『死に行く生者に手向けの涙を』
人と魔物、両者がぶつかり合う。
戦場は瞬く間に、至る所から発せられる剣戟と雄叫びによって埋め尽くされる。
最前線に立つノアールは白い鎧であるということもあり、多数の魔物たちから標的にされていた。
小鬼が石器のナイフを振り回し、豚鬼が手にした棍棒を叩き付ける。
しかし、それらの攻撃がノアールに届く前に、魔物の身体は魔剣によって両断される。
犬小人や悪妖精、人鬼など、多種多様な亜人系の魔物が一斉にノアールへと襲いかかるが、どれも魔剣の一振りによって屠られる。
白い鎧は瞬く間に血で赤く染め上げられ、色と匂いに反応した魔物がさらに押し寄せる。
だが、それら低位の魔物がどれだけの数集まろうと、ノアールの前には単なる雑兵でしかなく、足止めにすらならない。
スタンピードを構成する魔物の大半は、等級が下級や上級などの魔物だ。
その中でも、下級に指定される小鬼や犬小人といった魔物は、戦闘経験の乏しい者でも十分に倒すことが可能である力しか持たない。
ノアールが魔剣を大振りに振るい剣気を放つと、直線上にいた数十匹の魔物が断ち斬られる。
例えこの程度の魔物が1000匹束になって掛かってこようとも、ノアールには傷一つ付けることはできないだろう。
他の高位冒険者にとっても同じ事が言えた。
真魔鋼級冒険者のアランは、かなりの重量を誇る大剣を両手で振るい、一度に数体の魔物を豪快に斬り裂く。
対して聖霊銀級冒険者のルークは、装備の身軽さを武器にして、小盾で魔物の攻撃を受け流しつつ、片手剣の連撃により、魔物を次々と屠っていく。
ヴァーノルドも自慢の戦鎚を振り回し、迫り来る魔物の群れを向かい撃つ。
それでも、数多くの魔物が先頭集団を突破し、後方へと流れ始める。
戦況は次第に激しさを増していき、混戦へと発展していった。
人と魔物が入り乱れ、足元には血肉が散らばり、戦場一帯に独特の臭気が充満する。
押し寄せる魔物の大半が、一般人でも討伐することのできる低位の魔物であっても、数が集まれば脅威となり得る。
目の前の相手に気を取られた隙に、背後からの攻撃を食らう者。
複数体の魔物に襲いかかられ、捌ききれずに倒れる者。
負傷者の数は徐々に増え、治療を受ける人々によって後方部隊は忙しなく動いていた。
この時のシオンは、配置された後方部隊に近い場所で魔物の対応に当たっていた。
周囲からシオンは魔物調教師との認識をされているので、戦闘の主軸はシリウスだ。
シリウスは悪妖精を前脚の鉤爪で斬り裂き、突進してくる豚鬼の首筋に噛み付いてその息の根を止めたりと、魔法の使用を控えながらも魔物を討伐していた。
シオンも『火弾』や『岩弾』といった低位の魔法で魔物を討伐していく。
この事からも分かるように、彼女らは意図的に、自分たちが銀級冒険者以上の働きをしないように抑えていた。
その理由は、戦場で目立たないため。
本来の実力をシオンが出せば、開幕の一撃で数千、上手くいけば万に届く数の魔物を屠ることが可能だった。
シリウスについても影魔法を使用した場合、魔物の殲滅速度は今の数倍以上となる。
しかし、力を持つことが周囲に知れるのは、必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。
持たざる者による嫉妬。
勝ち馬に便乗しようと集ってくる金の亡者。
自身の配下や派閥に取り込もうと躍起になる貴族連中。
軽く考えただけでも、力を振るうことによるディメリットが、メリットの方を遙かに凌駕する。
シオンが冒険者として活動するに当たって、ノアールという代役を立てた理由もそこにあった。
いざこざは全てノアールに押し付け、自分は気ままに一般の冒険者として魔物を狩ることができればそれでいいというのがシオンのスタンスだった。
何も間違ってはいない。
むしろ正しいだろう。
この世界は多くの場面で男尊女卑がまかり通る。
ウォーデスの町のように、住民が差別感情を持たない土地もあれば、中には女を奴隷のように扱う土地もある。
それは魔物の脅威に対抗する冒険者や兵士、騎士といった存在が、ほぼ全て男だからだ。
もちろん、冒険者や騎士には女もいる。
彼女らの中には、男よりも魔法や剣技が優れている者も多数存在し、高位冒険者や騎士団でも上の地位に就く場合があるのだが、やはり男に比べるとその数は少ない。
それにより、どうしても腕力のある男が優遇される構図が出来上がってしまうのだ。
