3話 食事の幸せ
五階分の階段を上って廊下に出ると、扉がレジデンシアに入ってすぐにあったそれよりも大きくなっていて、息を吐く。
その内の一つの部屋の前でラケルが立ち止まり、背後にいるルアンに振り返った。促されて、両開きの扉をぐっと押し開ける。
二人がけのソファに囲まれたテーブルが目の前に置かれ、そのテーブルがあってもなお余裕のある広さ。右手側にはまだ扉が二つあり、反対は大きなクローゼットが置かれている。
テーブルと椅子、ベッドに収納が押し込まれていた魔界の部屋とここの広さが同じくらいだろうか。自分にはもったいないと思えてしまうほどの部屋。
「ここがルアンの部屋。手前の扉は寝室、奥はシャワールームだ。食事とアメニティを用意させてくるから少し寛いでいるといい」
「あにめてぃ……?」
なにか必要なものなのだろうか。首を傾げるルアンに気づかぬままラケルが退室して、考えることを諦めてぐるりと部屋を見渡す。
部屋はカーペットが黒く、家具も茶色で色合いが魔界と大差ないため、一人になって少し落ち着くことができた。寝室のベッドもシーツは白だが掛け布団は茶色で、魔界で過ごしていたルアンに気を使って取り替えたのかもしれないと思える色。
ベッドの傍に本棚がありいくつか本も並べられていたが、読み書きができないため中の絵を見てジャンルを判断することしかできない。
ソファに腰掛けて窓の夕日をぼうっと眺める。太陽が少し、また少しと沈んで、空の色が変わっていく。魔界では見ることのできなかった光景。
それに魅入っていると、小さな音を立ててラケルと若い女の使用人が二人入ってきた。茶髪で大きなバスケットを持った人と、食器をいくつか乗せたトレーを持つ銀髪の人。
「待たせたな。この二人はこれからこの世界にお前が慣れるまで、使用人として仕えさせる者だ。銀髪の方がシーシャ、茶髪がミエ。ある程度の勉強も見てもらうからな」
恭しく頭を下げた二人に、慌てて立ち上がってお願いしますとお辞儀する。シーシャがテーブルの上に料理を置き、ふわりといい香りが鼻をくすぐった。
ルアンの近くにはお粥が、その奥にサンドウィッチが用意され、ラケルが腰掛ける。ミエがソファの横にバスケットを置いて、また食べ終わる頃に来ることを告げて退室した。
「食事にしようか。少しでいいから食べられそうか?」
スプーンを手に取って、そっとお粥をすくう。湯気がぶわっと立ち、少し仰け反った。
「お米、たまご、と……お肉。野菜は……」
「ほうれん草。肉はササミ。少しは覚えていているようだな」
不器用にスプーンを口に運んで、目を見開く。味付けは控えめだが、ルアンにとってははっきりと感じられる。米と肉の甘み。卵のとろみと野菜の苦み。
魔界での食事は、魔物の魔力を魔力回路の大動脈が通る首筋に噛み付いて吸い取るのが当たり前だった。そもそも食事にありつくまでも危険が伴う。あくまで生きるためのもので、娯楽ではなかった。
「おいしい」
ラケルの方を向いて、ぽつりと咳く。ほんの少し笑みを浮かべていて、ラケルはほっとしたように息を吐いた。
一ロ一ロ、ゆっくりと。半分ほどしか食べられなかったものの、とても満足そうで。
「ごめんなさい、でも……おいしかった、です」
人間界に来たのはルアンの成長のためとはいえ、ラケル達にとっては王兵としてこちらで使わせてもらう形。人間界への恐怖があることも聞かされている。だからこそ王兵として働いてもらう前に、この世界を好きになってもらおうとした。
初めに街外れに転移させて生活の様子を見せたのもその一環。人への恐怖を取り払い、人のために動く王兵としてのあり方に少しでも近づいてもらおうと。食事も人間界を好いてもらうための一つの方法だった。
幼い頃満足な量は食べられていなかっただろう。ロ減らしのために捨てられたのだろうから、それは容易に想像がつく。
「少しずつ食べていけばいい。無理せずに慣れていけ。初めのうちは消化しきれなかったり受け付けなかったりするかもしれないからな」




