視察 幕間
春の陽気にうたた寝をしている男が居た。
右目の下に深い傷を持つその男の名は洲鳥。華燐直属の馬廻衆である白鬼衆を束ねる元山賊の頭領だ。
うたた寝、とはいうものの細い目つきは一定時間ごとに薄く開き、外の様子を密かに確かめている。普段は国主であり使える主である華燐の傍に仲間と共に居ることの多い彼だが、今はその華燐からの命令によって六櫻連合の様々な場所にて雑多な任務をこなしていた。
さて。今の彼が居るのは赤松の警ら隊の本部でもある奉行所だった。華燐から表向き与えられた指示としては、警ら隊の練度上昇のための訓練であり、警備を務めるものとしての自覚、所謂綱紀が緩んでいないかの視察を兼ねている。
「………そんなことを俺に言われても困るのだが………」
「この書状が目に入らないのか?いいからこの命令書通り六櫻に優先的に物資を運べ!」
華燐の指示によって各地に作られた奉行所は、法の実施を行う機関でもある。それは警察機関である警ら隊に加え、法を把握し、法のままに裁定を下す裁判所としての役割も持つわけだが、かといって彼らが法を制定できるかと言われればそういう訳ではない。
あくまでも奉行という文官出身の役人は、定められた法に照らした上で判決を下す事しか許されていないのである。
「来おったか。さてさて」
コキ、と首を鳴らした洲鳥が立ち上がり、声の方へと向かっていく。
暖簾を腕で退かして刀を佩くと欠伸をしながら騒ぎの原因へと話しかけた。
「おう、どないした?」
「あ、洲鳥さん!えっとですね、こちらの方が………」
―――洲鳥、というよりも白鬼衆は六櫻華燐の馬廻衆として最近では有名になっている。なにせ彼らは常に白い鬼の面を身体のどこかに括りつけているのだから、印象として残りやすい。
そして戦国時代は噂によって情報が伝播する。印象に残りやすい彼ら白鬼衆と、それを束ねる頭目である洲鳥の名は六櫻連合全体に知られていたのだ。
更に言えばここ一年あたりは華燐が赤松に居を移していたので、赤松の国の中ではとりわけ彼の名と顔が広まっていた、というのもある。洲鳥としては恐らくあの姫様は町民の意識に残りやすいように洲鳥をいろんな場所にお使いに出したりしていたのだろうと睨んでいるが、その結果がこの返答だ。
………警ら隊の隊長という身分の人間からすらも敬われる程度には、洲鳥と白鬼衆はこの国に浸透している。
「その恰好、六櫻のお侍さんやな?」
「そうだ。白鬼衆の洲鳥だな?この書状の通り、六櫻華燐からの命が出た。物資、金、人、それらを六櫻に集めろ」
「う~ん。困りもんやなぁ、そんな指示は聞いとらんで」
「当たり前だ。国を動かすのは我ら古くから華樂様に使える六櫻の武士たち。お前のような山賊崩れに、重要な話をするわけがあるまい」
「ひっどいこというなぁアンタ」
けらけらと笑う洲鳥。華燐曰く軽い、胡散臭いと揶揄される洲鳥だが、それ故というべきか人との交渉事は巧く熟す男であった。
「洲鳥さん、どうしますか………?」
「せやなぁ。ふーむ、ほう、ほうほうほう??」
わざとらしく洲鳥が書状を見る。
そして書状の最後に記されている華燐の花押を指差した。
「偽物やなぁ、これ。あの姫さんは腕がうまく動かんから、こない綺麗に花押を書くことはできんのや」
「貴様っ!!」
「おおっと、ええんか?―――姫様に確認を取れば終いやで」
「ぐっ………」
「まあ下がりや。今回は不問、それでええやろ?ほれ、捕まりたくなったらさっさと行かんかい」
「………クソッ」
洲鳥に睨まれると、そんな風に吐き捨てて去っていく侍。
