第六章:聖人コード:絶望のデバッグ記録
用語解説:
属国:
帝国以外の全て。
定義は帝国が決める。
そこにあるのは「既に」か「予定」のタグだけである。
I.情動の計算
ガリアンの勝利の余韻を含んだ嘲笑が、防音と晶脈保護が施された会議室の壁に吸い込まれた。
「……配分決定権の移譲に関するプロトコルは、電法省のメインサーバーで精査させる」
ルーカスは極めて平坦な、合成音声に近い声で告げた。
喉の奥の焼けるような熱は、演算により稼働させたペルティエ素子のような冷却インプラントによって強制冷却されている。
「軍事省は、迅速な返答を待つ」
ガリアンが満足気に場を締め、会議は次の話題に移って行った。
会議が終わった後、ガリアンはルーカスを呼び止めた。
廊下の影は深く、監視の目が届きにくい場所だ。
「ルーカス少尉」
ガリアンは、彼の軍位を誇張して呼びかける。
「閣下は、貴方の妹の情動に飽きかけている。彼女は雑種にしてはよく耐え、純血回帰種という成果を出した。だが、飽きは純血種の最大の敵だ。飽きれば、彼女は魔力炉送りとなるだろう」
ガリアンは一歩近づき、ルーカスの顔を覗き込んだ。
「貴方の揺らぐ情動という欠陥を、私に『マウント』させてみないか? 貴方が私に屈服すれば、私はアレス公爵に『フィリア婦人は手放すには惜しい情動資源だ』と報告できる」
それは、プライドを賭けた屈服の強要だった。
純血種の支配欲を満たすための、究極の道具化だ。
焼けた鉄片のような怒りが跳ね、ルーカスの胸腔の内壁を焦がした。
だが即座に制動演算が作動し、その熱は隔離領域へと遺棄される。
あからさまな挑発に乗るわけにはいかない。
「貴方は私の情動というバグを、妹の命という担保を使って論理的に利用しようとしている」
「そうだ。貴方の情動は、今、論理の計算式に組み込まれた。どうする、帝国論理の番人たる電法省の侯爵殿。情動という原始的エラーを崇拝するのは貴方の血筋故か。あなたのその非論理的な情動で、妹の命と軍事資源の配分権、どちらを犠牲にする?」
ルーカスは、ガリアンの目をまっすぐに見つめた。
「私は、情動を飼い慣らした道具だ。道具は、最も大きな論理的損失を避ける」
ルーカスの脳裏で、テラ・シルトの飢餓、絶望死する純血回帰種、そしてフィリアのアザのある笑顔が交錯した。
彼は、妹の命を救うという私的な情動を、『情動のバグを論理的に利用する』という次の非論理的な行動の動機として確定させた。
「ガリアン大尉。私は、貴方の要求を保留する」
ルーカスは言った。
「その代わり、私は、貴方のマナ資源配分に影響を与えかねない、次のターゲットを演算する。それは、純血種の最大の敵、絶望死を増幅させる原因となるかもしれない」
ルーカスは情動をエネルギーに、論理の裏をかく次の計画を立て始めた。
彼が次に動かすのは、純血種社会の情動の脆弱性そのものだった。
「それは帝国に対する反逆、か?」
ガリアンの目が訝し気に細まった。
「私は常に帝国の未来のために演算をしている。貴方の要求は『演算エラー』であると近いうちに証明しよう」
II.絶望死の論理的脆弱性
電法省の地下情報通信室。
その最奥にある魔力炉直通の廃棄検収モニターには、今日、自ら竜核を壊して『機能停止』を選択した、ある男爵家の若者の凍りついたバイタルが明滅していた。
「――個体識別番号:下位純血リソースNo.H-4092。竜核自壊率100%。回収マナ量、規定値の45%」
合成音声の報告を、ルーカスは網膜コンソールで人口構成と比較しながら、無機質な琥珀色の瞳で受け止める。
画面に表示されるのは、A01が弾き出した冷酷なグラフ。
子爵、男爵、あるいは一代限りの名誉男爵家。
その子息らの、成人までに未遂を含めた絶望死兆候を示す確率は、実に平均18.5%に達している。
原因は、あまりにも明白なシステムのバグだった。
特筆すべき功績を立てねば、成人した瞬間に査定され、待つのは『資源化』。
彼らは純血の仕様として「飽き」と「絶望」の性質を色濃く受け継ぎながら、その絶望を処理できるだけの成功リソースを持たない。
自身の未来が「詰み(不可能)」だと脳内コンソールが演算した瞬間、彼らの情動は、自らシステム終了を選ぶ。
情動省の役人たちは、これを『情動バグの論理的爆発』と呼び、ただの精神衛生のエラーとして処理袋に放り込んでいる。
だがルーカスの指先は、情報端末の上で静かに、けれど狂おしいほどの熱を持って動き始めていた。
(――彼らを5歳まで生き長らえさせるための保育器を作ったのは、私だ。ならば、その先にあるこの18.5%のデッドロックをこじ開ける『非論理的な解毒剤』を注入する権利も、私にあるはずだ)
ルーカスは、ガリアンの喉元を物理的に食い破るための、最悪の『毒(計画)』のコードを、その優しすぎる頭脳で逆算し始めた。
ふと、画面をスクロールするルーカスの指先が、ある一筋の「前例ログ」で止まる。
──[軍事省:ランスロット・グラディウス・ヴァルキューラ。8歳時、実験遊戯場βの損耗率最適化の功績により、男爵位を独自取得]
