視察 その3
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「まずは華燐、こちらを」
小夜が手にしていた風呂敷包み。それを開き、幾つもの箱を崩した果てに出てきたもの。
それは芸術品と見紛う程………否。事実として非常に高価な芸術そのものである、黄金だった。
「出来ましたか」
「色々と注文が多かったものですから、用意するのが大変でしたのよ?」
「迷惑を掛けましたね。しかしこれはこれからの六櫻に必ず必要になるものですので」
「ううぅん。素直な華燐というのもちょっと気味が悪いですねぇ?」
くすくすと口元に手を当てて笑う小夜。その軽口にふん、と鼻を鳴らす。
受け取ったそれ―――持ち手である鈕には櫻の花が象られ、そしてその鈕を含め印面、印材の全てが黄金によって形作られたその印鑑は、歴史を紐解けば容易く該当するものが脳裏に浮かぶであろう………俗に、金印と呼ばれるものであった。
印面、即ち朱肉を用いて判を押す場所は六櫻の家紋である六つの花弁の桜の花が刻まれている。
「………注文通り、ですね」
「ええそれはもう。職人も流石にもうこりごりだとおっしゃっていました」
一見すると何の変哲もないこの家紋。しかし、よくよく見ればその花弁は全て、僅かに異なっている。
一の花弁は他のそれより少し長く、二は先端が丸みを帯びている。三の花弁は根元が細く、四は内側に六つの微細な切れ込みが。五は僅かに傾いて、六は他より浅く彫られている。
全ては偽造防止のためのもの。また金印の印側、即ち側面には、燃え下がる業火が象られていた。
「それが鍵、でございますか」
「ええ。律法という錠を解くことのできるたった一つの鍵、この世に一つだけの金印です」
今回の博打の、文字通りの鍵だ。私が赤松からはるばるこの隼波木にまで視察に訪れた理由の半分はこれである。
金印と聞けばやはり思い浮かぶのは私の前世の世界に於いて、古代中国から古代日本に授けられた印章だ。扱いとしては権力の象徴であり、日本では卑弥呼の時代から室町の時代にまで幾つかの金印が送られている。
有名なのは西暦57年に送られた”漢委奴国王印”だろうが―――天唯の地理こそが古代中国のそれに近いこの世界では、金印というものがこの国に送られたことはない。
寧ろ天唯は送りつける側であるのだが、内乱の続くこの国にそんな体力は無いので、この世に未だ存在しない新たなるものと定義して良いだろう。
「今この時より、六櫻における全ての律法はこの鍵無くては開かない。私が進めてきた法律という名の集大成がこれと言えるでしょうね」
「………その金印の存在によって、私たち名代にどのような影響が?」
「今すぐに影響が出ることはあり得ません。もしも変わるのであれば、それは私が消えた時でしょう」
「冗談でもそのようなことは言わないでくださいませ、姫様」
冗談であるものか。
とはいえ、変わるだけであって侵食されるわけではない。その違いは重要だ。
私は隻腕を桐吾の方へと向ける。その仕草にうなずいた桐吾は懐から和紙でつづられた一枚の書状を取り出した。
「六櫻に巣食う寄生虫を、葬らなければならない」
そうしなくては、この国は内部から崩壊する。
愚かな民、弱き兵士―――そんな次元ではないのだ。悪意を持って私個人へと向かう鋭い刃。その根元を切り捨てない限り、この国はこれ以上の歩みを期待できない。
「六櫻の古老たち、ですか」
「ええ。華樂の時代より仕えている侍。彼らは最早、私にとって障害にしかなりません」
いいや、元よりあの連中は害を成す事しかしなかった。
共に歩を進めるのではなく、ひたすらに踏み潰してここまで来た。私にとっても彼らにとっても不本意で不愉快な道筋だ。
いよいよ、その限界がやってきたというだけの話。
「尤も、華樂にのみ信を尽くすという点に於いては夕影も同じですが」
「………私は姫様を守れと申しつけられておりますので。信用して頂かねば困ります」
「能力は信用していますよ。さて、そんな彼らですが、国主としての強権を発動して命を奪う、ということはできません。今の私にはそれほどの権力はない―――無理に彼らを殺せば、六櫻連合は土台から崩壊する」
「恐怖による統治にも限度がありますからねぇ。今の華燐は恐れられていても、政治的な過ちは少ないという扱いです」
「華燐姫は市勢ではそのように扱われているのですね?」
「霧墨の印象操作もあるのでしょう。しかし、六櫻の、祖国の侍を冷遇すれば、それは他の国の兵や奉行所にまで悪影響を及ぼすことになる。古巣の人間を理由もなく容易く殺すのは修羅の所業であり、人心はついては来ない」
私が人心などという不確定なものを信用している、という話ではなく、一般論と心理の話だ。
古からの家臣団とその信用というものはこの下剋上が当たり前のことになった時代にて、重要なものと言える。それを失くせば国主に兵は着かず、それどころか背後から刺されて死ぬ。
信を切り捨て、実益にて兵を縛るという私のやり方でも、多少は信頼関係というものは必要なのだが………それが報酬をきちんと支払うという最低限のものでも………理由もなく六櫻に古くから仕えている家臣団を殺せば、いらぬ風評と悪評を振りまくことになりかねない。
