わたしが愛しているのは……(2/4)
二人の間に沈黙が流れた。
(マリアンネが私を愛している……?)
シルヴェスターには、マリアンネの言葉の意味がよく分からなかった。
「すまないが、もう一度言ってくれないか」
「……わたしが愛しているのは、シルヴェスター様です」
「もう一回」
「……シルヴェスター様を愛しています」
「私もマリアンネを愛している」
「……」
「……」
二人は一瞬だけ顔を見合わせたが、マリアンネはすぐに視線をそらしてしまった。
「嘘をおっしゃらないでください」
「嘘を言っているのは君だろう」
シルヴェスターは困惑しながら反論した。
「マリアンネが私を愛しているわけないじゃないか。君には恋人がいるんだろう?」
「いませんよ、そんな人。恋人がいるのはシルヴェスター様のほうではありませんか」
「私に恋人が? 何の話だ?」
二人は今度はもう少し長い時間、顔を見合わせた。
何が起きているのか分からなくなったシルヴェスターは、「状況を整理しよう」と提案する。
「マリアンネは私と離縁して恋人と結ばれようとしている。そうだよな?」
「えっ……違います。シルヴェスター様こそ、わたしにはすっかり愛想が尽きてしまったのでしょう?」
「それは何の冗談だ? 愛想なんて尽きていない。私は君を愛しているんだ。もう何度も言っているだろう」
マリアンネの大きな瞳に、複雑な感情が浮かぶ。シルヴェスターの話を信じたいと思っている一方で、何かがその気持ちに歯止めをかけているようだ。
ふと、シルヴェスターは気づいた。もしかしたら自分たちは、何かとてつもない勘違いをしているのではないか、と。
「マリアンネ、どうして君は私に恋人がいると思ったんだ。……もしかして孤児院でのあの出来事か?」
マリアンネの肩が強ばる。やはりそういうことか、とシルヴェスターは納得した。
「あれなら何でもない。彼女からの求婚はきちんと断った」
「求婚したのはシルヴェスター様のほうではないのですか? 指輪をあげていたでしょう」
「私はマリアンネ以外に指輪を渡したことはない。それに、彼女は結婚できる歳じゃないんだ。プロポーズなどするわけがないだろう」
「……はい?」
「あの子はまだ三歳だ。婚姻が可能となるには十年以上も……」
「待ってください」
マリアンネがシルヴェスターの話を遮った。
「一体何のことですか? シルヴェスター様の恋人は孤児院の副院長先生でしょう?」
「副院長? なぜ彼女が出てくるんだ?」
シルヴェスターはきょとんとした。
「私が話していたのは、孤児院で預かっている少女が『シルヴェスターさま、けっこんしてください!』と言った時のことだ。君はそれを気にしていたんだろう? だが、心配しなくていい。その子には『あいにくと、私にはもう妻がいるんだ』と言っておいた」
「……さすがにそんな無邪気な求婚には妬いたりしませんよ。わたしの頭の中にあったのは……もっと別のことです」
マリアンネは気まずそうな顔で事情を話し始めた
「シルヴェスター様は、副院長先生とコソコソと会っていらしたではないですか。長旅から帰ってきた時も、真っ先に彼女のところへ行きました。それに、指輪だって……」
マリアンネは、胸の前で指を組んだ。
「副院長先生は指輪を受け取らなかったのでしょう? だから、代わりにわたしにくださったのですよね?」
「結婚指輪を使い回しにするわけがないだろう。あれは初めから君に贈るつもりだったんだ。副院長が持っていたのは、配達係が間違えたからだ」
副院長に指輪を届けたのはダスティンだ。彼はわざとやったらしいが、そこまで言う必要はないだろうとシルヴェスターは判断した。
(ダスティンの作戦は見事に成功だな。マリアンネがあの件でこんなにも不安を抱えていたとは……。マリアンネを困らせたのはよくないが、彼は人の心の機微を読み取るのがかなり上手いらしい)
まだまだ人の気持ちを察するのが苦手なシルヴェスターは、ダスティンの手腕を素直に認めた。
