風、ぬるい。だから少しだけここにいて (クーデレ/窓開けっぱなしの教室/隣の席)
……まだいたんだ。
いや。
別に、悪いって言ってない。
ただ、みんな帰ったあとも残ってるの、少し意外だっただけ。
君、こういうとき、わりとすぐ帰る人だと思ってたから。
……忘れ物?
ああ、ノート。
机の中?
……ふうん。
じゃあ、取ったら帰るんだ。
……そう。
……。
窓、開けっぱなしだったんだね。
誰だろ。
最後に閉め忘れたの。
風、入ってきてる。
……ぬるい。
四月の風とは、もう違うね。
あのころは、まだ少し冷たかった。
窓際にいると、袖の中にすっと入ってきて、ちょっと肩が縮む感じがあったけど。
今は、そういうのがない。
ぬるくて、やわらかくて。
でも、少しだけ重い。
五月の風って、なんか……眠くなる。
……なに。
急にそういうこと言うの、珍しい?
そうかもね。
でも、放課後の教室って、少しだけ変になるから。
昼間はあんなにうるさかったのに、人がいなくなった途端、机と椅子だけが残って。
風の音とか、カーテンの揺れる音が、やけに大きく聞こえる。
こういうときは、余計なことも少し考える。
……君も?
……そっか。
じゃあ、少しだけ座れば。
ノート、もう見つかったんでしょ。
すぐ帰らなくてもいいと思う。
……別に引き止めてない。
ただ、今出ると風でプリント飛びそうだし。
あと、廊下、まだ部活の人で少し騒がしいから。
ここにいるほうが静か。
……言い訳っぽい?
……うるさい。
いいから、座れば。
……そこじゃなくて。
隣。
……いや、変な意味はない。
席、近いんだから自然でしょ。
わざわざ離れて座られるほうが、逆に気になる。
……そう。
そこ。
……近いね。
……いや、今のは私が呼んだんだった。
忘れて。
……。
やっぱり、風、ぬるい。
カーテン、さっきからずっと揺れてる。
白い布がゆっくり膨らんで、また戻って。
見てると少し眠くなる。
……君も、眠そう。
連休明けからずっと、少しだけ顔がだるそうだった。
授業中も、ペン持ったまま止まってることあったし。
ノート、ちゃんと取れてた?
……取れてる?
本当に?
……見せて。
……うん。
意外とちゃんとしてる。
でも、字。
後半ちょっと眠い。
ここ、線がふにゃってなってる。
……ふふ。
なに。
笑うの珍しいって顔しないで。
たまには笑う。
君の字、眠気が出てて面白かっただけ。
……怒った?
怒ってないね。
わかる。
今のは、少し照れただけ。
……そういうの、顔に出るよ。
四月のころより、出るようになった気がする。
最初はもう少し硬かった。
話しかけても、返事はするけど、どこか一歩引いてる感じがあった。
今は、少し違う。
変なこと言うと、ちゃんと困る。
からかうと、少しだけ目が泳ぐ。
近くに座ると、声が少し遅れる。
……うん。
見てる。
隣の席だし。
それに、君は見ていて飽きない。
……あ。
今のは、変な意味じゃない。
……いや。
少し変な意味かも。
わからない。
五月って、そういう季節なのかもしれない。
四月は、ただ新しいものに慣れるだけで精一杯だったけど。
五月になると、慣れたぶんだけ、相手の細かいところが目に入る。
袖をまくる癖とか。
暑い日に、少しだけ襟元を気にするところとか。
眠いとき、まばたきが遅くなるところとか。
前より、そういうのが見える。
……そして、見えると、少しだけ気になる。
……なに。
黙らないで。
こっちまで、言いすぎた気がするでしょ。
……あ。
また風。
プリント、飛ぶ。
……ん。
押さえた。
君も押さえてくれたんだ。
……指、近い。
……触れてない。
触れてないけど、近い。
こういう距離、少し困る。
離れればいいだけなのに、離れなくてもいい理由を探してしまうから。
……君も離れないんだ。
……そっか。
じゃあ、少しだけこのままでいい。
五月の放課後だし。
風、ぬるいし。
教室、誰もいないし。
……たぶん、今なら少しくらい変でも、風のせいにできる。
……なに、その顔。
変なこと言った自覚はある。
でも、聞かなかったことにするのはなし。
せっかく言ったから。
……。
ねえ。
この教室、昼間より今のほうが好きかも。
人が多いと、机も椅子もただの道具みたいだけど。
誰もいなくなると、ここで一日過ごしたんだなって感じがする。
黒板に少し残ったチョークの跡とか。
誰かが閉め忘れた窓とか。
机の端に残った消しゴムの粉とか。
そういうのが、急にちゃんと見える。
君のことも、たぶん同じ。
人が多いところだと、同じクラスの一人。
隣の席の人。
でも、こうして放課後に二人だけになると、もう少し違って見える。
……近くにいる人。
……落ち着く人。
……少し、帰らないでほしい人。
……今の、最後のだけ聞かなかったことにして。
……無理?
……そう。
じゃあ、仕方ない。
でも、私だって毎日こんなこと言うわけじゃない。
今日はたまたま。
窓が開いてて。
風がぬるくて。
君がまだ教室にいて。
……それで、少し言いやすかっただけ。
……ん。
カーテン、また来た。
邪魔。
……あ、ごめん。
近い。
でも、君も避けなかった。
……じゃあ、このまま。
ほんの少しだけ。
……。
静かだね。
こんなに近いのに、うるさくない。
君のそういうところ、好きかもしれない。
必要以上に踏み込んでこないのに、ちゃんと隣にいるところ。
……うん。
たぶん、好き。
……あ。
いや、今のは。
……もういい。
訂正すると余計変になる。
そういう意味か、そうじゃない意味かは、今は決めなくていい。
ただ、今の私は、君がここにいるのが嫌じゃない。
むしろ、いてほしい。
それで十分。
……ねえ。
もう少しだけ、ここにいて。
風が止むまででもいい。
チャイムが鳴るまででもいい。
誰かが廊下を通るまででもいい。
長くなくていいから。
少しだけ。
……ありがとう。
……ふふ。
変な感じ。
君がいるだけで、教室の静かさが少し変わる。
一人だと静かすぎるのに、二人だとちょうどいい。
この風も、さっきまではただぬるいだけだったけど。
今は、少し気持ちいい。
……ねえ。
次にまた、窓が開けっぱなしの放課後があったら。
そのときも、少しだけここにいて。
私が言わなくても。
君が忘れ物をしたふりをしてでも。
……いや、そこまでしなくていいけど。
でも、いてくれたら嬉しい。
……うん。
今のは、ちゃんと言った。
じゃあ、もう少しだけ。
このまま。
五月の風がぬるいあいだだけでいいから。




