頼れる友人(1/1)
ダスティンが去っていくのを見届けたあと、シルヴェスターはマリアンネを探して建物の中に戻った。
――だからって、あなたと行くことはできないわ!
マリアンネは、ダスティンの駆け落ちの申し出をはねつけた。
それはつまり、彼女はダスティンではなくシルヴェスターを選んだということではないのか。
そうと気づいた時、シルヴェスターはこうしてはいられないと思った。どうしても彼女に伝えておかなければならないことがある、と。
シルヴェスターが妻の居所として真っ先に思い浮かんだのは談話室だったが、使用人に話を聞くと、彼女は自室にいるとのことだった。
「誰も通さないでほしいとおっしゃっていました。なんだか思い詰めたようなご様子で……あれはただ事ではありませんよ」
使用人は心配そうに頬に手を当てる。シルヴェスターの胸に嫌な予感が広がっていった。妻の部屋に向かう足が、自然と速くなっていく。
「マリアンネ、いるのか?」
ノックをしてから、シルヴェスターは室内の妻に呼びかける。
「少し君と話したいことがある。入ってもいいか」
返事はない。シルヴェスターは不安を覚えた。
「誰とも会いたくないそうだが、気分が優れないのか? 体調が悪いなら医者を呼ぶが」
だが、マリアンネは何も答えない。シルヴェスターは、ひょっとしたら中でマリアンネが倒れているのではないかと心配になってきた。
ドアが開いたのは、シルヴェスターが妻の安否を確かめるために、無理やり室内に押し入る方法を考え始めた時のことだった。
出てきたマリアンネは、見るからにどんよりとした様子だった。やはり病気なのかとシルヴェスターは頬を強ばらせる。
「大丈夫か、マリアンネ」
シルヴェスターは妻の肩に手を置いた。細身の体は冷え切って冷たくなっている。シルヴェスターは自分の上着を脱いでマリアンネに羽織らせてやった。
「医者を連れてくるから、温かくして寝ているといい。必要なものがあれば、使用人に持ってこさせよう」
「……シルヴェスター様、これを」
マリアンネは、持っていた何かをシルヴェスターの手の上に置いた。見覚えのある小箱に、シルヴェスターはなぜか動揺を覚える。
中を確認すると、マリアンネに贈った指輪が入っていた。
「お返しいたします」
「……デザインが気に入らなかったのか?」
シルヴェスターはクッション台の上で煌めいている指輪を見つめた。これを注文した時は、さぞやマリアンネが喜ぶだろうと思ったのに、今ではこの輝きがどこか虚しく感じられる。
「すまない。君の意見も聞くべきだったな。今度はもっと違ったものを贈ろう」
「何もいりません」
マリアンネは小さく首を横に振った。
「わたしは初めから何も望むべきではなかったのです。それなのに、本当に愚かでした」
マリアンネはグレーの瞳を潤ませながら小箱を見つめる。
「以前のわたしなら、悲しみに暮れつつもその小箱の中身を受け取っていたでしょう。けれど、今のわたしには無理です。自分の気持ちを自覚してしまった今のわたしには……」
「マリアンネ? 何を言っている?」
とっさに出た質問だったが、シルヴェスターはこんなことを尋ねたのを早くも後悔し始めた。この問いの答えを聞かされたら、間違いなく後悔するだろうと直感したのだ。
その予感は正しかった。
「シルヴェスター様、わたしと離縁してください」
離縁。
その言葉を聞いた途端にシルヴェスターの頭は真っ白になり、呼吸が止まりそうになった。
マリアンネがシルヴェスターを見上げる。その拍子に彼女の肩からシルヴェスターの上着が落ちたが、マリアンネはそれを拾おうとしなかった。
「分かっていました。わたしはただ、幸せな夢を見ていたのだと。たった一カ月の間でしたが、シルヴェスター様との結婚生活はとても楽しかったです。愛されていると……そう思うことができたから。……それがわたしのただの思い込みだったとしても」
「……マリアンネ、何を言っているんだ」
理解が追いつかない。耳に入ってくるマリアンネの言葉が何を意味しているのか、さっぱり分からなかった。
「ですが、もう何もかも終わり。仕方がなかったのです。いいことほど長続きしないものなのですね。……失礼します」
マリアンネは部屋へと引っ込んでいった。シルヴェスターは固く閉ざされた扉の前に立ち尽くす。
(……なぜこんなことになってしまったんだ)
手の中の小箱がやたらと重く感じられ、シルヴェスターは腕をだらりと下げた。
(マリアンネは私を選んだわけではないということか? だから離縁を切り出した? 私はどうすればいいんだろう……)
シルヴェスターはショックで頭がぼんやりとし、まともにものが考えられなくなっていた。だが、放っておいても事態がよくなるわけではないことは明白だ。
そんなシルヴェスターの脳裏を父の言葉が駆け抜ける。
――友人は多ければ多いほどいいものだ、シルヴェスター。一人では解決できないことも、友の力を借りれば何とかなることもある。
(マフラーが解けてしまった時、ボリスは私の力になってくれた。それなら今回も……)
藁にも縋る思いでシルヴェスターは城をあとにする。向かった先は孤児院だ。
「シルヴェスター? いつ帰ってきたの?」
出迎えてくれたボリスが目を丸くする。
「皆にも会っていってよ。どいつもこいつも寂しがっててさ。慰めるの、大変だったんだから」
「君はどうだったんだ」
シルヴェスターは数週間ぶりに見る友の顔をじっくりと観察した。シルヴェスターが城を空ける前と変わらずにそこにある三白眼やそばかすに、強い安心感と懐かしさを覚える。
(最後に会ってからそこまで日はたっていないはずなのだが……。これが友情というものなのだろうか?)
少しむず痒いような、それでいて不快ではない心地。久しぶりにマリアンネと再会した時に感じたのとは別の気持ちが、シルヴェスターの胸を満たしていた。
「オレ? オレは別に……ううん、寂しかったよ」
ボリスは照れくさそうに笑った。
彼もまた、シルヴェスターと会えたことを嬉しく思っているのだろう。父がたくさんの友人を持っていた理由が分かった気がする。こうして誰かから温かな感情を向けられるというのは、いいものだ。