仮に、シオンの力が公になったとしたら、その見た目や女であることから、多数のトラブルに見舞われる事は明らか。
だから彼女は、最後まで手を抜いて戦うつもりだった。
その時までは――
◆◆◆
戦闘は時間が経つにつれて、より激しさを増していく。
それに伴って戦死者が出るのは必然だった。
戦いに慣れていない義勇兵は単純に戦闘技術が乏しい。
そのため、冒険者や兵士に比べると、継戦能力が圧倒的に低い。
そもそもが武器の扱いに慣れていない一般人なのだ。
単に剣や棍棒を振るうだけでも多くの体力を消費する。
時間が経てば経つほど疲労が蓄積されていき、集中力が切れ、動きが鈍くなったところを魔物に殺されていく。
同じ事は冒険者や兵士にも言える。
彼らは戦いに慣れていると言っても、中身は単なる人間に過ぎない。
一般人と比較すれば体力も筋力も多いが、だからといって疲れない訳ではない。
階級の低い冒険者は特に顕著で、油断したところに魔物の不意打ちを受け、そのまま亡くなる場合が多かった。
一時間、二時間と経過しても、魔物の勢いは衰えることを知らない。
それでも戦線が崩壊しないのは、最前線で戦闘を繰り広げる高位冒険者たちの働き、ヴァーノルドの指揮、後方部隊からの支援、そして何より戦う者たちの志気の高さだろう。
なぜ、彼らの志気が高いのか。
それはウォーデスの立地に大きく関係がある。
『黒の魔境』に隣接するということは、魔物の脅威に晒されるのと同義だ。
それはスタンピードのような大規模な魔物の侵攻に関わらず、日常的に魔物の襲撃に気を張る必要がある。
町の上空を怪鳥が飛行していた場合。
森から出て隣町に商品を移送しようとした場合。
壁の外にある畑の様子を見ていた場合。
考えられるシチュエーションは幾らでもあった。
それら身近な危機に対し、魔境が冒険者達の手によって切り拓かれ、そこで生活を始めた当初から、人々は協力して立ち向かってきたのだ。
それは冒険者も例外ではない。
ここウォーデスでは、組合のから冒険者へのサポートが他の支部よりも手厚いことで有名だ。
一因として、冒険者の数が多いというのがある。
そして冒険者の母数が多くなれば、それだけ命を落とす者も多くなる。
『黒の魔境』は冒険者の間でも有数の危険地帯だ。
慎重を期して依頼を遂行していても、唐突に茂みから戦災級の魔物が飛び出してくるケースは珍しくない。
手厚い支援により、冒険者の死亡率を下げるという意味合いもあるこの政策だが、もう一つ別の側面があった。
住民であっても町から出る機会は多く、冒険者と同様に不運にも魔物の手に掛かる場合がある。
そうやって親を失った子はどうするのか。
幼い子でも手軽に金を稼げる職種――それが冒険者なのだ。
門番を務めていた兵士のロイが、まさに典型的な例だ。
ロイの両親はどちらも冒険者として活動しており、彼が幼い頃、依頼の遂行中に二人は亡くなった。
そのため彼は幼少期に冒険者として活動し、後に兵士となってウォーデスの町に駐在している。
彼が兵士を目指した理由は、冒険者として魔物を狩るよりも、住民を護りたいという思いが強かったためだ。
組合に町の店舗が協賛するのは、冒険者が魔物の脅威から守ってくれるからという理由もあるが、幼い子供を食いつながせる意味合いもあった。
そう、まさに幼少期のロイのような。
町の人々の温かさに触れ、ロイの魔物に対する復讐心は、いつしか住民たちへの愛に変わっていった。
「ロイ、下がれ! 前に出すぎだ!」
同僚の兵士から声が掛かるが、ロイは聞き入れようとしない。
手に持った魔鉄製の片手剣で目の前の豚鬼を斬り伏せ、次の魔物へとその切っ先を向ける。
ロイにとって今回のスタンピードは、町への恩を返す絶好の機会なのだ。
一体でも多くの魔物を屠り、スタンピードから町を護る助けになりたいという思いが、彼の身体を突き動かす。
息を切らし、返り血に塗れようとも、ひたすらに剣を振り続けた。
だが、強すぎる思いは、時に人の視野を狭める。
「ロイ!!」
同僚の叫ぶ声を聞くと同時に、ロイの首筋を激痛が走る。
ロイがそちらを見ると、一匹の小鬼が自分の首に短剣を突き立てているのが見えた。
もう一匹、小鬼が革鎧の隙間を縫うように、ロイの脇腹にも短剣を刺している。
醜悪な笑みを浮かべたそれらを剣の一振りで斬り伏せるがそこまでだった。
その場に倒れるロイに対して、トドメとばかりに大鬼が腕を振り上げた。
