マフラーに起きた悲劇(2/2)
帰宅したシルヴェスターは脇目も振らずに自室に直行して、クローゼットにしまっておいたマフラーの残骸を取り出した。
(……なんとか修復しなければ)
色々と考えた末、シルヴェスターは裁縫室から編み棒を持ってくることにした。机には図書室で借りてきた『編み物入門』というタイトルの本を広げる。
(元の形に戻せればいいんだが……)
初めは使用人に頼もうかとも思ったが、何かの拍子でマリアンネに秘密を知られたら困る。自力で編み直すのが一番だろう。
だが、絡まった毛糸を解こうとしただけで自分の手を縛ってしまうほど不器用なシルヴェスターである。修復作業はかなり難航した。
(なぜこんなことに?)
気づけば、シルヴェスターの体はミノムシのように毛糸でグルグル巻きになっていた。
毛糸を切らないように苦労しながら何時間もかけてそこから抜け出す頃には、シルヴェスターはぐったりとして編み棒をつかむ気力すら失せている。
(マリアンネが編み物をしている最中に慌てているところは見たことがない。きっと、彼女は縄抜けの方法を心得ているのだろう)
編み物ができるようになるためには、まずは体に毛糸が巻きついても上手く脱出する方法を学ぶのがいいかもしれない、とシルヴェスターは思った。
だが、『編み物入門』のどこを探してもそんな記述はなかった。これでは初心者向けの本として失格ではないか、とシルヴェスターはため息を吐く。
(それとも、経験を積めば何とかなるのだろうか)
だが、気力を振り絞って編み物を再開しても、一向にシルヴェスターが縄抜けを習得できる様子はなかった。
それどころか危うく自分の首を毛糸で締めそうになり、命の危機を感じたシルヴェスターは、やむなく作業を中断する。
(困ったな。どうしようか……)
いっそのこと、マリアンネに正直に話そうかとも思ったが、彼女の残念がる顔を想像するとそれもためらわれた。
悩んでいる内に日は過ぎ、とうとう城を空ける前日になってしまう。
転機が訪れたのは、そんな折のことだった。
「どうしたの、シルヴェスター」
孤児院を訪問したシルヴェスターに話しかけてきたのはボリスだった。
「なんか今日は元気ないじゃん。ひょっとして、明日からの仕事が嫌とか? それならやめておけばいいのに。皆も寂しがってたよ」
前回の訪問でシルヴェスターが「当分は孤児院へ来られない」と言った時、子どもたちはかなりショックを受けていた。中には泣き出してしまう子もいたほどだ。
「確かに私も長期の不在は気が進まない。だが、今悩んでいるのはそのことじゃないんだ」
「じゃあ何?」
「それは……」
ボリスがあまりにも自然な口調で尋ねてくるから、シルヴェスターはうっかりと秘密を喋りそうになって慌てて口を閉ざした。
(危ないところだったな。これは私一人で対処しなければならない問題だというのに)
シルヴェスターは首を左右に緩く振る。
その時、昔父に言われた言葉が蘇ってきた。
――友人は多ければ多いほどいいものだ、シルヴェスター。一人では解決できないことも、友の力を借りれば何とかなることもある。
(友の力……)
ボリスはシルヴェスターの友人だ。相談してもいいのだろうか? とシルヴェスターは自問する。
(父は私に色々な助言を残してくれた。これまでのところ、そのどれもがきちんと役に立っている。ならば今回も……)
シルヴェスターは父と違ってたくさんの友人がいるわけではないが、量より質という言葉もある。ボリスならきっといい案を出してくれるに違いないとシルヴェスターは思った。
シルヴェスターは辺りをキョロキョロと見回し、マリアンネの姿がないことを確認する。
念のために教室の隅に移って、子ども用の小さな椅子に腰かけ、声を抑えて幼い友人に悩みを打ち明けることにした。
「実は、マリアンネからの贈り物をダメにしてしまったんだ」
「ええっ、大変じゃん!」
ボリスは大声を出したものの、すぐに事の重大さを悟って口に手を当てる。
しっかりした子だ、とシルヴェスターは感心した。彼に悩みを聞いてもらうという選択は間違っていなかったようだ。
