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第193話 決断

ある悩みを抱えつつ、備中への援軍準備のため居城の坂本城に戻った惟任光秀(明智光秀)。


直属軍を糾合すべく、次に向かったのは丹波国支配の拠点・亀山城でした。


ここで万余の大軍を集めた光秀は、刻々と入ってくる情報に耳を傾けながら、言葉少なに思案に耽っていました。


まるで、その心中を突き固めるように。


そして光秀の足は、何かを求めてか京の西北にある愛宕山へと向かいました。

 京の西北にある愛宕山と言えば、古来より天下の信仰を集める霊場である。

 神社と言っても、愛宕山を有名にしたのは愛宕大権現を本尊とする白雲寺であった。

 その後次第に隆盛に向かった愛宕山の山中には次々と寺が建立され、平安期以降に進んだ神仏習合(日本発祥の神道とインド発祥の仏教が融合して生まれた信仰)によって生まれた修験道の一大道場となった。

 つまり、山伏の主要な根拠地のひとつとなったのだ。


 戦国の世においても、貴賎を問わず愛宕山への崇敬ぶりは変わらない。

 丹波の国主となった惟任日向守光秀(明智光秀)も、この名刹を厚く信仰するひとりであった。

 ただ信仰を寄せるだけでなく、手厚い保護を行ってきた。

 もちろん、山城・丹波両国の国境にある愛宕山が、両国に強い影響力を持つことを見越しての「投資」ではあったのだが。


 天正10年(1582年)5月27日、亀山城を発した光秀が向かったのは、この愛宕山であった。

 今回はただの参拝ではなく、一昼夜参籠(寺や神社に籠って祈ること)する予定だった。

 光秀はこのところ抱え続けた悩みの果てに、ある決断を下そうとしていた。

 それは重大な決断であるだけに、愛宕大権現の神意という「箔付け」を得たいと願ったのだ。


 とは言え、光秀自身は神意などあまり信じてはいない。

 古典的な教養深く、宗教的素養にも通じているが、それはあくまで知識として持っているに過ぎない。

 目から鼻へ抜けるように怜悧な男であるだけに、自分自身を恃むところが強く、運を天に任せて行動するような不確実性を嫌ってすらいる。


 そんな光秀が愛宕山に登ったのは、神意を得てこれから実施する自分の行動を正当化し、配下の将兵がついてきやすい大義名分を準備するためにほかならない。

 戦国時代は現代に比べてはるかに信仰心が厚く、そして迷信深い者が多かった。

 それは戦場に臨む将兵とて例外ではなく、出陣前の縁起担ぎや果ては戦を行うにふさわしい日すら神意をうかがって決めることがあった。

 光秀配下にも信心深い者は少なくなく、彼らを大それた軍事行動に巻き込むために、光秀は著名な神仏の「加護」を得ようとしたのだ。


 愛宕山中の太郎坊に籠った光秀は、くじを引いた。

 一般の兵にまでわかりやすい「神託」と言えば、くじであろう。

 現代でもそうだが、「おみくじ」とは神意の発露である。

 これから光秀が起こす軍事行動をくじで占い、「吉」とさえ出てくれれば神意を得られたとする寸法であった。


「ふむ・・・これは。」


 現代では「大吉」や「凶」などとはっきり書かれているものが主流だが、光秀が引いているくじは少し違う。

 全部で100番まであるくじにはそれぞれ経典の一節が抜き出されて書きつけられており、そこに書かれた漢字の意味から今後進むべき道を知るというものだ。


(・・・道を守りて(まさ)(たい)に逢うべし、風雲も偶然ならず(道を守ってゆけば安泰で、風雲を起こして立身出世する。)、か。不足じゃな。)


 光秀が引いたくじにはいずれ立身出世するとあり、決して悪い卦ではない。

 だが、平坦な道を歩んでいけば安泰であるという前提条件は、道義に外れた行いをしようと決断した光秀にとって、諸手を挙げて喜べるような内容でもない。

 この程度の「神託」では、危地に飛び込もうとしない部下も出るであろう。


「いま一度参ろう。」


 気に入らないくじであったので、光秀はくじを引き直すことにした。

 何度も引き直しては「神意」も何もあったものではないが、そんなことは気にしない。

 教養の深い光秀は、かつての占卜が良い卦が出るまで繰り返し行われていたことを知っている。

 所詮は方便なのだ。

 愛宕山でこれ以上ないような吉運に溢れた神託を得たという事実が重要なのであり、それがどのような経過で得られたかなど余人が知らなければ良いのである。


(有名(すべか)らく()うことを()べく、三望一期に遷る(物事がどんどん順調に進んで名声が高まり、すべての望みが一度に叶う。)。これよ!)