(ああ、ここまでかよチクショウ……)
その様子を呆然と眺めていたロイだったが、直後、大鬼が紅蓮の炎にその身を灼かれ、藻掻きながら絶命する。
何事かと思っていると、薄れゆく視界がロイへと近づく人影を捉えた。
「……シオン、か」
「喋るな! 傷が開く!」
ロイの同僚が彼の名を叫ぶ切羽詰まった声に、知人の危機を察したシオンが駆け付けたのだ。
しかし、一歩遅かった。
(傷が深い)
ロイが小鬼から受けた傷は、明らかに致命傷だった。
特に、首からの出血が酷い。
小鬼の使う短剣は、剣とは名ばかりの石を砕いて鋭くした石器のようなもので、歪に斬り裂かれた傷口からは大量の血が流れ出ている。
一か八かで回復の魔法薬をポーチから取り出すシオンだったが、その手をロイが止めた。
「無駄、だ」
「知るか、そんなこと!」
ロイの制止を振り払い、シオンはポーチから取り出した魔法薬の瓶のコルクを抜き、傷口へと掛ける。
出血は鈍化したが、それだけだ。
傷口からは今も、赤い血が心臓の拍動に押されて流れ出ている。
シオンが二本目の瓶を開けようとしたところで、彼女の腕をロイが掴んだ。
その力はとても死に体の人間に出せるものではなく、思わずシオンは彼の顔を振り向く。
口から大量の血を吐き出し、満足に呼吸すらできていないロイだったが、彼の目には確かな意思が宿っていた。
剣が握られている手が目の前へと突き出される。
既にロイには言葉を発するだけの気力も残ってはいない。
シオンが差し出された剣を受け取ると、ロイは満足そうな表情で瞼を閉じた。
気付けば、シオンの腕を握っていた手は力なく横たわっていた。
◆◆◆
「無事だったか、シオン!」
「おっさん……」
ロイの遺体を後方部隊に運んだシオン。
そこで会ったのは串焼きの出店の主人、ダミアンだった。
ダミアンは肉串を購入するとき同様、張りのある声といい笑顔でシオンの安否を喜ぶ。
一方でシオンの顔は暗い。
その理由は――
「その腕、どうしたの?」
ダミアンの左腕は肩の辺りから失われ、失血を抑えるために布できつく縛られていた。
僅かに滲む血が生々しい。
「ああ、これか? ちっと豚鬼にやられたんだよ」
「……」
「アイツ、土壇場で棍棒捨てて噛み付いてきやがってな? 正々堂々勝負しろってんだ」
「……」
「……辛気臭い顔すんなよ。片腕でも十分、串は焼けるぜ?」
その言葉がやせ我慢でないことが分かるからこそ、余計に痛ましく感じる。
ファンタジー情緒溢れるこの世界であっても、人体の欠損を治す手段は限られる。
流通量が極端に少なく、市場に出れば白金貨百枚単位の値が付けられる秘薬や、魔法を極めた者しか行使することのできない高位回復魔法など、どれも一般人が手を出せるものではない。
ポーション一本でどうにかできる話では無いのだ。
黙り込むシオンに声を掛けようとするダミアンだが、その時、陣の外がにわかに騒がしくなる。
森の木々をなぎ倒し、咆哮とともに姿を見せたのは、体長20メートルは優に超える巨人――単眼の巨人だった。
単眼の巨人は幻影級でも上位に指定される魔物で、高位冒険者であっても迂闊に手を出すことができない。
ましてや現在、ほとんどの高位冒険者は前線に集結しており、事態に気付いた者が対処に当たろうとも時間が掛かることが予想された。
唐突な魔物の襲来に、後衛部隊が慌てふためく。
「逃げろ、シオン!」
「……」
「おい、シオン――」
片腕で片手半剣を引き抜いたダミアンが、シオンにこの場から離れるように言う。
だが、当のシオンはダミアンの肩を軽く叩くと前へと進み出た。
すぐさま引き留めようとするが、そここでふと、ダミアンは違和感を覚える。
左肩に目を向ければ、失ったはずの腕がそこにはあった。
「シオン?」
「……」
ダミアンが再度シオンに声を掛けるも、彼女は応えない。
その背には他者を寄せ付けない、ある種凄みのようなものがあった。
単眼の巨人は、単身で自身の目の前へと進み出てきたシオンを標的に定め、彼女の身の丈程もある巨大な拳を振り下ろす。
無数の肉片が飛び散り、鮮血が大地を染める。
正中線で両断された単眼の巨人は、最後まで自らの死を知覚できなかったことだろう。
単眼の巨人の死骸が大地へと倒れ込む。
それによって生まれた風圧により、シオンの被っていたフードがはだけ、その美しい髪が露わになった。
遅れて、シオンの周囲には血の雨が降る。
彼女の頬を流れる雫は、濁った赤に染まっていた。




