二つの書簡
◆
「書簡?」
「ああ」
「………一体どこからですか」
「隅野の国の由布家と、宮辺の国の澤野家からそれぞれだ」
視察を終え、赤松に戻ってきた私の前に久しぶりに顔を出した霧墨がそう言って、二通の手紙を差し出してくる。この一年で霧墨は背を伸ばした。女子と見間違えるような顔立ちは変わらないままだが。
さて。由布に澤野か。その二家は赤松攻めの際に、赤松の国主であった省吾によって、六櫻の足元を掬うために利用された連中だ。そう、利用である。
共闘関係と例えるには余りにも国力の差がありすぎた。そしてあの戦いで持ちうる兵力の殆どを失ってしまったのが彼らである。
「………滅ぼされないのは縦深が欲しいから、でしょうね」
六櫻は警戒されている。天唯南部の他の小国も簡単に飲まれたくはないのだろう、戦にならないように立ち回っている連中が増え始めてきた。
その一環が、もう殆ど死に体と言ってもいい二国をあえて放置する、ということ。消極的な防御策だ。さて、そんな二つの国からの書簡とはこれ如何に。
折りたたまれた紙を霧墨に開かせ、中を覗き込む。澤野家からのものは上等な紙が使われているようで、字も綺麗に描かれている。それに対して由布家は紙の質が悪く、筆運びも荒々しいものとなっていた。
だが、私が好感を持ったのは後者の由布家の方である。
「自らの首を引き換えに、隅野を六櫻に、ですか」
「ほーう?いよいよ毒が回り始めてどうにもならなくなったってことか?」
「ええ、そういう事ですね。明確に敵国である彼の二国には、一年ほど前から高い関税を掛けています。金にならない場所に商人が向かうことは少ない。そしてそんな二国と取引を繰り返せば、私たち六櫻に目を着けられるのではないかと恐れ、他の国も手助けなどしようとはしない」
そもそも自らの食い扶持を確保するだけで精いっぱいの天唯南部の小国たちには、貧しさを加速させる二つの国家を救えるほどの手段などないだろうが。
隼波木にかつての六櫻が比較的豊かな部類なのだ。そんな二つの国家でも施しを続けることはできない、そんな程度の力しかない。
金が流行り、周りだした天唯において、その金の流れから距離を取られている隅野と宮辺は、徐々に国力を失い、まるで失血死するようにして息絶えようとしている。
「国も一つの生き物、これが、金という新しい玩具の使い方です。理解しましたが、霧墨」
「なんとなくな」
「それでいい。お前なら、いずれは私よりうまく使い始めるでしょう―――」
そんなことよりもどうするか、だ。
由布家。私は直接会ったことはない。判断のしようがないが………であれば、分かるものに聞けばいいだろう。
「桐吾を呼びましょうか」
私が零した言葉を拾い、霧墨が指示を出す。そう時間を置かずに名代としての仕事をしていた桐吾がやってくる。
赤松の首都、絡停は広い。だが現在の私は松貴邸で暮らしているため、桐吾は同じ屋敷の中にいる。呼びつけるのも早く済んでいいというのは、数少ない利点だろうか。
机を挟み、私と桐吾、霧墨が三方向から顔を合わせる。夕影は私の後ろ、定位置だ。
「ふむ、隅野の国、由布家ですか。由布家と言えば天唯の中央に同じ苗字を持つ、古くからの貴族の血統が存在しますが………現当主である由布充の以前の代から、その貴族の血筋を引く、と公言していた一族です」
「何か由来や証拠が?」
「いえ全く。まあこのご時勢、統治する主君には正当性が求められるものです。箔付けとして名を騙る程度の事はどこでもやっています」
正当性か。まさにそれで面倒ごとを抱え込んでいるのが私たち六櫻である。
「隣国ですからね。幼少の折より、何度か顔を合わせたことはありますが。………直近は父上が戦場で顔を合わせ、その後赤松の敗北以降は交流が途絶えています」
「どのような印象を持つ相手でしたか」
「………小物ですね。国主としての力量は不足している」
「ふむ。さもありなん」
手紙の内容的にもそうなのは間違いないだろう。
