第9話 四月の疲れ、ここで置いていって (癒やし系/夜の通話/よく通話する親しい相手)
……もしもし。
うん、出たよ。
……ふふ、こんばんは。
どうしたの?
こんな時間にかけてくるなんて、ちょっと珍しいね。
……うん。
うんうん。
そっか。
今日は、ちょっとしんどかったんだ。
……大丈夫。
そんなふうに、うまく言葉がまとまってなくても平気だよ。
話せるところからでいいし、話せないなら、しばらく黙っててもいい。
私はちゃんとここにいるから。
……うん。
そう。
じゃあ、今日は少しだけ、私の声に寄りかかってて。
ねえ。
今、部屋の電気ついてる?
……あ、ついてるんだ。
じゃあ、もしまぶしかったら、少しだけ暗くしてもいいかも。
四月の疲れって、目からも来るから。
明るい教室、明るい廊下、明るい笑顔、明るくしなきゃっていう気持ち。
春って、きれいだけど、そのぶんちょっとだけ眩しすぎる日があるでしょう?
だから今は、少し暗いくらいがちょうどいいよ。
安心できるくらいに、静かで、やわらかいほうがいい。
……ふふ。
ほんとだ。
ちょっと声、落ち着いた。
今、ベッド?
それとも椅子に座ってる?
……ベッドなんだ。
じゃあ、ちゃんと楽な姿勢になって。
枕、近くにある?
あるなら抱えてもいいし、布団、少しだけ上まで引っ張ってもいいよ。
肌に触れる布の感じって、思ってるより安心するから。
……うん。
そう、そのまま。
ねえ。
今日は、どんなふうに疲れたの?
……人が多くて。
ずっと気を遣ってて。
なんかちゃんと笑ってなきゃって思って。
でも帰ってきたら、急に何もしたくなくなって。
……そっか。
えらかったね。
本当に。
新しい季節って、体より先に心がくたびれるんだよね。
ちゃんとしなきゃ。
変に見られたくない。
置いていかれたくない。
浮きたくない。
そういう小さい緊張が、ずっと薄く肌に張りついてる感じ。
春の服って軽いのに、心だけ少し重くなる日、あるよね。
……うん。
わかるよ。
頑張ってる最中って、意外と平気だったりするんだよね。
むしろ、帰って、靴を脱いで、髪をほどいて、部屋の匂いに戻ってきた瞬間に、
ああ、疲れてたんだなって、急にわかる。
……あ。
今、髪ほどいた?
ふふ。
ちょっとだけ、音でわかった。
そういう小さい気配、夜の通話だと不思議と伝わるんだよね。
服がこすれる音とか、布団が少し揺れる音とか。
そういうのが聞こえると、ああ、ちゃんとここで休もうとしてくれてるんだなって思えて、少し安心する。
……ん?
変かな。
でも、好きなんだ。
そういう、言葉じゃない音。
ちゃんと無理をやめていく音みたいで。
ねえ。
少しだけ、深呼吸しよっか。
一緒に。
吸って。
……そう。
ゆっくり吐いて。
もう一回。
吸って。
吐いて。
上手。
えらい。
今の呼吸、ちゃんとやわらかかった。
さっきより少し、肩の力抜けたんじゃない?
……よかった。
私ね、四月の夜ってちょっと特別だと思ってるの。
昼間はみんな、新しい場所で新しい顔をしてるでしょう?
でも夜になると、そのぶんだけ、ほんとの疲れとか、ほんとの寂しさとか、そういうのが静かに戻ってくる。
だから夜は、少し甘えていい時間なんだと思う。
頑張らなくていいし。
ちゃんとしてなくていいし。
ちょっと弱い声でも、少し拗ねたみたいな気持ちでも、そういうの全部、夜なら許される気がするの。
……うん。
今のあなたも、それでいい。
ねえ。
目、閉じてる?
……閉じたんだ。
じゃあ、そのままでいいよ。
無理に返事しなくてもいい。
聞いてるだけでも大丈夫。
今日ね、本当はすごく頑張ったんだよ。
朝起きて。
着替えて。
外に出て。
たくさん気を遣って。
ちゃんと笑って。
ちゃんと人の中にいて。
それだけで、もう十分。
誰かと比べなくていいし、
もっとできたかも、って反省会しなくてもいい。
四月はまず、「今日を終えた」だけでえらいの。
……ふふ。
今、少しだけ呼吸がゆっくりになった。
いい感じ。
もし、まだ心がざわざわしてるならね。
今日は、そのざわざわ、ここに置いていって。
全部なくならなくてもいいよ。
でも、少しだけでいいから。
私に預けるみたいにして、今夜だけ手放して。
大丈夫。
明日また必要なら、そのとき取りに行けばいいし。
必要なかったら、そのまま忘れてもいい。
……うん。
そう。
今日は、抱えたまま寝なくていい。
あ。
布団、ちゃんとかけてる?
……よかった。
春の夜って油断すると少し冷えるから。
首元、出しっぱなしにしないでね。
そのへん冷えると、安心する前に寒さで目が覚めちゃうから。
……ふふ。
なんか、お世話してるみたい?
そうかも。
でも、こういうの嫌いじゃないよ。
ちゃんと休んでほしい相手には、つい細かく言いたくなるの。
だって、今のあなた、たぶん「大丈夫」って言いながら無理するタイプだもん。
言葉は平気そうでも、声の端っことか、息の抜け方とか、そういうところでわかる。
……うん。
今日は、ちょっと甘やかされて。
よしよし、ってされるの、必要な日ってあるでしょう?
子どもっぽいとか、そういうのじゃなくて。
ただ、人として、疲れた夜にやさしく扱われる時間が必要なだけ。
だから今夜は、そういう夜。
……おつかれさま。
ほんとに、よく頑張ったね。
大丈夫。
焦らなくていい。
春は急に満開になるわけじゃないから。
少しずつ、少しずつでいいの。
今日うまくできなかったことがあっても、明日全部取り返さなくていい。
また少しずつ慣れていけばいい。
ねえ。
今、少し眠くなってきた?
……ふふ。
よかった。
そのまま、ゆっくりでいいよ。
声、もう少しだけ近くに置いておくから。
今日の疲れは、ここに置いていっていい。
無理して持ったまま眠らなくていい。
ちゃんと布団に沈んで、ちゃんと休んで、朝になったら少しだけ軽くなってれば、それで十分。
……うん。
えらい。
じゃあ、最後にもう一回だけ。
深呼吸。
吸って。
吐いて。
……上手。
おやすみ。
今夜はちゃんと眠れますように。
四月の疲れ、ここで置いていって。
明日のあなたが、少しだけやさしい朝を迎えられるように。
……おやすみ。
また、しんどい夜は、私の声のところまでおいで。




