『風が戦ぐ』
スタンピード発生から数時間が経過
日は天頂から随分と傾き、もう数時間も経てば日暮れとなり、周囲を森で囲まれたウォーデスの町は闇に閉ざされる事となる。
そうなればスタンピードの防衛は絶望的だ。
夜目が利かない人間に対して、魔物は僅かな星明かりを頼りに活動することが可能だ。
即ち、日が沈むまでの数時間が、防衛までのタイムリミットとなる。
夜が訪れれば問答無用で籠城戦に移行せざるを得なくなり、耐久力の低い町の壁を頼りに魔物と戦うしか道は残されなくなる。
最前線では現在に至るまで、ヴァーノルド以下、数名の高位冒険者たちが、押し寄せる魔物たちをひたすらに屠り続けていた。
周囲には倒した魔物の死骸が積み重なり、さながら地獄絵図の様相を呈している。
然れど、不気味な昏さを纏った『黒の魔境』の森からは、今も絶えず魔物が吐き出され続けていた。
戦災級上位指定の魔物――牛鬼の突進に合わせ、ヴァーノルドは戦鎚を振り下ろす。
1トンを軽く超える牛鬼の巨体と、土妖精であり小柄なヴァーノルド。
両者のウエイトの差は歴然だ。
にも関わらず、叩き付けられた戦鎚は牛鬼の頭部を完全に粉砕。
それだけでなく、勢いのあまりに大地が砕け、蜘蛛の巣状の亀裂が生じた。
同時に、ヴァーノルドの動きも止まる。
それを好機と見た三体の大鬼が、彼に向かって一斉に襲いかかった。
ヴァーノルドが数の暴力によって嬲り殺されるかと思われたが、大鬼たちの前に立ち塞がる者が現われる。
冒険者組合職員、狼獣人のガルだ。
ガルが手に持つのは、その外見からしてかなり重量があることを窺わせる両手軽大剣。
彼はそれを、まるで片手半剣でも振るうかの如く巧みに操り、一息で二体の大鬼の首を斬り飛ばして見せる。
獣人の身体能力と高い技術の融合した剣技の前に、戦災級の魔物など手も足も出ない。
だが、残る一体が仲間の死に脇目も振らず、ヴァーノルドへと向かって突貫する。
轟音を響かせながら、ヴァーノルドに大鬼の拳が振り下ろされる。
しかしその様な大振りの一撃を、見す見す食らう元真魔鋼級冒険者ではない。
ヴァーノルドは迫り来る拳を冷静に見切ると、逆に大鬼の脇腹へとカウンターを叩き込んだ。
骨が砕ける鈍い音に加え、臓器が破裂する確かな感触が、身に付けた籠手を通してヴァーノルドの手に伝わる。
「無茶しおってからに……腕は鈍っておらんか?」
「ハッ! 事務方仕事が板に着いてきたジジイよか、俺の方が断然動けるぜ」
「よく言うわい。お前さんも、近頃は運ばれてくる素材の解体しかしとらんじゃろ」
軽口を叩き合いながらも、二人は魔物を殲滅していく。
元は同じ小集団で活動していたこともあり、ガルとヴァーノルドの連携は非常に鮮やかなものだ。
互いが互いの足りない部分を補い合い、片方が晒した隙でさえ、もう一方が攻撃の起点として利用する。
強固な絆と厚い信頼関係が無ければ不可能な芸当だ。
既に万を超える数の魔物が、兵士や義勇兵、冒険者たちの手によって屠られた。
だが、それに反比例するかのように戦線は後退をはじめ、高位冒険者たちの間にも、僅かながら疲れが見えてきている。
人間離れした、高い身体能力を誇る高位冒険者といえども、所詮は人間。
その体力は無尽蔵ではない。
ましてや低位冒険者、義勇兵や町の兵士ともなると、疲労の度合いは顕著だ。
後衛部隊は治療を受ける者たちで溢れ、それまでに出た戦死者の数は200を超える。
終わりの見えない戦いに疲弊を見せ始めた人々。
現状を打開するには、スタンピードを引き起こした魔物を仕留める他ない。
斬り、斬られ。
殴り、殴られ。
殺し、殺され。
戦場はより苛烈さを増し、大地は赤に染まり、臓物がそこかしこに零れ落ち、屍の山は積み上げられる。
――地獄絵図
その言葉を初めに使ったのは誰なのだろう?
