第191話 水攻
織田信長が悠々と平定した武田領国を見回っているころ、西では羽柴秀吉が毛利の勢力圏への攻勢を強めていました。
ただ、小城を次々に落として破竹の勢いを見せる羽柴軍の前に、1つの堅城が立ちふさがりました。
清水宗治以下数千の城兵が固く守る備中高松城に対し、秀吉は力攻めの不利を悟ります。
織田信忠や滝川一益らが華々しい戦果をあげるなか、同様に成果を求められて一見追い詰められた観のある秀吉ですが、名うての堅城に対してある奇想天外な城攻めを行おうとしていました。
「こりゃ、大変やなぁ・・・。険しい山城ってのはナンボでも経験あるけど、こんな城は初めてや。」
天正10年(1582年)4月15日、羽柴秀吉率いる大軍は毛利方の備中国高松城を包囲した。
高松城は平城ながら攻めにくく守りやすい堅城であると事前に聞いてはいたが、実際に秀吉の目には想像以上の難敵に見えた。
高松城には元々は本丸と二の丸しか存在せず、それらが南北に連なるように配置された単純な城郭として誕生していた。
現在は羽柴軍の来襲に備えて城域が大きく拡張され、2つの曲輪を取り巻くように三の丸が設けられて城域は倍以上に拡大してはいるが、それでも決して巨城というほどではない。
本丸や二の丸の広さは1町(約110m)四方程度であり、南北に細長い三の丸もそれより少し広い程度の面積でしかないのだ。
また、曲輪は土塁によって区画され、近年流行している石垣を用いたものではない。
当然ながら攻め手を拒む高い壁は存在せず、ずんぐりした印象を与える城のたたずまいとなっている。
平地にあるという通常不利な条件もあり、城の平面図を見る限りではたいして攻めにくいイメージは受けない。
だが、山城の攻めにくさの特徴である標高差とはまた別の攻めにくさが高松城にはある。
城が存在する周囲一帯が湿地となっているのだ。
高松城は足守川の東岸、吉備高原が急激に落ち込む先に広がるデルタ地帯に築かれていた。
周囲には足守川や高梁川が作り出したかつての河道が無数に走り、広い湿地帯が広がっている。
城が建つ場所は遠目には周囲と同じ高さにしか見えないが、実際には足守川が運んできた土砂が作り出した自然堤防の上にあるためにほんのわずかだけ標高が高く、湿地の中に浮かぶ島のような地形だった。
各曲輪の間は架け橋で結ばれ、城は実際に浮島のようになっていて、容易に敵の侵攻を受けつけない。
「けど、攻める前から諦めるってのもなんやしなぁ。とりあえず試してみるか。」
一見して力攻めは難しそうだと感じた秀吉だが、2度にわたって攻撃をかけてみた。
どんな堅城も、城兵の戦意が高く団結していなければ期待された防御力は発揮できない。
一当たりしてみたら、案外簡単に落ちたという事例も少なくないのだ。
羽柴軍の攻勢によって城の北西約1里(約4km)にある冠山城など周囲の城は軒並み陥落していた。
それを知って高松城内でも士気が低下しているかもしれないと期待したのだった。
ところが、城主・清水宗治以下2,3千の城兵の結束は固く、高松城はびくともしなかった。
湿地帯を通り抜ける難所であるために城へ通じる道は限られ、一度に大勢を送り込むことができない。
道から外れれば沼のような湿地帯に踏み込んでしまい、身動きの自由もままならない。
羽柴軍は数の優位をまったく活かせず、落ち着きはらった城兵によって苦もなく撃退された。
「こうなったら長期戦やなぁ・・・また兵糧攻めか。」
力攻めによる短期決着を断念した秀吉は、長期戦にシフトすることに決めた。
この時代、長期にわたる城攻めでは、決着がつくのは裏切りでなければ城内の水か食糧がなくなる場合である。
高松城は湿地の中にある城なので、水を枯渇させることは現実的ではない。
となれば、城内の食糧が食べつくされるのを待つ兵糧攻めしか手はないだろう。
「なるべく早く決着つけたいけど、難しいやろな。どうせやったら、毛利の本軍を引っ張り出したいな。高松城が重要なのは敵もよくわかってるやろうし、上様に後詰頼んで決戦したいもんやわ。」
今回、秀吉が備中国における作戦の主眼に据えていたのは、毛利本軍の誘引とその撃破にある。
秀吉が主導する織田軍の西部戦線は着実に西へ西へと進んでいたが、その歩みは決して順調ではない。
備前・美作両国を治める宇喜多家を味方に引き入れ、播磨・但馬・因幡といった国々を征服して明らかに優位には立っているものの、毛利本国には決定的な打撃を与えられていないのだ。
毛利の本領を削り取ったわけでもなく、そもそも毛利本軍を撃破するどころか直接戦ったこともない。
秀吉としては、ここらで毛利本軍をたたき、織田の完全な優位性を広くアピールしたいという思いが強くあった。
そうすれば、ひとつひとつ城を取っていくような腹立たしいほど遅い現在の勢力拡大状況も、一気に進展する可能性が高い。
毛利の凋落を決定づけ、今のところ毛利に与する中国筋の国衆たちを織田陣営に引っ張り込む算段がつきやすくなるのだ。
