室を散策している時に変わったものを見つけたのです。おまじないに関する本でした。同じようなものが棚の一角にずらっと並べられていて……。その一冊に、離れていった人を呼び戻す呪文が書かれていたのです。わたし……それを試してみました」


 マリアンネは、引き出しの奥底にしまい込んでいたラブレターを意中の人に見られた乙女のような顔になる。


「本当にバカですよね。自分でもどうかしていると思います。けれど、その時のわたしは仕事へ行ってしまったシルヴェスター様になんとかして戻ってきてほしくて……」


 マリアンネは上目遣いに夫を見た。


「まさか、本当に帰ってくるとは思っていませんでした。しかも帰城しただけではなく、わたしを溺愛すると言い出すなんて……」


 マリアンネは難しい顔になっている。


「魔法は実在するのでしょうか。けれど、所詮(しょせん)は術で得た愛。だから、わたしたちの関係はどこか普通ではないのかもしれませんね」


「私の気持ちとまじないは関係ない」


 シルヴェスターはきっぱりと言い切った。


「私は君を愛している。だが、それは私が自分で決めたことだ。魔法があるのは否定しないが、そんなものはただのとっかかりに過ぎない。呪文では真に人の心は動かせないのだから」


 シルヴェスターは魔法については詳しくないが、そう断言することができた。


 魔法で愛が作り出せるのなら、母がとっくにそうしていただろう。それで、夫の心を取り戻していたに違いない。


 それに、わざわざシルヴェスターの時を戻すなどという面倒な手段を取る必要もなかったはずだ。術をかけ、息子の心に妻への思いやりを強制的に植えつければいいだけの話なのだから。


「シルヴェスター様は魔法だとか、その手のことを信じるのですね。少し意外です」


 この身で体験したのだから、信じないわけにはいかないだろう。


 シルヴェスターがそう返す前に、マリアンネは話を戻す。


「そうまで言われてしまうと、この状況は魔法とは無関係だと思わざるを得ませんね。愛されなかった二人が愛に慣れるまで、わたしたちはおかしな夫婦のままというわけですか」


「私は君といられるのなら、おかしな夫婦でも構わないが」


「……そうですね。わたしもそれでいいです」


 シルヴェスターは妻をそっと抱擁した。相変わらず、力加減を間違えればバラバラに壊れてしまいそうなほど薄い体だ。


「愛してる、マリアンネ」


 軽んじられることに慣れきってしまっているマリアンネ。そのせいで自己否定的になり、いつだって自信がないような顔をしている。シルヴェスターはそんな妻が不憫で仕方なかった。


 けれど、マリアンネからすればシルヴェスターも似たようなものなのかもしれない。


 氷の貴公子だと罵倒されるのが当然で、愛される価値はないと思っている。自分は非情な人間だと言い聞かせる内に声や顔から感情が抜け落ち、ますます冷たい男だと後ろ指を指されるようになった。


(私なんかと似ていると言われれば、マリアンネは嫌がるかもしれないな)


 シルヴェスターはこの発見を、胸の中にしまっておくことにする。


「いっそのこと、私の体を二つに裂いて、この心を見せてやりたい。そうすれば、マリアンネ以外が入り込む隙間などないことが分かるだろうに」


 シルヴェスターは抱擁を解いて、マリアンネの手のひらを自分の胸の上に当てた。


 マリアンネはグレーの瞳に蓋をする。まるで、シルヴェスターの心臓の鼓動に耳を澄ましているかのようだ。


「わたしもシルヴェスター様に信じていただくために、自分の胸を裂いたほうがいいかもしれませんね」


「それはやめてくれ。君に痛い思いはさせたくない」


「シルヴェスター様なら、そうおっしゃると思いました」


 マリアンネは朗らかに笑った。


「正直に言えば、どこかに不安な気持ちもあります。けれど、少しは胸を張ってみることにしますね。だってシルヴェスター様の妻として認められているのは、このわたしだけなのですから」


「そのとおりだ」


 シルヴェスターが頷くと、マリアンネがきらめく笑顔を見せる。


 彼女は太陽のような人だ、とシルヴェスターは思った。その笑顔を目にするだけで、体中がこんなにも温かくなるのだから。


 シルヴェスターの口元が緩む。マリアンネがハッと息を呑んだ。


「私も君の夫であることを誇りに思おう。何度でも言わせてくれ。愛している、と」


「では、わたしも……」


 マリアンネが何か言いかけたが、シルヴェスターは妻の口を自分の口で塞いだ。マリアンネは「もう!」とシルヴェスターの胸を叩く。


「わたしからの愛の言葉は受け取ってくださらないのですか?」


「夫をなじる時は胸ではなく頬を叩くんだぞ、マリアンネ。母のやり方を見ていたから間違いない。さあ、歯を食いしばっておくから思い切り平手打ちしてくれ」


「……どうしてシルヴェスター様の周りにはろくな教師がいなかったのでしょうね」


 マリアンネはぷいと顔を背けて一歩身を引いてしまう。彼女は暴力が嫌いなのかもしれない、とシルヴェスターは思った。


 けれど、いつまでもそっぽを向かれたままというのは寂しいものだ。シルヴェスターは妻のほうへ腕を伸ばした。


「おいで、マリアンネ」


 マリアンネはシルヴェスターのほうをチラリと見た。やがて、仕方なさそうに夫の手を取る。


 けれど、長いことつっけんどんな態度を取っているのは無理だったらしい。マリアンネはシルヴェスターの腕に自分の腕を絡ませ、夫に寄り添った。


「今日はもうどこにも出かけず、二人だけでゆっくり過ごそう」

「はい」


 シルヴェスターは妻の肩を抱いた。


 かつてこうされた時、マリアンネは過剰に恥じらったものだ。


 けれど今は違う。彼女は夫との触れ合いを心の底から望んでいるように見えた。


 ――わたしが愛しているのは、シルヴェスター様です。


(これがマリアンネの愛情表現か)