痛み、苦しみ、恐怖……ありとあらゆる負の感情が渦巻く世界。
断じてお伽話の幻想でも、空想が生み出したの産物などではけしてない。
そこは紛う事なき現実だった。
言葉にするのは簡単だろう。
だが、言葉にしてしまえば、途端に陳腐な妄言へと成り下がる。
全身に絡み付くような粘度の高い悪意の溜まり場。
人の心を持つ者がその場に立ち、広がっている光景を見たならば、誰しもがこう考えるだろう。
現在までに経験した全ての苦痛など、甘く優しい、夢の中の出来事であったのだと――
そして遂に、ヴァーノルドたちの待ち望んだ魔物が、血塗られた戦場へと姿を現わした。
「やっとお出ましかよ、散々待たせやがって」
「ガル、まだ動けるようならコイツの相手も付き合え」
――帝王豚鬼
豚鬼種の中でも最上位にして、冒険者組合では亜人系の魔物の最高位として指定されるする存在だ。
その等級は深淵級に相当する。
体長は3メートルと一般的な豚鬼を一回り程大きくしたような外観だが、秘めたる力は他の亜人系の魔物の追従を許さない。
深緑色の肌の下、分厚い筋肉と脂肪によって護られた肉体は、斬撃・打撃・魔法、全ての攻撃に対して高い耐性を有している。
防御面のみならず攻撃面でも圧倒的で、その膂力は似通った体型の大鬼を遙かに凌ぐばかりか、単眼の巨人でさえ圧倒する。
そして、帝王豚鬼が両腕に携えるのは二振りの柳葉刀。
大きく湾曲し、広い刃幅を持つそれは、一振りの全長が2メートルにも及ぶ。
刃が潰れているうえ、所々に刃毀れも見受けられる柳葉刀は、本来の"斬る"という使い方より"叩き潰す"に近い攻撃となるだろが、だからと言ってその攻撃力を侮っていい理由にはならない。
何かの骨――おそらく亜竜種の骨を削り出したものと思しきそれらは、夥しい量の返り血を浴びたことが原因か赤黒く変色し、禍々しいオーラを纏う妖刀へと変化している。
その刀身に触れただけでも、柳葉刀に籠もった呪いが敵対者の全身を蝕むことだろう。
尤も、呪い殺されるより先に、帝王豚鬼に叩き潰される事となるだろうが。
「来たぞ! ここからは作戦通り、高位冒険者は帝王豚鬼の討伐に当たれ!!」
ヴァーノルドの号令により、戦場の人々が気を引き締める。
高位冒険者が戦線から離脱した事を皮切りに、彼らが押さえ込んでいた魔物が最前線を突破し、戦場へ雪崩れ込む。
負傷者であっても、過剰摂取もかくやという量のポーションと体力回復の魔法薬で無理矢理に戦線へと復帰し、背水の陣で魔物の対応に対抗する。
数万にも及ぶ魔物の群れと1000人強の人々。
その戦力差は10倍以上。
現在まで戦線を維持できたのは、偏に人並み外れた戦闘能力を有する高位冒険者の存在が大きい。
彼らを一体の魔物の討伐に集中させるこの作戦は、一見すると無謀に思えるが、スタンピードから人々を護るにはこれしかなかった。
過去に例を見ない大規模なスタンピードは、とても冒険者たちの手に負えるものではない。
それは高位冒険者が全力を尽くしてもなお、町を防衛するには困難を伴うものだった。
よって、いち早くこのスタンピードを集結させることが求められる。
今回のスタンピードは、魔物たちが統率されることによって引き起こされたものだ。
つまり、その魔物さえ討伐できれば、統率者を失った魔物たちは森へと潰走していく。
帝王豚鬼を相手にするのは、ヴァーノルド、ガル、アラン、ルーク他、数名の冒険者たち。
その中にノアールの姿はない。
流石に全ての高位冒険者を帝王豚鬼の討伐に回してしまえば、ただでさえ危うい戦線が崩壊し、町まで魔物が雪崩こむ事になってしまう。
高位冒険者たちは帝王豚鬼を前に、それぞれの武器を構える。
ウォーデスの町の命運を分ける戦いが、今始まった。
帝王豚鬼は黄色く濁った瞳を大きく開くと、立ち塞がる冒険者たちを睥睨する。
まずはじめに狙われたのは、聖霊銀級冒険者のルークだ。
この集団の中で最も若く、経験の浅い彼は、帝王豚鬼から見て格好の的。
帝王豚鬼の姿が掻き消えた直後、柳葉刀の一撃がルークの目の前へと迫っている。
今まさに一つの命が散ろうとしたその瞬間、両者の間にヴァーノルドが割って入った。
「『砕破剛穿鎚』!!」
黄褐色に輝く魔力を纏った戦鎚が、目にも留まらぬ速度で振り下ろされた柳葉刀をかち上げる様にして迎撃する。
武器の等級、純粋な力量、そのどちらも比べるまでも無くヴァーノルドが劣っているだろう。
だが、振り上げられた戦鎚は柳葉刀の一撃を跳ね返し、さらには帝王豚鬼の上体すら大きく仰け反らせて見せた。
――戦技
それは天賦の才を持つ者が、たゆまぬ努力と研鑽の末に扱うことのできる奥義だ。
