その八 名前が違う 5
場をなごまそうと思った僕が、病室を間違えた件を話すと、やっぱり大笑いになった。
「やだ。その人、文学史の先生じゃない。わたしと名前の読みが同じだからまぎらわしかったの。おなじ階に入院して、よりによってマモルちゃんと最後の御対面なんて、ほんとに死ぬまで祟ってくれたわね」
僕もこの際だから、不謹慎なネタに相乗りを決め込んだ。
「死んだあとでも祟られたりして。あのおばあさんの顔、目に焼き付いちゃった。瞼を閉じると浮かんでくるんだよ。てっきりおねえさんとの悲劇的再会と思い込み、ご臨終の顔と間近に顔寄せて、向き合ったからさ……やっぱり呪われたのかも」
「まあ、かわいそう。よし……」
おねえさん、いかにも思いつきで余興やるぞというお茶目さで腰を上げ、僕の前に立った。
ほどよいサイズの乳房がちょうど僕の目の前にくる位置で。
それだとなんだからという感じで、背をかがめて顔を近づける。くちづけを求めるような感じ。
「おねえさんがお祓いしてあげましょう。は~い、目を瞑って~」
おねえさんは、ぼくの閉じた瞼の上に手を置き、微塵も神妙なところのない愛嬌に満ちたアニメ声で呪文を唱える真似事をしてくれた。
「守屋まもるくんの目に焼きついたおばあさんの死に顔が、消えてなくなりますように。死に顔、死に顔、飛んでけ~。死に顔、死に顔、飛んでけ~。ほ~ら、いま窓から飛んでいきました♪」
ほんとうかな。
目を開けると、あの壬田和実おばあさんの臨終の表情じゃなくて、三田和美おねえさんのいとしい顔が僕の顔と異常接近してる。
くちづけを交し合うのにこれほど遠慮とか恐れのいらない状況もなかった。
それでも僕は躊躇したが、おねえさんはこっちの抵抗線になんのこだわりもなしに、やさしく踏み入ってくる。つまり顔をいっそう近づけてきた。
唇と唇が触れ合う寸前だった。
相手がそういうつもりなら……よし、最後の一歩は自分からだ。
僕はかなり気張ってというか硬直した態度で、くちづけを挑んだ。
その刹那、おねえさんは柔軟性をもって対応、たがいの鼻がかち合わないよう絶妙な向きで顔をかしげる。
そして僕の体に両腕をまわした。
とっさにおねえさん、いや和美さんは僕の膝の上を居場所とするように身体を崩し、弾力ある体圧がこの身に快くのしかかるのを感じる。
唇を重ね合わせた感触に興奮しながらその身をかき抱いた。
熟練者の指導よろしきを得て、僕の初キスは完璧だった。
おねえさん、僕への影響力のわりに体格はずっと小柄なので、とうぜん僕から力強くエスコートされる格好になってる。
でもしっかりと僕にしがみつきながら、こっちのエネルギーがあふれ出る方向を思いのままに操ってる。
僕がどう挑んでも結局、おねえさんから求められるままに奉仕する感じ。
「もしかして、きみに大変なことしちゃったかも」
いったん顔を離した後で、彼女は囁いた。
「わたし、まだ完全に回復してないのね。体の中に食中毒のウイルス残ってると思う。今ので、きみにも感染したかもよ」
僕は上気した顔をほころばせて受け流した。
いいんだ。
こっちまで入院する身になったら、相部屋に移って仲良く療養しようよ。まあ、親が許しはしないだろうけど。
( 続く )