「私が副院長と会っていたのは……ある問題を解決するためだった」
「ある問題?」
マリアンネが首をかしげた。彼女の表情には、まだ疑心暗鬼がまとわりついている。
ここまで来たら、もはや例の秘密を隠し通すことは難しそうだ、とシルヴェスターは思った。軽く深呼吸をして、本当のことを話す覚悟を決める。
「君が作ってくれたマフラーをただの毛糸に戻してしまったんだ。本当にすまない」
シルヴェスターは頭を下げた。
「副院長は編み物が得意らしい。だから、彼女にマフラーを直してもらっていた。せっかくのマリアンネからの贈り物をダメにしてしまったことが、仕事の間も気がかりで……。だから、ノルトハイム城に帰る前にマフラーがどうなったのか見たくて、副院長のところへ行ったんだ」
「そう……だったのですか……」
マリアンネは拍子抜けしたような顔をしている。怒らせてしまっただろうかと思い、シルヴェスターはもう一度「申し訳なかった」と謝った。
「こんなことを知ったら君が不愉快になるのは分かっていた。だから黙っていたんだ。そのせいで副院長との関係を疑われることになるなんて、まったく考えていなかった。……君が私を嫌うのも当然だな。あちらを立てればこちらが立たず。どうやら私は、あまりいい夫にはなれそうもない」
(やはり私は氷の貴公子だな)
シルヴェスターは自嘲した。
(マリアンネを愛すると誓ったのに、辛い思いをさせてしまった。結局のところ、私には人を愛することなどできなかったというわけか)
これではマリアンネが離れていくのも当然だ、とシルヴェスターは肩を落とした。
けれど、彼女は思ってもみなかったことを言う。
「嫌ってはいませんよ」
マリアンネがシルヴェスターの背中をそっとさすった。
「愛しているとお伝えしたではありませんか。……シルヴェスター様は信じていらっしゃらないようですが」
マリアンネが苦笑した。彼女の声の調子が少し軽くなっていることにシルヴェスターは気づく。
「なんだか色々と疑ってしまって、わたしってバカみたいですね。……ですが、せっかくですから気になっていたことは全て解決させていただきます。娼館で遊んでいたというのは本当ですか?」
「遊んではいない」
マリアンネの口調に詰問するような響きが感じられなかったことを、シルヴェスターは意外に思った。まるで、夫が否定すると分かっていたようだ。
娼館と聞いたシルヴェスターは、先月の出来事を思い出していた。
彼があんな場所へ足を運んだのは、これまでの人生であの一度きりだ。だから、マリアンネが何のことを言っているのかすぐに分かった。
「私はあそこで父の話を聞いていただけだ。あの時は本当にひどい目に遭った。身ぐるみを剥がされて襲われかけたんだぞ。父はあんな場所の一体どこがよかったのだろう」
「シルヴェスター様って、本当に真面目なのですね」
心の底からの疑問を口にするシルヴェスターに、マリアンネが少しおかしそうに返す。
娼婦にも同じようなことを言われたが、シルヴェスターにはマリアンネに褒められたことのほうがずっと誇らしく感じられた。
「ダスティンを雇ったのはシルヴェスター様だと聞きましたが?」
「それは本当だ。まさか彼がマリアンネの幼なじみだったとはな。あとで知って、驚いた」
「事情が分からないままにお城で働かせていたのですね。……シルヴェスター様。わたしは……」
「ダスティンのことなら何も言わなくていい。君は彼を選ばなかった。それだけ知っていれば充分だ」
「……そうでしたね」
マリアンネは軽く笑った。
「シルヴェスター様はそういう方でした。あなたは心が広い。けれどそれはわたしへの無関心の現われではなく、ただシルヴェスター様が優しいというだけのこと。それなのにわたしは勘違いをして……」
「別に私は優しくないだろう。いきなり何を言い出すんだ、マリアンネ」
自分の冷たさを嫌というほど理解しているシルヴェスターは肩を竦めたが、マリアンネは微笑んだだけで何も口にしなかった。