高位冒険者でも一握りしか使用することができないが、その威力は絶大。
己の魔力を武器に纏わせて放つ戦技は、魔法と同等、もしくはそれ以上の威力を発揮し、強力無比な一撃を可能とする。
「『爆炎刃』」
ヴァーノルドの作った隙に、すかさずルークが戦技を叩き込む。
彼の持つ片手剣が煌々と輝く炎に包まれる。
剣身に炎を宿した斬撃を放つ『爆炎刃』を喰らえば、如何に肉と脂肪の鎧に護られた帝王豚鬼とて無事では済まないだろう。
だが、流石は深淵級の魔物と言うべきか。
『爆炎刃』の纏う高濃度の魔力からその軌道を予見し、視線を外した状態であるにも関わらず、ルークの剣を柳葉刀で防いで見せた。
「『飛竜撃滅斬』」
背後へと回り込んだアランが戦技を放つ。
青藍の魔力に染まる両手重大剣が帝王豚鬼の脇腹を大きく抉り取った。
防がれる事を考慮した二段構えの攻撃。
無論、連携はこれだけに止まらない。
「ジジイ、避けろよ!」
「やれ、ガル!」
「『薙雲』!!」
ヴァーノルドが退避するのと同時に、裂帛の気合いを伴いガルの両手軽大剣が振るわれる。
その剣身から放出された鋭い斬撃波は、帝王豚鬼の胴を袈裟斬りにした。
高威力の戦技が二撃。
これにはさしもの帝王豚鬼であっても膝を着かざるを得ない。
「畳み掛けるぞ!」
「「「応!!!」」」
好機と捉えたヴァーノルドが冒険者たちに指示を出す。
ここからは戦技無しでの戦いとなる。
戦技は高威力であるその特性上、大量の魔力と体力を消耗するため、闇雲に連発することはできない。
また、ただでさえ数時間に及ぶ魔物の掃討により、少なからず疲労が蓄積している現状で、これ以上の戦技を放つ事は致命的な隙に繋がりかねなかった。
「クソッ、岩かよコイツは!」
「焦るな! 時間をかけて確実に仕留めろ!」
帝王豚鬼は体表を魔力で覆うことにより、物理的な防御力を大きく上昇させる。
だからと言って焦っては元も子もない。
一瞬でも気を抜いたら最後、柳葉刀で斬り裂かれる事になるのは冒険者の方だ。
彼らは一撃離脱を念頭に、堅実な立ち回りを心掛ける。
帝王豚鬼の身体は瞬く間に血塗れとなった。
しかしヴァーノルドは、その様子にある種の薄気味悪さを感じていた。
戦闘開始時には僅かな様子見の後、すぐさま斬りかかってきた帝王豚鬼が、今では防戦一方となっている。
全身に魔力の鎧を纏ったまま一所に止まり、冒険者の致命的な攻撃を柳葉刀で受け流すのみ。
だが、未だその瞳に宿る闘争心は失われていない。
その様子はまるで、力を溜めているような――
「ッ!! 下がれ!!!」
ヴァーノルドが指示を出すのと同時に、帝王豚鬼が吼えた。
天が震えるかのようなその咆哮に、冒険者たちの動きが止まる。
帝王豚鬼は二本の柳葉刀に莫大な量の魔力を流し込むと、足元へと打ち付けた。
――戦技『竜狩り』
大地に激震が走り、爆音とともに周囲へ無数の石塊が飛散する。
これには、帝王豚鬼との戦闘に参加していない者の多くも負傷した。
高位冒険者であっても回避や防御が間に合わなかった者が被弾し重傷を負うこととなる。
土煙が晴れた戦場には、柳葉刀が炸裂した地点を中心に、直径30メートルのクレーターが形成されていた。
とは言え、それだけの技を放った帝王豚鬼の消耗も凄まじい。
魔力は底を突きかけ、蓄積したダメージによって満身創痍だった。
「今だ! 押し切れ!!」
「『治癒の光』」
戦闘中に悠長な回復を行うのは命の危険に繋がる。
その場合は魔物を討伐するか、もしくは逃走の後に安全を確保した上で傷を癒やすことが最善となる。
致命的な傷のみをポーションや回復魔法で癒やした冒険者たちは、再び武器を構え直し、帝王豚鬼へと立ち向かった。
対する帝王豚鬼も残り少ない力を振り絞り、冒険者たちを迎え撃つ。
――風が戦ぐ
飛沫。
赤に染まる大地。
人も魔物も、皆誰もが声を失い、その場に呆然と立ち尽くす。
時が止まったような無音の中、鈍い音が鮮明に響く。
それは宙を舞った帝王豚鬼の頭部が地面へと落ちた音だった。
いつの間にか戦場に"ソレ"は立っていた。
それを視界に入れた瞬間、ヴァーノルドの全身は粟立つ。
震えが止まらなくなり、歯の根が合わない。
一体、自分は何を目にしているのか。
"ソレ"を前にしただけて、ヴァーノルド心は折れかけた。
――恐怖
長い冒険者経験を持つ彼であっても、その存在を理解する事はできなかった。
戦闘という考えは微塵も起こらない。
気付けばヴァーノルドの頭の中には、どうすれば目の前の恐怖から逃げ果せるのか、生き残る術のみをひたすらに考えていた。
血臭の漂う戦場に、『夜叉』は静かに頬を綻ばせる