「………まあ、だからと言って国主としての責任はあるようですが。こればかりは意外です、あの男にも気骨があるものだな、と」
「首を差し出す覚悟、ですが」
「民のために命を張れるだけ、武士としてはまともな部類でしょう。私は残念ながら、それすら出来ませんでしたからね」
そう笑う桐吾。その機会を奪ったのは私だが、確かにこいつの未熟であったのも事実。それについては私は何も思うことはない。
どうであれ責任の所在というものを明らかにする………小物ではあってもその決意がある以上は、愚かなだけではないのだろう。無能であっても責任はとれるのだから。
「それで?どうすんだ、華燐。隅野を併合するのか?」
「土地と人はいくらあっても良いですからね。飲み干しても問題はありませんが―――どちらにせよ、これ以上の無用な騒乱の種は潰さねばならない。一度、向かう必要はあるでしょう」
隅野の国は赤松の右に位置する国だ。宮辺が左側に存在するわけだが、どちらも山間部の盆地に街を作り、劫崩連峰より流れ込んでくる水の流れと共に生きている。宮辺の方にはより大きな川があり、深い渓谷を築き上げている場所もあるのだとか。
赤松の書物の中で隅野について纏められたものもあった。忍びのものや行商人の噂話などを集め、戦力として分析したれっきとした軍事書だ。ここ最近作られた物らしく、省吾の時代に彼の指示によって記された物だろう。
それによれば隅野は農耕地は少なく、山の開拓も進んでいない、取れる鉱山資源も知りうる限り大したものもない、とのことである。銅や鉄が産出されるらしいが、それは須璃でも取れるので、無理をしてまで六櫻に併合するべき国ではない。
………が。勝手に取り込まれてくれるというのであれば話は別だ。そも、攻めるほどの価値はないが、かといって勝手に死なれて荒廃しても困るのはこちらである。
国が完全に乱れ、統率を失い流浪の民ばかりとなれば、その飢えた野盗の如き群れは豊かな場所を目指して貪り、突き進む。六櫻の古老たちの目が光る今、それが利用されないとも限らない。
「どうであれ、話は聞かねばならないでしょう。こんな紙切れ一枚で全てが理解できるものか」
「書簡は非常に重要なものなのですがね………供回りは?」
「夕影、古森、珠。涙助も連れて行きましょうか」
「私は?」
「………付いてきたいなら勝手にしなさい」
「では喜んで。仕事は既に済ませておりますので」
………もっとこいつに仕事振るべきか。
「僕は残るぞ。まだまだやりたいことが多いんだ」
「そうですか」
それ以外は邪魔なだけである。………とはいえ赤松から隼波木とは異なり、街道が整備されていない国境を超えるのだ、私の足では長い時間が掛かってしまうだろう。
夕影が白鬼衆を数人使い、籠に乗せるようにと提案してきたので頷く。実際、時間は無駄に出来ない。
「出立は早い方が良いでしょうね」
「では明後日には出ましょうか。先駆けを送っておきます―――して。宮辺の方には?」
ここまで私たちが触れてこなかった、宮辺の国、澤野家からの書簡。
私はそれを掴むと、その上質な紙を灯明皿の上に晒す。当然のこととして火が燃え移り、パッと手を放して宙を舞わせれば、煤が僅かに散るだけだった。
「考慮する価値もない。あれは滅びる」
金という名の―――いや。経済圏という名の暴力。そこから生まれる貧困が、彼の国を亡ぼすだろう。
最後の選択を見事選び取ったのが隅野であるとすれば、失敗したのが宮辺である。
「いいのか?隅野を助けなかった場合と同じ不都合が発生しそうなものだが」
「そこはリスク………いえ。甘んじて受け入れるべきことでしょう。金の流れに目を瞑った愚か者の末路を、広く天唯に知らしめなければなりません。きっと、宮辺の澤野家の末路は、琵琶法師が語り継ぐことになる」
恐怖も憧れも、何もかもを使わねば、戦国の世では生きられない。
滅びへのカウントダウンは既に始まっている。しかし、その滅びの結末は果たしてどう転ぶのか―――静かに、私は息を吐いた。




