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第192話 発迷

羽柴秀吉が備中高松城攻めで着々と前代未聞の水攻めを進めているころ、京では新たな遠征の準備がなされようとしていました。


しかし、それは惟任光秀(明智光秀)が望む形ではありませんでした。


畿内における織田軍最大の軍権を授けられ、武田攻めの功労者接待の総責任者に任じられ、相変わらず織田家内部での光秀の処遇は手厚いものでしたが、それは光秀の野心を満たすものではなかったのです。


光秀の心に戸惑いと、ある迷いが生じ始めていました。

(やはり・・・。四国の取次はお召し上げになったか。)


 天正10年(1582年)5月上旬、安土にいた惟任光秀(明智光秀)は失望と落胆の中にあった。

 信長の三男・神戸信孝に阿波国が与えられ、彼を主将とする四国遠征軍が大坂で編成されることが公表されたのだ。

 まだ若く経験不足が否めない信孝を補佐すべく副将格として起用されたのは丹羽長秀や蜂屋頼隆であり、光秀ではなかった。

 それはこれまで長宗我部家と親しく付き合いをし、四国取次の任にあたっていた光秀が外されたことを意味していた。


 こうなることは、ある程度予想はしていた。


 武田攻めにおいて、信長から長秀に対して草津への湯治が勧められたとき、近々大仕事をしてもらうことになると予告がされていた。

 それが四国とは明言されてはいなかったが、鋭敏な光秀の分析では四国攻め以外の選択肢は浮かばなかった。


 また、畿内へ戻った後、光秀に武田攻めの功労者をもてなす接待役が命じられたことも、光秀に暗い予感をもたらしていた。

 何をやらせても有能な光秀に接待役を任せること自体に何の不思議もないが、光秀はこれを信長がしばらく自分に独自の戦線を担当させるつもりがない証拠と受け止めたのだ。


 そして、今回の発表である。


 予想してはいたものの、実際に光秀の手から四国担当の任務が完全に外れたことは、やはりショックだった。

 四国遠征軍には光秀に配慮してか、光秀の娘婿にあたる津田信澄(信長の甥)も選ばれていたが、その程度のことでは光秀の心は満たされなかった。

 義理の息子が重用されることは有り難いが、まだまだ現役バリバリと自負する光秀にとって受け入れがたい措置であったのだ。


 ただ、光秀は自分が信長から変わらず厚遇されていることは理解していた。

 信長が畿内の安定を重視し、その重任を光秀に与えようとする意思を十分に汲み取ってはいたのだ。


 一見盤石に見える織田家だが、急激な勢力拡大を重ねてきたため、本国である近江や旧本拠地である美濃・尾張、早くに征服して滝川一益らによって支配を固めた伊勢などを除けば完全に掌握できている国は意外に少ない。