ただ、それには毛利の本軍と信長の本軍を引っ張り出して来なければならない。
毛利に3万以上の動員力があることは、先年の播磨国上月城の攻防戦で明らかだ。
あの時は、はるばる安芸国などから来襲した毛利軍に上月城の包囲を許したばかりか、有利な地勢を占められて会戦へと持っていくことができなかった。
その後、秀吉は毛利方の諸勢力を攻撃したが、毛利による大規模な援軍派遣はなかった。
北九州や長門国などで重臣クラスの反乱が相次いだことや、敵対する大友家などへの備えのために毛利は大軍を動かすことができなかったのだ。
重臣・吉川経家が籠る因幡国鳥取城を秀吉が攻めたときも、毛利軍は目立った動きを見せなかった。
秀吉が備中国に侵攻したのは、より毛利本国に近い備中ならば毛利軍も危機感を持って出撃してくるだろうとにらんだからだ。
備中の隣国は毛利の重鎮・小早川隆景が本拠を置く備後国であり、さらにその隣国は毛利家の本拠がある安芸国なのだ。
また、秀吉は信長自身の出馬についても根回しを完了していた。
秀吉軍は3万と公称していたが、その実数は2万あまり、しかもその半数は同盟国である宇喜多家の軍勢であった。
この陣容では毛利本軍と戦うには不安がある。
信長臨戦のもと毛利軍と決戦し、勝つことが秀吉の狙いだった。
その構想は鳥取城攻めのときから練られており、今回も秀吉はその準備に余念がなかった。
播磨から備中に至るルートは整備され、沿線にはいくつも補給基地が設けられ、信長が率いてくるはずの大軍の進軍に支障がないよう入念に兵站の準備がされていた。
皮肉なことに、このルートは2ヶ月後に秀吉が京へと向かう際に大いに役立つことになる。
「それにしても、毎回兵糧攻めってのも芸がないよな。何かいい案がないもんか。のう、誰か何かないか!?」
高松城南東丘上の秀吉本陣で開かれた軍議において、秀吉は居並ぶ諸将に諮問した。
この高松の地で両軍の決戦を行うのは良い。
ただ、今回も城攻めを兵糧攻め一辺倒で行くのはどうにもつまらない。
鳥取城攻めでも感じたが、もっと派手なことをして天下の耳目を集めてみたいのだ。
「では・・・水を兵としてお使いになってはいかがか?」
微笑みすら浮かべ、奇想天外なことを言い出したのは寄騎の黒田官兵衛だ。
「水を兵とする?どうやって!?」
頭の回転の早い秀吉も、さすがにピンとこない。
水が兵に化けるとは、どんな魔術を使うと言うのか。
「唐土の兵術に水攻めというものがござる。周囲の川をせき止め、その水を城へと向けて放つ。城は四方みな水に浸かり、打って出ることはおろか、逃げることもかないませぬ。後詰とて城へ近づくこともできず、城はただ飢えるを待つのみにござる。」
「おう、それはすごい!えらい派手な城攻めやないか!!早速、どう普請するか決めようやないか。」
直ちに普請の奉行に蜂須賀正勝が任命され、秀吉麾下の諸勢が分担して築堤工事が始まった。
秀吉が築かせた堤の高さは最大で3間(約5.4m)近くもあり、相当大掛かりな構造物である。
とは言え、そもそも城の南西以外の方角は吉備高原の南端となる高地が取り巻いており、そちらについては堤を築く必要がない。
工事の総延長は約1里(約4km)程度ですむうえに、そのすべてを新設するわけではなかった。
なるべく既存の堤防や丘陵の稜線など利用できる地形を最大限活用し、労力が最小限となるよう工夫された。
多くの箇所では堤防よりも、来襲するであろう毛利の援軍に備えるための陣城などをつくる方により大きな労力が注がれ、大規模な築堤工事が行われたのは取水部となる上流の門前村付近と最下流の蛙ヶ鼻付近であった。
このため、築堤工事は驚くべき早さで進み、わずか10日あまりで完成をみた。
完成なった堤は早速機能を発揮し、折からの梅雨と相まって高松城の周囲を次第に浸し始めた。
城が周囲の湿地より少しばかり高いところに建っているとはいえ、その高さは1間(約1.8m)くらいに過ぎない。
たちまち各曲輪の間に水が満ち、城は思いがけず分断される格好になった。
他の曲輪へ向かうには、いちいち小舟を使わねばならない不便さである。
水に浸かった建物もあり、城兵の居住スペースが次第に減っていく。
何より問題なのが、補給路が完全に断たれ、物資の欠乏が心配になってきたことだった。
すでに毛利家への援軍要請は行われているが、その到着まで城が持ちこたえられるか不安が高まってきたのだ。
「おお、眺めも最高や!こんな城攻め、日本では誰もやったことないやろ!!」
城内の災難をよそに、秀吉は本陣から高松城を見下ろして悦に入っていた。
つい10日前とは景色が一変し、突如現れた巨大な湖のただ中に今にも沈みそうな城がポツンと存在している。
この状況を見た毛利の援軍は肝をつぶすだろうし、派手好みの信長はおおいに喜ぶことだろう。
「さ、あとは待つだけや。」
舞台は整った。
あとはそれにふさわしい演者が揃うのを待つだけだ。
だが、この「最高の舞台」に、秀吉が最も待ち望んだ演者が登場することはなかったのだった。