どれほど信を尽くし、取りたてられていても気分次第で濡れ衣を着せられ処分される、そんなイメージが先行してしまっては困る。仮にそうなれば、六櫻に新たな兵は生まれず、総合的に私にとって不利益となることは確定していた。
で、あればどうするか。六櫻の古老たちに、葬られるべき理由を与える、それしかないわけだ。
「そうなるとどう考えても華燐が不利になるのでは?だって、先手を六櫻の古老たちに取られてしまうということでしょう?」
「不本意ながらそうなりますね。そして古老たちは厄介なことに、能力だけはある」
華樂が集め、華樂に傾倒してきた人間たちだ。能力については折り紙付き。優秀ではある………その能力を生かす手段がないからこそ私にとっては無能なのだが。
桐吾が和紙を机の上に広げる。巻物であるため端の方はやや反っていたが、文鎮を置くことで矯正。
「姫様、こちらは?」
宝治の問いに静かに答える。
「霧墨が作った今後の想定です。あれは今赤松にて軍事の準備に追われているので視察に付いてくることはできませんでしたが、六櫻本国の動きについては私と同じく重く捉えている」
「ほう。霧墨殿も夕影殿と同じ六櫻の古参の武士だったと聞いていますが」
「あれは既に箍が外れている。華樂という鎖の外側に立っていますからね」
赤松との戦い以降、霧墨は華樂に付き従うというスタンスではなく、自身の能力をどこまで活かせるかという、言うなれば戦という遊戯に傾倒した。
戦をすること、続けること、そして勝つこと。それが今の霧墨の楽しみであり人生の目的なのだ。私と歩みを続ける限り、その遊戯が終わることはない。だから、共闘している。
尤も、六櫻の古老たちも霧墨の変化に近しいことが起こったからこそ、今回のような排除が必要になったわけであるが。
「野心、ですかねぇ」
「そういうことです。今までは華樂という巨大な鎖によって繋がれていた彼らですが、そもそも六櫻の古老は六櫻に忠誠を誓っている訳ではない。彼らは華樂に忠義を捧げていたのであってこの国は華樂の故郷だから同じように扱うという程度でしかなかったのです」
「ではその華樂様が死して華燐の代になればどうなるか―――答えは反逆、と」
小夜の言葉に頷いた。
「第一として六櫻の古老たちは本来、かつての六櫻のような小国の武士に収まるような力量ではありません。各々が持つ野心も能力もより高く、それこそ天唯の大国に仕えるべき人材でした」
「彼らを褒めることもあるのですね、姫様」
「能力を正しく見極めているだけです。そんな人材ですが、人誑しである華樂によって六櫻という国に仕えることになりました。そして華樂は死に、無能な姫が上に立ち―――そんな姫は、華樂の事を顧みず、六櫻を豊かにする気もありませんでした。彼らはどうするか」
「………下剋上の世の中ですからね。立ち上がり、自分こそが新たな国主になろうと画策するでしょう。六櫻そのものではなく、華樂殿に忠義を向けていたのであれば尚更に」
「ええ。元より能力のある野心家です。華樂が居た時は、華樂が全ての人の輪の中心に立つが故に問題として現れなかったそれも、ひとたび彼が欠ければこの通り、一切の忠誠を失い各々で立ち上がりだす」
古老たちは仲間ではないのだ。同じ国主に頭を垂れているだけの他人、良くて扱いは同僚でしかない。
無論、能力はある以上、徒党を組むために群れはする。組織には組織でしか太刀打ちできない、それを理解できぬほど愚かではない。己に適した役職に徹することも出来るだろう。
便宜上、旗頭も選出するはずだ。でも、それは最早六櫻の武士としての働きではない。
「古老たちの目的は私を廃し、代わりに国主として立つこと。そして私が作り出した経済基盤を吸い尽くし、かつての華樂が国主であったころの六櫻をより豊かにすること―――まったくもって、父上は厄介な人材を遺してくれたものですね」
本音と建前だ。本音としては野心を発揮し、認められたい。一国一城の侍になりたい。その本音を隠すために掲げる建前は?
華樂だ。かつての信を見せかけだけの旗印とし、私を滅ぼすことに正当性を与える。六櫻の古老とは即ち、父が私に残した不良債権なのである。
当然ながら、不良債権は処理せねば国が傾く。
私は和紙へと隻腕の指を伸ばした。
「そのための法律。そのための金印。博打は多いが勝の目はある。そして霧墨曰く、仕掛けてくる時期は分かりやすい」
「と、いいますと?」
「私の傍には誰が居る?」
私が発した言葉に、一斉に頷きの溜息が零れ落ちた。
そうだ、私には常に夕影が付いている。どれほど能力のある武士であっても、夕影が傍にいる限り私に害を成すことは不可能だ。
「”だからこそ、必ず仕掛ける瞬間に夕影を遠ざける”と霧墨が言っていました。それと同時に夕影が四半刻も離れれば私はとっくに首だけになっている、とも」
実際はその半分の時間でも夕影が私から離れれば、その時点で詰みである。
六櫻の古参の武士は、それだけ強い。馬廻衆がいれば多少は持つだろう。だが、数の利を取られれば破られてしまう。そして必ず数の利を取れるように立ち回ってくるはずだ。
恐らく守り切ることは不可能。だから私たちは他の手段を取る。