「贈り物って何?」
「手編みのマフラーだ」
「ああ、いつもしてるやつか。だから今回も前来た時も巻いてなかったんだね」
「素晴らしい観察眼だな」
シルヴェスターはボリスの目のつけ所のよさに感心する。
「自分で編み直そうとしたが、どうも上手くいかない。それで困っていたんだ」
「だったら、うちの副院長先生に頼めば?」
「副院長? 彼女は編み物が得意なのか?」
「うん。冬になると、毎年オレたちに靴下を編んでくれるんだよ」
「そうだったのか……」
いいことを聞かせてもらったと思い、シルヴェスターは変わり果てたマフラーを発見してから初めて心が軽くなるのを感じた。早速、副院長に会いに職員室へ向かう。
「ご領主様にはお世話になっていますからねえ。私に協力できることならお手伝いしますよ」
副院長は四十代半ばの女性だ。
一生をこの施設にいる子どもたちに捧げる気でいるらしく、結婚は一度もしたことがないそうだが、普段から幼子と接しているためか、どこか母親的な性格の強い人物である。
分厚い眼鏡をかけた、これといって特徴のない顔立ちだけれども、それがかえって親しみやすい印象を与えていた。
「ですが、現物を見ないことにはどうとも言えませんわ」
それならば、とシルヴェスターはこっそりと馬車を飛ばしてノルトハイム城に戻り、毛糸の束になったマフラーを持ってきた。
副院長は眼鏡をクイッと指先で押しながら、マフラーのなれの果てを見つめる。
「どうだろうか?」
シルヴェスターは縋るような思いで尋ねる。副院長は「そうですねえ」と呟いた。
「毛糸がすっかりダメになっているところもありますし、これでマフラーを編み直すのは……」
「無理、なのか……?」
シルヴェスターの心をじわじわと絶望が浸食する。領主の顔から血の気が引いていくのを見た副院長は、気の毒そうな目で再度哀れなマフラーを検分した。
「この毛糸はもう使えないでしょうが、同じ色の別の糸なら近くのお店で売っているところを見たことがあります。それを使用すれば、何とかなるかと」
「つまり……直せるんだな?」
シルヴェスターの声に張りが戻ったのを聞きつけた副院長は、子どもに誕生日プレゼントを渡す母親のような顔で「ええ」と言った。
「ご領主様がいつも身につけているところを見ていますから、完成図も頭に入っていますわ。明日からお仕事で一カ月ほどお出かけでしたね? お帰りになる頃には、作業も終わっていると思います」
「ああ、ありがとう……!」
シルヴェスターは神像を拝むように胸の前で指を組み合わせた。
副院長とは孤児院に来た時しか顔を合わせないし、マリアンネに秘密がバレることもないだろう。
あとは、副院長がマリアンネにこのことを話してしまわないように釘を刺しておけば完璧だった。
「もう一つだけ注文をしてもいいだろうか? この件は、マリアンネには黙っていてほしいんだ。贈り物のマフラーがこんなことになってしまったと知ったら、彼女はさぞや……」
「わたしがどうかしましたか?」
背後から声がして、シルヴェスターは肝を冷やした。マリアンネが職員室の入り口から中を覗き込んでいる。
「マリアンネ……どうしてここに?」
「そろそろ帰る時間が来たのに、シルヴェスター様のお姿が見えないから探していたのです。副院長先生とお話ししていたのですね」
マリアンネが職員室の中に入ってくる。
彼女はまだ解けてしまったマフラーを副院長が持っていることに気づいていないようだが、これ以上近づくと異変を察知されてしまうかもしれない。
焦ったシルヴェスターは、「話はもう終わった」と言って、マフラーをマリアンネの視界から隠すように彼女の前に立ち塞がった。
「探させてしまってすまなかったな。では、帰るとしよう。……副院長、あの件は頼んだぞ」
「お任せを」
万事心得ている副院長は、毛糸を服の中に隠してから一礼した。シルヴェスターはほっとして職員室を出る。
秘密を隠しおおせたことに安堵していたシルヴェスターは、マリアンネが奇妙な顔をしていることにまったく気づいていなかった。





