視察 終
濃い臭気を含んだ潮風が肌を撫でていく。視察という名の密談の前、隼波木を訪れてすぐに感じたものよりも遥かに強いのは私たちが海のすぐ近くにまでやってきているためであった。
海街でも当然の事ながら、海に近づくほどに海の匂いは強くなる。遠くに聞こえるのは波の音、白波を立てて浜辺へと寄せては返る。
六櫻の海とはやはり性質が違うと感じた。
「華燐、要であるぽんぷ、はこちらに」
先導役は小夜だ。青梅堂が値を降ろしている隼波木において、小夜は名代である宝治と同じくらいに―――いや。場面を切り取れば彼よりも、この土地について知っている。
商いに関することはその最たるものだろう。そしてポンプは大規模な塩作りに於いて必須である。
「華燐が想定したものよりは恐らくかなり劣っているとは思われますけれど。なにせ物としては組木細工に近いのですから」
「設計図には眼を通しています。そしてそれに伴う街の再開発について指示を出したのは私です。その辺りの説明は不要ですよ」
「おっと、そうでした♪」
さて。須璃の職人たちが技術の粋を集めて作り出したポンプであるが、小夜が言った通り現在のポンプは部品の殆どが木製や革製であり、それらを幾つも組み合わせて作り出した、非常に原始的な構造のものである。
尤も木製だからといって能力が格段に劣る訳ではない。それは職人たちの腕の見せ所でもあり、それで飯を食っている彼らだ、妥協などということはない。
視えるところまで移動すればその威容がよく分かろうというものだ………隼波木の浜辺は労働力を大量に投入して作り上げた、巨大な塩田地帯へと姿を変えていた。
隼波木が持つ海岸線の距離は凡そ八十㎞程度。その六割程度が塩田へと姿を変え、他の場所には港が現在進行形で建設が進んでいる。
塩田の構造は、まず開発したポンプによって上部に組み上げた海水を、重力に従って各塩田へと流していく、というもの。そのために必要なのは、浜辺から自然に海水をポンプの設置場所にまで誘導できる海水取水地だ。これに関しては浜辺に専用の物の石材で建築すればいいので簡単。
大変なのはそこからである。海水取水地に設置したポンプによって、海水は高所貯水池へと移動される。これは石材やら木材やらで作り出された巨大なプールのようなもので、ここに海水を送るためにどうしてもポンプが必要になるのだ。
………流下式枝条架式塩田は、本来の日本の歴史で考えるのであれば昭和20年代、動力の利用が当たり前になってから広まりだしたもの。そんな規模のものを人間の労力を用いてやるのは不可能と言っていい。
そうして高度を得た海水は、細い木製の水路によって枝条架へと流れていく。枝条架とは竹の枝を組み合わせて作り上げた格子状の装置で、これにより海水は風と太陽を受けて効率よく濃縮されていく。
枝条架が設置されているのは傾斜が付けられた石製の土台だ。蒸発し、濃縮されたそのかん水は斜面を流れ落ちて、かん水槽というプールに流れ込み、このかん水を結晶釜へと注ぐことによって塩は作られる。
本来であれば、枝条架の前に流下盤という蒸発を加速させるための斜面を二度挟むのだが、現在のポンプではどうしてもその流下盤からかん水をもう一度上に引き上げることが出来ないため断念、枝条架のみによる製塩となっていた。なので、本来の流下式枝条架塩田に比べれば製塩効率はやや落ちている―――が、この世界に於いて革新的なのは事実だろう。
「ぽんぷ、ですが場所を取る上に川から水を引いて来ないといけないのが難点ですねぇ。小型化できればかん水を結晶釜に送り込むのを、人の手でやらずに済むのですが」
「この製塩方式でもっとも重労働な部分ですね。こればかりは須璃の職人たちの技術が成熟するのを待つしかないでしょう」
ポンプには動力が必要だ。現在は水車を使っているが、水車とてそれを回すための流れが無ければ駆動しない。
―――石材の水路を用い、上流の川より水を引いて、落とす。そのために隼波木の街中には屋根ほどの高さに石の水路が引かれており、ある意味この街を象徴するランドマークになっている。
この技術はローマの水路技術を模倣したもの。既に一年ほど前、赤松を落としてすぐに始めた治水設備の再利用だ。石材は須璃より持ってきており、須璃の地域の幾つかの商家はこの石材取引で大きくなったとかなんとか。無論、それを主導したのは横でにまにまと笑っている小夜であり、彼らよりも青梅堂の法が遥かに儲けていることは想像に難くない。
「シリンダーは木製、ピストンは革―――足りない素材で、よくもまあ動くものだ」
私は指示を出しただけ。これが欲しいと書いただけ。そこから意図を汲み取り、試行錯誤の果てに使えるものを生み出した。
生み出された往復式ポンプは性能的にはまだまだ弱く、簡単に壊れるし水漏れもしているようだが、ポンプの設置個所は一か所に纏めてあるために問題にはならない。巨大な水車に連結された複数基のポンプが性能の低さをカバーしている。
そういう、水車と海水取水地から始まる巨大な塩田が海岸線に幾つも設置されているのが、現在の隼波木の状況なのであった。
