春が終わる前に、もう少しだけ (幼馴染/初夏の帰り道/長年一緒の相手)
……あっつ。
もう五月っていうより、ちょっと夏の手前って感じしない?
風はまだやわらかいのに、歩いてるとじんわり汗ばむし。
制服も、朝はちょうどいいのに、帰り道になると少しだけ重たい。
……ん。
そっちも暑いよね。
顔、ちょっと赤いし。
ふふ。
大丈夫だよ、変な意味じゃなくて。
ただ、なんか、ちゃんと季節が進んだ顔してるなって思っただけ。
四月の最初みたいな、まだ少し緊張した感じじゃなくて。
ちゃんとこの学校の空気に触れて、ちゃんと五月の夕方を歩いてる顔。
……あ。
今、なんか照れたでしょ。
わかるよ、そのくらい。
だって、昔から見てるし。
そういうちょっとした顔、何回も見てきたもん。
でもさ。
最近、少しだけ違う気がするんだよね。
見慣れてるはずなのに、前みたいに“ただ見慣れてる”だけじゃないっていうか。
……なにその顔。
自分でもうまく言えてないのはわかってる。
でも、ほんとにそうなの。
ほら、四月って、桜とか新学期とかで、全部がふわふわしてたじゃん。
一緒に歩いてても、“今年も春だね”って感じのほうが強かった。
でも五月になると、そういう空気が少し落ち着いてきて。
代わりに、隣にいる相手そのものが、ちょっとずつ気になるようになるっていうか。
……うん。
たぶん、君のせい。
だって、前より距離近くない?
いや、物理的にはそんな変わってないかもしれないけど。
なんか、話し方とか。
沈黙の感じとか。
隣を歩いてても変に気を遣わなくていいくせに、そのくせたまに急に意識させてくるし。
……あー、そういう顔する。
絶対わざとじゃないのが、余計ずるいんだよね。
たとえば今もさ。
歩くたびに、たまに腕が触れそうなくらいの距離でしょ。
昔ならほんとになんとも思わなかったのに、最近はその“触れそうで触れない”のが妙に気になる。
……ねえ。
少しだけ、こっち寄って。
うん、そのくらい。
……ふふ。
やっぱり。
近いほうが落ち着く。
え?
自分で呼んでおいて何言ってるんだって顔してる?
だって、しょうがないじゃん。
今日はなんか、そういう日なんだもん。
風がぬるくて。
制服の中に熱が少し残ってて。
歩いてるだけなのに、肌の近さがいつもより気になる日。
……あ。
待って。
じっとして。
首元。
髪、張りついてる。
……取るね。
……ん。
……ほら。
汗で少しだけくっついてた。
五月ってこのくらいの気温がいちばん困るよね。
暑いって言い切るにはまだ早いのに、身体はちゃんと熱を持つから。
……なに。
そんなに固まらなくてもいいでしょ。
今さら、髪くらい触るの珍しくないじゃん。
……でも。
そうやって黙られると、こっちまで意識するんだけど。
だって、近かったし。
思ったより。
首って、見えてるとこなのに、こうして近くで触ると変に無防備だよね。
髪のあいだから、肌が少し見える感じとか。
夕方の光が当たると、余計に。
……もう。
そういう顔されたら、ほんとに困る。
……あっ。
ごめん。
今、腕、触れた。
……うん。
わざとじゃない。
わざとじゃないけど……離れないね。
なんだろ。
暑いのに。
暑いのに、ちょっと触れたままのほうが変に落ち着く。
……君も?
……そっか。
ふふ。
じゃあ、少しだけ、このまま。
昔ならさ。
こんなの、気にもしなかったと思う。
並んで歩くのも、腕が当たるのも、ただの“幼馴染だから”で終わってた。
でも今は、それだけじゃなくなってきたのが、自分でもわかる。
春が終わるって、こういうことなのかも。
ただ景色が変わるだけじゃなくて。
関係の中の空気まで、少しずつ変わっていく。
桜のころは、まだやわらかく遠かった。
でも今は、もっと近い。
ちゃんと熱があって、ちゃんと隣を意識する近さ。
……ねえ。
君のこと、昔から知ってる。
歩く速さも。
黙るタイミングも。
暑いとき、少しだけ襟元ゆるめる癖も。
そういうの、もうずっと前から知ってるのに。
最近は知ってることが増えるたびに、安心より先に少しどきっとする。
それって、たぶん。
前と同じじゃいられなくなってきたってことだよね。
……あ。
今、風。
……ん。
気持ちいい。
でも、風が抜けても、さっきまでの熱、まだ残ってる。
肌にも。
たぶん、こことかにも。
……心臓のあたり。
……笑わないでよ。
けっこう真面目なんだから。
でも本当。
こうして歩いてるだけなのに、今日は妙に胸の奥が落ち着かない。
君が近いからかな。
五月の夕方だからかな。
それとも、春がちゃんと終わりかけてるからかな。
……ねえ。
もう少しだけ、ゆっくり歩こ。
帰り道、まだ少し長くしていい?
このまま家に着いちゃうの、なんか惜しい。
今のこの空気、まだ終わらせたくない。
……ありがと。
あ、でも。
勘違いしないでよね。
別に、毎日こうしたいとか、そんなこといきなり言うつもりじゃないし。
ただ、今日は少しだけ。
春が終わる前に、ちゃんと感じておきたいだけ。
君と歩く夕方が、前より少し違うこと。
触れた腕が、前より長く残ること。
髪をよけた指先の熱が、いつまでも消えないこと。
そういうの、今ちゃんと知っておきたい。
……あ。
また見てる。
そんなふうにまっすぐ見ないで。
こっちが負けそうになるから。
……うるさい。
なにに負けるのかは、今は言わない。
でも、たぶん、君も少しはわかってるでしょ。
今日のこれが、ただのいつもの帰り道じゃないってこと。
……うん。
その顔なら、たぶん伝わってる。
じゃあ、今日はそれでいい。
全部言葉にしなくても。
隣を歩く距離と、少し触れた熱と、帰りたくないって思った時間だけで、今は十分。
ねえ。
春が終わる前に、もう少しだけ。
……このまま、隣にいて。