 2度、3度と引くうち、ついに光秀は望むくじを得た。

「物事がすべて思い通りに行き、すべての望みがかなう」のであるから、これ以上の神意はないであろう。

 冷静に考えれば、何度もくじを引いた時点で全然思い通りに行ってないではないかと思うが、そんなことはどうでも良い。

 光秀がわざわざ愛宕山にまで行って祈りを捧げ、そこで下された神託が「大吉」であるという事実が重要なのだ。


 光秀は目的を達した。

 となれば、もうここに用はない。

 翌5月28日に愛宕山で連歌の会を開いた後、その日のうちに光秀は亀山城へと帰った。


 ……………………………………………………………


「では、まずは摂津へ?」


「うむ。わしとともに摂津の諸将も上様より出陣を仰せつかり、戦支度の最中のはず。彼らと合流し、西へと向かうのじゃ。」


「となれば、老の坂から山崎へと廻り、摂津へ参られまするか?」


「そうじゃ。いつでも出立できるよう心せよ。」


「わかり申した。」


 亀山城に戻った光秀は、重臣たちを呼び集めると、今後の進路について通達した。

 光秀は西ではなくいったん南の摂津国に向かうことを指示したのだが、特に奇異に思う者はいなかった。

 丹波国の南東部に位置する亀山城から西の備中国へ行こうと思えば、実はいったん南下して摂津国に入り、西国街道を行く方が進みやすい。

 丹波国内の山がちな地形を西へ西へと進むのはなかなか骨が折れ、大軍だとなおさらスピードが鈍ってしまうのだ。


 ただ、光秀が摂津廻りの道をとったのには別の理由が隠されていたのだが、そのことに気づいた者は誰一人いなかった。

 ついでに言えば、亀山城と京の二条にある光秀の屋敷との間で使者のやり取りがいつになく頻繫だったが、これとて信長の西国出陣に関する諸々の準備や打合せのためだろうと誰も気にする者はいなかったのだった。


 事態が急転したのは5月29日だった。


 この日の朝、織田信長は安土城を留守居を命じた者たちに託すと、わずか数十人の小姓だけを連れて京へ向けて出発した。

 安土から京へは馬でも船でも1日あれば行ける。

 少人数で身軽な信長は、夜には入京していた。

 泊まるのはこのところ京における宿泊場所としている法華宗の本能寺であった。


 信長は西国への出陣を控えていたが、軍勢が集まるのはまだまだこれからだ。

 それよりも前に秘蔵する茶器を公家衆などに披露しようと京へとやって来たのだった。


「信長入京」の知らせはただちに二条の屋敷から北西に向けて発せられ、翌6月1日の昼頃には光秀の知るところとなった。

 知らせを聞いた光秀は、思わず天を仰いだ。

 ほうっと大きく息を吐き、次の瞬間、その目は何かを射抜くような鋭い光を放っていた。


「法螺貝を吹け。出陣じゃ!」


 間もなく、昼さがりの亀山城の内外に法螺貝の音が鳴り響いた。

 出陣の合図だ。


 多くの場合、出陣は朝に行われることが多い。

 援軍に行くのに何でこんな時間に、と思った者も大勢いたに違いないが、さすがに百戦錬磨の軍勢は迅速に集結を完了していく。

 物頭を通じて昨夜信長が上洛したこと、京で信長の閲兵を受けることになったことが告げられ、兵たちの疑問も氷解した。


「出陣!」


 申の刻(午後4時)ごろ、惟任勢は南下を始めた。

 慌ただしい出陣であったにも関わらず、しばらくはその行軍速度はゆったりとしたものであった。

 約1里(約4km)離れた柴野(篠)までを半刻(1時間)ほどで進み、勢ぞろいしたのが酉の刻(午後6時ごろ)だった。

 何しろ万を超える大軍だけに、先頭が柴野に着いた頃には最後尾はまだ亀山城を出て間もないといった有様なのだ。


 軍勢に小休止を与え、光秀は1町半(約170m)ほど離れたところに仮の本陣を置き、片腕と頼む明智秀満に命じて重臣たちを呼び集めた。

 集められたのは秀満のほかに明智光忠、斎藤利三、藤田行政、溝尾茂朝といった光秀の創業を支えた長年の重臣たちであった。


 この時点で、彼らの脳裏を占めていたのは今晩の宿営地のことであった。

 まだ外は明るいものの、もうすぐ暗くなっていく。

 京での閲兵式は恐らく明日以降であろうし、軍勢を今宵どこで宿営させるかが彼らの最大の関心事であったのだ。


 だが、光秀の表情を見た瞬間、彼らは一様に異様なものを感じ取った。

 そこには今夜の宿の心配などとは次元の違う緊張感が漂っていた。

 重臣たちは一様に押し黙り、主君からの言葉を待った。


「今宵は夜通し駆ける。日が暮れたら、足を早めさせよ!」


「それは・・・何か大事が出来いたしましたか?」


「大事は・・・起こっておらぬ。いやさ、我らが起こすのよ。」


「いずこへ向かわれまするか?」


「知れたこと、京じゃ。」


「そ、それでは・・・。」


さすがに、みな光秀の意図するところに気づいた。

固唾をのんで、次の言葉を待った。


「敵は本能寺にあり!!」

いよいよ本能寺前夜まで来ました。


奇しくも、新暦と旧暦の違いはありますが、本日6月2日は本能寺の変があった日。


何かしら因縁を感じてしまいます。


なお、「敵は本能寺にあり」というセリフは本当に光秀が発したものか疑問が残りますが、やはり定番中の定番なので採用することにしました。


様になる言葉というのはそうそうないものですが、やはりこの名文句には何とも言えない力があると感じます。

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