偽物、の言葉を聞いた瞬間に隊長は部下を呼び、十手を装備した複数人の警ら隊で六櫻の侍の恰好をした男をそれとなく包囲していたが、立場としては上役に当たる洲鳥が男を逃がす判断をしたためにただ侍を見送るという形になる。
………本来、軍隊に組み込むには甘さの目立つ連中を再利用する目的で放り込んだ彼ら警ら隊だが、捕縛術を始めとした訓練は毎日行われており、また多く人が流入する赤松では事件も日々起こっていたため、気が付けば彼らの実力も確かなものになっていた。
赤松で訓練を積んだ警ら隊の隊員はその後隼波木や須璃で隊を率いる立場となって、六櫻連合全体の規律を引き締めている。そんな彼らだからこそ、洲鳥の不問という言葉に疑問を投げかけた。
「洲鳥さん、良いのですか?捕まえてしまえば罰も与えられるでしょうに………」
「せやなぁ。本当ならそうするべきなんやろうが、どうせなら根本を絶つべきやろ?今回不問にすんのはそのための準備や、普段は真似したらあかんで?あくまでも俺が居ったから、俺の責任と判断でそうしたってだけや。お前らはやったらあかん」
「根本?」
「そうや。ま、俺に任せとき。これは借りていくで?」
隊長の肩を軽く叩いた洲鳥は、偽物の書状を手に持ったまま奉行所を出ていく。
墨の香りが微かに残るその書状。先程まで六櫻の侍の格好をした男が居た方角を見れば、既に人混みに紛れその姿は視えなくなっている。
警ら隊連中では、いくら練度が上がったと言えどあれを追いかけることも、見つけて捕まえることも出来ないだろう。
「ったく、怖いなぁ。あれが黒鵬衆かぁ」
扱いとしては華燐の率いる忍びの衆。その役割は情報戦で優位に立つこと、そして様々な工作活動。今回その双方の役割を果たすために現れた―――事実上、これは黒鵬衆のお披露目でもあったわけだ。
書状が偽物なら、そもそもそれを持ってきた六櫻の武士という身分すらも偽物。華燐曰く比較的偽造しやすく、それでいてこの先の展開を都合よくするために必要な布石とのことで、洲鳥はあの黒い鳥の一員と言葉を交わす役割に選ばれた。
一応武士として生きている洲鳥からすれば、純粋な戦力としては白鬼衆が上。だが、光の下にて正体を知られている白鬼衆には出来ないことがあり、それを代わりに行うのが彼ら黒鵬衆。
彼らは何でもありだ。戦国の世の中ではその思想が蔓延っているが、輪をかけてその考え方が強いのが黒鵬衆である、ともいえる。華燐の考えの元、人には言えないことを華燐の手足となって執り行う怪物たち。
とりわけ姿を隠すことや人に紛れることは既に並ぶ者のいない領域にある。余程、仕込んだものの腕が良かったのだろう。
「ま、なんにせよこれで姫様の策が次に進むなぁ」
先んじて偽造の書状という実例を作っておき、周知する。これで未来の六櫻の侍の動きを僅かではあるが阻害できる。
なんというか、人の悪意の発露に対して随分と鋭敏で理解があるのが我らが主たるお姫様である、と洲鳥は半笑いで想っていた。
その後、洲鳥の報告によって書類の偽造が大きな問題として挙げられることになる。それは華燐とそして法の集積地である須璃の都、信浮にまで速やかに報告され、華燐と衣笠の双子の相談の元、偽造対策のための法が新たに編み出されることになった、とされている。
―――だが事実は大きく異なる。既に洲鳥が報告を上げた時には既に、金印という偽造対策の要である道具が華燐の手元に存在していたのだから。
全ては六櫻の侍たちとの戦いのために華燐が持てる手の全てを打ってばら撒いておいた布石。しかしてそれは歴史の闇の部分に相当し、記録として残ることは無かった。
ただ一つ分かっているのはこの時期を境に六櫻の法は強固さを増し、そして黒鵬衆と呼ばれる正体不明の刃が暗躍を始めるようになったということだけだった。