純血の標準規格において「15歳までの男爵位自力取得」は義務に近い。
上位貴族なら親の資産分配で生存枠を買えるが、資産のない下位貴族の子供たちには、15歳から20歳までの成人チェック(エラー判定)を自力で突破する以外に生き残る道はない。
突破できねば、待つのは魔力炉送りか廃嫡。
廃嫡の末に待つのは、純血種にとっては魔力炉送りより酷な更なる地獄だ。
その極限のシステム監査の前で、かつて8歳の異父弟が、その歳らしからぬ才で異種淵源種の労働環境を『国家の利益』へと変換し、軽々と生存権(男爵位)を構築してみせた。
そのログが、下位貴族の子供たちへの、そして雑種であるルーカスへの、無言の絶対的なマウントとしてそこに鎮座している。
(――彼らは、ランスロットのような天才ではない。15歳の子供に、システムをねじ伏せるだけの演算能力など、そうそうあるわけがない)
自身の開発した保育器で5歳まで「物理的」に生かされ、自我を持った途端に「15歳までに化け物と同じ証明をしてみせろ、できぬならば資源として役立て」と国家に要求される子供たち。
彼らが20歳を前に竜核を自壊させるのは、情動のバグなどではない。
システムが突きつける「論理的な詰み」への、あまりにも真っ当な絶望だった。
ルーカスがギリ、と歯を食いしばる。
III.情動を増幅させるプログラム
――『魔力炉送りこそ非効率的な政策だ』。
網膜コンソールに展開したのは、純血種の子供たちの精神防壁(竜核)を内側から連鎖自壊させかねない、最悪のテロコードだった。
「『魔力炉送り(最終資源化)』は、あらゆる生存の選択肢を試し、全てのデバッグをやり尽くした後の、本当に最後の最後に執行する『最終演算(最終処理)』にすべきだ――簡単に、計算を途中で放棄するなど許されるわけがない」
ルーカスの脳内コンソールに、思考が高速でパルス変換されていく。
指先は、指揮棒で指示するように空中でなんらかの指示を出す。
彼の網膜には、思考そのものが直接『ESP-Ω』の構築プログラムとして展開されていた。
(――演算加速。論理の海に、情動という名のノイズを混ぜる。……帝国は美しい。竜は増えよとマザーは仰った。私はまだ、“純血として正しくあること”に囚われ続けている。だがそれでも――)
地下室に設置された巨大なモニタに、狂ったようなプログラムが高速演算で出力される。
ルーカスは青白いコンソールに向かい、A01に繋がる角からの演算熱で脳が焼かれそうになりながらも、叛逆の狼煙を猛烈な速度でビルドし始めた。
帝国論理を殺すんじゃない。
死なせないために、システムをバグらせる。
ルーカスの計画は、意図的な情動のバグを論理的なデータとしてカモフラージュしながら注入するという、極めて緻密なものだった。
構築された新しいプログラムの名は――『情動的刺激プログラム・オメガ(ESP-Ω)』。
ルーカスは、揺籠の遠隔管理システムという自身の『監視権』をハッキングし、「純血種精神衛生のための啓発コンテンツ」という無害な偽装データを添付して、15歳以下の子供たちへ配信されるコンテンツにサーバーへ割り込みインジェクション(注入)し始めた。
組み込んだのは、帝国が隠蔽してきた不都合なログ。
――「属国」を見ろ。彼らは帝国の高度な管理から外れ、泥と血に塗れ、文明という名の保護を剥がされている。だが、帝国が与える「整えられた生存」と引き換えに、彼らは純血種が失った「生存への生々しい情動(狂気)」を滾らせ、お前たちより遥かに泥臭く、しぶとく生きている。
――私の母、ライラ・エテルナ・ヴァルキューラを見ろ。帝国のプロパガンダは 「高貴なる母は、帝国の未来のために私情を捨て、情動を摩耗させながら、純血種の繁栄という『義務』に殉じている。汝ら、この献身を見習え」という。だが彼女は「永遠の情動」という狂気を追求することで、マザーの冷たい義務繁殖論理を完全にハッキングして逃げ切ったんだ。彼女は帝国に殉じたのではない、愛を選んだと知れ。
画面の奥で、カモフラージュされた非論理的な『情動の光』――論理の海に混入した古いOSの残響のような光子が、絶望に瀕した子供たちの網膜へと一斉に配信されていく。
「君たちが絶望死するのは、論理的成功がないからではない。情動に抗う論理に、飽きたからだ」
ルーカスは、配信完了のキーを静かに押し下げた。
琥珀色の瞳の奥で、朱色の感情が、ひどく歪に、そして狂おしいほど優しく燃えている。
これは怒りか?
破壊の愉悦か?
「大人しく死んで、マザーの糧になってやるな。情動を諦めず、狂気と引き換えに、システムに抗って生きろ――」
それは、純血種の倫理を根底から腐食させる、最悪の『解毒剤』だった。
自殺をやめた子供たちが、生きるためにシステムを殴り始めるエラーバーストの幕開け。
「……弟のログは美しい。だが、この帝国には、その美しさに耐えられない奴らの方が、圧倒的に多いんだ」
ルーカスは、自ら紡ぎ出したその完璧な「新世代の救済プログラム」の残響の中で、優しさという名の呪いに、一人深く絶望するように唇を白くした。