「あのなにも無かった隼波木の土地が、ここまで化けるとは思いませんでしたねぇ」
「それは同感です。父上はいつでも隼波木を落とせましたが、それを行う利は無いと踏んで終ぞ攻めることはなかった」
「………ここまで大きく街を変えるには余程、強権を行使できる立場である必要があります。治めるための戦いをするお前の父では、征服する私のやり方と同じ結末には至らなかったでしょう」
「征服者であるという自覚はあるのですね、華燐姫」
桐吾の言葉に当然だとうなずいた。征服者でなければ変えられぬものもある。尤も、征服者の末路など決まり切ってもいるのだが。
「ふむ、華燐姫への直訴、ですか。………六櫻にこれらの技術を導入すれば、古老たちの動きも抑えられたのでは?」
「不可能です。六櫻と隼波木では土地の性質が大きく異なる。これ程の巨大な塩田は、隼波木にしか作れなかった」
「………六櫻は海を持ち、塩を作ることが出来ます。しかし浜辺は非常に少ないのです。守りに特化した六櫻の海は殆どが岩礁地帯。必然、塩の製造は華樂様の時代以前から効率が悪い直煮製塩によるものでした」
「おや。詳しいですね、夕影」
「塩の有無が戦の開戦理由となっていたことが多かったので、自然とこれだけは覚えました」
須璃も塩欲しさに六櫻を滅ぼしたかったのだったか。
かつての須璃が隼波木を落とすには戦力不足………天唯南部にて隼波木を悠々と滅ぼせるのは赤松だけだったが、その赤松は流通の要たる龍の口を抑えているが故にわざわざ攻める必要はない。
逆に隼波木は須璃と取引をするよりも赤松の商人に塩を売った方が利益が出るため、わざわざ須璃に塩を運ぶことはない。なんともまあ、かつての塩の道の手狭な事である。とはいえ、だ。塩がなければ人は生きられぬのも事実である。
須璃が滅び、隼波木が滅び、赤松が併合され、ようやく塩の道は整ったものとなって、金のなる木に変わった。征服と言う名の整理整頓が済んだとも言えるだろうか?
「金というものは不思議なものですねぇ。華燐が生み出した新たな力、武士の振るう刀以上の暴力になるときもあれば、荒地に注ぎ込む水の如く豊穣を齎しもする」
「………私が生み出した、というのは少々事実と異なりますが」
潮風が傷跡に染みる。目を細めて、首を傾げる小夜に語る。
「赤松には古い時代の書物もよく残っていました。知識を得るために色々と漁ってみたのですが、どうやら天唯の成立初期には貨幣文化があったようですよ」
「そうなのですか?………天唯の成立初期って一体どれほど前の話なのでしょう」
「少なくとも皇の権威が翳る前、二百年は前でしょう」
戦国の世が本格的に始まってから五十年程度は経過しているわけだが、天唯が明確に一つの国であったのはそれ以前の長きにわたる。
日本でいうところの室町時代が、確かにこの世界にもあったのだ。だが、長い戦乱の世で資料が焼失し、或いは不都合だからと捨てられ、赤松にすら過去の歴史は多くは無かった。
そんな数少ない資料の中に、確かにあったのだ。貨幣制度というものが。神瀬の国が貨幣制度を考案したのはこの辺りの資料が残っていたからだと思われる。
「金がその時代にあったのであればどうして発展しなかったのでしょう?」
「この国が広すぎたこと、制度が未熟であったこと、そして皇の威光が翳りだしたこと―――このあたりでしょうね」
金という力をゆっくり広めるには、あまりにも天唯は広すぎた。暴力的な魔力を帯びた金は制度を理解したものが居なければ、容易く汚染され都合のいいように解釈される。
歴史によれば皇主導で始められた貨幣制度は、各々の土地を治める大名によって都合よく価値を変えられ、或いは独自の貨幣を生み出され、浸透しなかったらしい。自国内で幾つもの貨幣が勝手に作られ、それぞれの価値が異なるとなればそれほど扱いにくいものもないだろう。
信用貨幣であったことも衰退に拍車をかけた。重さを基準としていれば話は変わったのかもしれないが………経済学者ではない私には断言はできないことだ。
そういえば、日本でも室町時代には私鋳銭がメインだったな、と思い出す。歴史の授業だ―――国ではなく勝手に各々が作り出した偽造の銭。価値の低い悪銭は特に鐚銭と呼ばれる。大体は中国から輸入された銭であったという。
その後、戦国に入ってそれぞれの戦国大名が鉱山を採掘し、独自の貨幣、即ち領土貨幣を作り出した訳であるが………天唯では、国が発行した貨幣をぞんざいに扱い、私鋳銭をばら撒くことが常態化したわけである。そうなればやがて全ての金に価値は無くなり、衰退していく。
歴史的な長さと制度の断絶、資料の消失。これが、天唯から貨幣に関する知識が失われ、ノウハウを一から積み上げなければならなくなった理由である。
「早すぎた、ということでしょうかねぇ」
「………恐らくは。安心しなさい、私たちは決して、早すぎるなどということはありません。金の力を存分に使える」
そろそろ潮風が身体にきつくなってきた。数度瞬きをすると、塩田地帯を―――白い金を背後にして去る。
古老たちが動き出す前に、やるべきことはまだまだある。視察を終え、仕事に戻ることとしよう。