 特に畿内やその周辺諸国は光秀が平定した丹波・丹後両国をはじめ、山城・大和・摂津など織田軍が武力制圧してから日が浅い国ばかりである。

 織田の強大な軍事力で睨みを効かせ続けなければ、いつ不安定化するか知れない。

 紀伊半島の南部に至っては、織田軍が武力で平定したとは言い難く、どちらかと言えば小康状態を保っているに過ぎない。


 元々、信長の構想では石山本願寺を降した後に、石山攻めを担当した佐久間信盛を「近畿方面軍」の司令官に任命する予定であった。

 しかし、信盛はその消極性を信長に嫌われて追放の憂き目に遭い、光秀にお鉢が回ってきた。

 光秀は武将として軍事や軍政に手腕を発揮するだけでなく、古典的教養も深いことから朝廷との折衝役や接待役などにもうってつけの人材だ。

 信長にしてみれば、光秀ほど畿内統治という困難な役割に適した家臣はいなかったのだ。


「近畿方面軍」の司令官職にしろ、功臣たちの接待役にしろ、決して不名誉な任務ではない。

 だが、光秀にとってはそれまで担っていた最前線から外され、「後方勤務」に回されたとどうしても感じてしまうのだ。

 彼が望むのは武将として陣頭指揮を取ることであり、さらなる戦功を積み重ねることだ。

 幕府奉公衆とは言うものの、将軍に従って各地を流浪するまでに一旦は落ちぶれた明智家をかつてない高みにまで上らせることだった。

 そのためには、「後方勤務」ではダメなのだ。


 昨年、光秀は拡大した惟任(明智)家中や軍組織のルールを取り決める「法度」を相次いで定め、統制の強化を図った。

 それは現状を維持し続けることが目的ではなく、あくまでこれからの戦争を戦い抜くための大事な基盤固めのためのものだ。

 昨年6月に光秀の定めた「家中軍法」の末尾には、磊落の身から拾ってくれて大軍を任せてくれた信長への恩義を示し、これからも軍事に邁進していくことを明記してあった。


 今まで信長が与えたい仕事と光秀がやりたい仕事がおおむね一致し、良好な君臣関係が続いてきた2人の間に、ここに来て思わぬ間隙が生じようとしていた。

 不幸なことに、その間隙に気づいたのはそのうちの1人だけだった。

 そしてそれは、今後の自分のキャリアへの悩みに転じ、家臣である光秀の中で消化不良のまま存在することになったのだ。


 表に出しづらい悩みを抱えつつも、光秀の外面はそれまで通り忠実で有能な重臣のそれだった。

 与えられた接待役の任を果たすため、京・堺で珍しい食材を集め、安土へ入った。


 今回接待の対象となるのは、徳川家康と武田の降将・穴山信君の2人である。

 同時期に上洛の途についている織田信忠とともに、彼ら2人の働きがあったからこそ駿河国は短期間に平定され、武田家の本国である甲斐国に大きな動揺が走り、武田家のあっけない崩壊につながった。

 だからこそ、信長によってこの両名は申し分のない栄誉にあずかることになったのだ。


 彼らはともに畿内を目指し、道中の織田領では連日領主たちからの接待を受ける日々だった。

 信長が配下の国持や郡持ちの諸大名に手厚い接待を命じたからだ。

 5月14日には近江国番場へ至り、丹羽長秀による接待を受けた。

 翌15日に安土へ入った一行は3日間にわたって光秀が差配する接待を受け、大いに面目をほどこした。


 このまま光秀による接待が続いていれば、後の不幸はなかったのかもしれない。


 だが、信長は急きょ光秀を接待役の任務から解き、出陣のしたくをするよう命じた。

 秀吉が水攻めを行う備中高松城に向けて毛利本軍が援軍に駆けつけ、主力同士による決戦を目論む秀吉が信長に援軍を求めてきたためだ。

 信長は軍勢を率いて向かうことを決め、さしあたって京周辺でもっともまとまった兵力を保持している光秀の軍に先発するよう命じたのだった。


 5月17日、光秀とその寄騎である細川忠興・池田恒興らは領地への帰途についた。

 そのうち最も安土から近い坂本に城を持つ光秀は、その日のうちに帰城した。

 光秀は自分に直属する近江国志賀郡や丹波の国衆に陣触れを出し、10日後の出陣を言い渡した。


 突然の出陣への対応に追われながらも、光秀のもとへは京や安土周辺の情報は頻々と入ってきた。

 それは軍事行動を起こすにあたっての打ち合わせのためのものであったが、それに接する中である事実が無意識に光秀に突きつけられることになった。


(いま、天下(京周辺の畿内のこと)でわしほど多くの兵を握っておる者は、誰もおらぬ。)


 信長も安土で陣触れを発したが、その対象は近江以東の東国勢であり、集結するまでにまだまだ時間がかかる。

 武田攻めの場合を見るに、少なくとも1ヶ月近くはかかる可能性が高い。

 何しろ、東国勢を率いる立場にある嫡男の信忠はわずか数百人の側近たちとともに上洛してきており、現在は軍勢を伴っていないのだ。

 接待を受けている徳川家康や穴山信君もわずかな供廻りでやって来ているため、軍勢は連れていない。

 これから軍勢を差し上らせるとなると、相当な時間がかかるはずだ。

 信長は毛利を打ち破った勢いで九州まで攻め上ると表明しており、大軍を動員するつもりであることは容易に予想できる。


 そんななか、秀吉への援軍の先陣を命じられた光秀は「合法的」に麾下の大軍を集めることができる。

 次第に光秀のなかである迷いが大きくなっていった。


 5月26日、光秀は近江国における自分の直属軍を率いて坂本城を後にし、丹波国亀山城へと向かった。

 そこには丹波国衆らの兵がすでに集結しているはずだった。


 その日のうちに亀山城へついた光秀は、ある重大な情報に接した。

 信長・信忠父子が上洛し、京で軍勢の集結を待つという。


(京なれば、多数の兵は連れて入ることはできまい。お供するは小姓や馬廻らのみのはず。上様らの御身を守るは、せいぜい数百・・・。)


 迷いは、信長らの不用意な行動予定を聞き、極限まで肥大した。

 否、もはや迷いではなくなっていた。

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