 自分の感じていることを行動で示す妻に、シルヴェスターは心を動かされる。マリアンネの愛を受け入れたいという気持ちが、段々と高まっていくのを感じていた。


(私もマリアンネに何かしてあげたい)


 これまでシルヴェスターは様々な方法でマリアンネを溺愛してきたが、その愛が一方通行でなくなったからには、もっと特別な手段で自分の気持ちを表現したいと思ったのだ。


「何かしてほしいことはないか?」


 シルヴェスターはマリアンネに問いかける。


「今は、いつもとは違ったふうに君を愛したい気分なんだ」

「そうおっしゃられても……」


 マリアンネは小さくうなる。


「わたしは夫婦仲が壊れなかっただけで充分だと感じています。できれば、永久(とわ)にこのままの関係でいたいものですが……」


「永久に……」


 その言葉で、シルヴェスターはあることを思いついた。


「結婚しないか、マリアンネ」

「もうしていますが」

「そうではなくて、式を挙げないかと聞いているんだ」


 シルヴェスターたちの結婚は、味気ない事務手続きで完了してしまったのである。当然、式など挙げていなかった。


「結婚式……」


 マリアンネが呟いた。シルヴェスターは妻の声がわずかに弾んだのに気づく。


「いいですね」


 マリアンネは熱のこもった口調になっている。


「実はわたし……幼い頃は花嫁に憧れていたのですよ。綺麗なドレスを着て、素敵な男性と素晴らしい結婚式に臨みたい、と。……少女にはありがちの夢ですが」


「だが、素敵な望みだと思う」


 シルヴェスターは妻の願いを叶えようと即決した。


「式を挙げるぞ、マリアンネ。ノルトハイム領で一番大きな会場を貸し切ろう。領民全員を招待して、君の花嫁姿を見せてやるんだ」


「そ、そこまではちょっと……」


 マリアンネが尻込みする。


「もっとささやかなもので構いませんよ。大事なのは規模ではありませんから」


 確かに、マリアンネは注目を集めて喜ぶようなタイプではない。シルヴェスターは計画を練り直す。


「では、式はこの城で行おう。招待客は……孤児院の子どもたちでどうだろう? もしかしたら、あの子たちの中にも幼い頃の君と同じ夢を見ている者がいるかもしれない。そんな子に、夢を叶えるとはどういうことか教えてあげるんだ。ただ……」


 シルヴェスターは悩ましげな顔になる。


「綺麗なドレスと素晴らしい結婚式は用意できるとしても、『素敵な男性』というのがな……。これは難問だ」


「花婿ならもういるではありませんか。まさかシルヴェスター様……式に出席なさらないおつもりですか?」


「そんなわけないだろう。君の晴れ姿、この目に焼きつけないでどうするんだ。ただ、私では『素敵な男性』の条件に合致していないのではないかと思ったんだ」


「そんなことはありませんよ。わたしにとって一番大事なのは、結婚相手がシルヴェスター様だということですもの。……替え玉を用意するなんて言い出さないでくださいね?」


「替え玉か。なるほど、その手が……」


「シルヴェスター様!」


 マリアンネは自分の腕でシルヴェスターの腕をぎゅっと締めつけた。替え玉作戦は諦めたほうがよさそうだ。


「分かった、私が出る。何事にも妥協は大切だ」


「何が妥協ですか。もっと自信を持ってください。わたしの夫であることを誇りに思ってくださっているのでしょう?」


(自信ならある。私は氷の貴公子だということに対する絶対の自信がな)


 シルヴェスターは心の中でそう返した。


 口に出さなかったのは、こんなことを言えばマリアンネが呆れるかもしれない思ったためでもあり、物理的に唇が塞がっていたためでもあった。


 マリアンネのすねたような口調がかわいくて、シルヴェスターは思わず妻の頭にキスを落としていたのだ。


 マリアンネがシルヴェスターのほうにさらに体を寄せた。少し体重を預けてくる。


 その仕草に妻からの確かな信頼を読み取り、シルヴェスターはもう一度、今度はマリアンネの唇に深々としたキスを贈りたくなった。


(……部屋までは我慢するか)


 シルヴェスターは心の内で踊り狂う熱い感情を必死で押さえ込んだ。その一方で、これを解き放ってしまえばどうなるのか少し興味もある。


 まったく、マリアンネといると愉快なことばかりだ。今まで知らなかった自分に、何度も何度も出会うことになるのだから。


 早く完全に二人きりになりたい。そして、思う存分マリアンネをかわいがってやりたい。


 そんな想いを込め、シルヴェスターは妻の栗色の髪に頬をうずめた。

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挿絵(By みてみん)
あき伽耶様が作成してくださいました!
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