その八 名前が違う 8
今度も熟練者の指導よろしきを得て、僕の初体験は完璧……にいきそうだった。
相手が、名前を言い間違えることさえなければ。
「う~ん……マサヤ……あ……あ、ごめんなさい」
いや……。
間違いは誰にでもあるものだけど……。
いまのは、僕には手酷い仕打ちだった。
はじめ、なんで間違えたのと感じた程度だが、そのあとじわじわきた。
食中毒の感染よりよっぽどダメージは大きい。
しだいに白けた空気になってきた。
いや、マサヤの名を呼んだのはいいけどさ。そのあとの「ごめんなさい」は、どっちに言ったの? 僕のほう? マサヤのほう?
そう問い質したかった。
起きたことが信じられない。自分の腕の中で思いのままにできるはずの女性がほかの男の名を呼ぶなんて。どんな超常現象よりあり得ないこと、あってはならないことだ。
そのうちに、おねえさんは服装を直しはじめた。
「マモルちゃん……そろそろ検診の時間なんだけど。看護師さん入ってきて、体温とか脈拍を測るの。はずしてくれないかしら」
僕は感情を押し殺し、仰せのままに従う。
(ずっとあとになって人に話したら、そういう状況でそういう真似はなかなかできるもんじゃないって言われたが)
お大事に。
病院からの帰路。
複雑な思いでなかったと言えば嘘になる。
結局、僕のほうがマサヤとかいう奴の代用品だったってわけだ。
いきなり騎士に昇格した小姓のように有頂天になってたのが、馬鹿みたいだ。
まさしく僕は、実より馬鹿なんだ。
でも。
でも……すくなくともこの僕を、本当に好きな相手の代用品に見立てるほどには価値を認めてくれてたことにならないだろうか。
そうさ。
前向きに考えるんだ、前向きに。おねえさん流に。
だけど本気でおねえさん流に考えたら、事情はもっと混迷してくる。
おねえさんの男、例のマサヤだけであるわけがない。
たまたま僕の前に過ごした相手がそいつだったというだけで、実際つき合ってる男はもっと大勢いそうだ。
なにしろ、おねえさんのそばには男がいくらでも寄ってくるんだから(僕のそばに幽霊が群がるように)。
しかもおねえさん、あのとおりの寛大さだから、たいていの男を気前よく受け入れてるかも。
そんな次第で。
いろいろ思いをめぐらしわかったのは、僕は芯から三田和美に惚れてる、あばたもえくぼで何でも許してしまうということだ。
すでに日は落ち、カップルばかり目立つ街路や電車の中で僕は、和美さんがこのあと誰かとさっきみたいなことをして、うっかり僕の名を呼んだりするんじゃないかと余計なことで気をもむようになっていた。
( 続く )




