その七 生け贄 3
「さて。今日は皆さんに、新しい家族を紹介しましょう。なんと、まだ17歳という若々しい年齢の兄弟。稲葉高校二年生の守屋護くんです。同級生の志摩敦子姉妹の導きで体験礼拝に来てくれたのがご縁となり、このたび晴れてボジャイ様の教えを受け容れることになりました。守屋護くん、どうぞ立ち上がってください」
僕はみんなが拍手で迎える中を起立、正面の支部長はじめ各方向に右顧左眄というかたちで何度も礼をした。学校で褒められることをした生徒が満場での拍手喝采を浴びることがあるけど、あれと比べても、よほど熱がこもってて真剣だ。
「守屋くん。どうぞ、こちらへに出て来てくれたまえ」
僕は会衆の見守る中、支部長の前に進み出た。
いよいよ入団の宣誓が始まるのか。
「さて、守屋くん」
進み出た僕に支部長は、一通の封筒を渡した。
「その封筒には紙が入っている。誓いの紙という神聖なものだ。お父さんでもいいし、お母さんでもいいよ。きみには何ものにも代えられないという大事な人がいるだろ? その人の名前を誓いの紙に書いてもらいたい。これから合唱が始まるが、その歌が終わるまでに記入したのを封印し、持ってきてほしい」
僕は仰せに従って、いったん席に戻る。
教団聖歌『あたらしき家』の合唱が始まった。
あ 見える 見えるぞ あそこに見える
あれに見えるは ひとりびと~
え 誰れだ あいつは あいつは誰だ
あいつはひとり ひとりびと~
わ 来るぞ あいつが あるいてくるぞ
あるいてくるは ひとりびと~
お なるぞ 家族に 家族になるぞ
あらたな家族 この家に
いまはみんなが兄弟だ 姉妹もいるぞ この家で
すでに家族だ 信者の絆
われらの家族 あたらしき家
ひとりびと いまは兄弟 みんなの家族
ボジャイ様の傘のもとで 我らはひとつ大家族
我らはすべて 兄弟姉妹
我らはすべて ひとつの家族
「聖歌」が合唱される中、席に戻った僕は、封筒から出した白い紙を前にしばし思案するという風をよそおい、実は必死でこらえていた。唇を噛みしめ、喉元まで出かかった笑いの暴発を。まったく、なんて歌だ。『生け贄の歌』も酷かったけど、この教団にまともな聖歌ってあるんだろうか。
敦子が傍らから、助言するように顔を寄せてきた。書けないのは迷ってるからだと思ったらしい(実際、迷ってた)。
「絶対に失いたくない人の名を書けばいいの。お父さんでもお母さんでも」
そういう人ならいるけど……。
「その人、今ここにいないんだ。本人の承諾もなく勝手に名前を書いちゃって、あとでその人にバレたら困らない?」
「バレないよ。見るのは、入団の質疑をする支部長だけだから」
そうなのか。
「あくまでかたちだけのものなの。自分はこんな大事な人の命に代えても信仰を貫きますと誓約するためだから、そんなこだわらなくていいと思う」
「きみも入団するとき、大事な人の名を書いた?」
「あたしお母さんの名前、書いた。お母さんも入信のときはあたしの名前、書いたって」
何ものにも代えられない大事な人。絶対に失いたくない人。
僕はもはや躊躇せず、それも誇りをもって、おねえさんの氏名を書いた。
三田和美。
そしてすばやく紙を折りたたみ、封筒に入れた。
僕が立とうとすると敦子は、手紙をひったくるように受け取って、囁く。
「いい。あたし、代わりに持ってく。守屋くんは大急ぎでトイレ行く振りして、中で笑ってきちゃいなよ。ここで吹き出したら入信失格になるから」
あ。こいつ、僕の気持ちをよく察してる。
僕は敦子に手紙を託すと席を立ち、奥のほうにあるトイレに向かった。
教団施設というより普通の家庭にある男女共用の御手洗いそのもの。落ち着いた清潔な印象だ。この同じトイレをあの御影が使ってるのかと思うと、なんとも妙な気がする。こんな目的のため利用するのははばかられたが今は仕方ない。水洗の音を大きく出して誤魔化しながら、こらえていた笑いの感情を一気に噴出させた。
しっかし、くだらねえ歌! ひーっひっひっひーっ!
あー、すっきりした。これだけ笑えば、もう大丈夫!
戻ってきたときには、チンケな歌の合唱は終わってた。よかった、救われた。
神妙な顔をよそおった僕はもう一度、支部長の前に進み出る。
衆目の中、僕と黒石氏とは、教卓のような小さな机をはさんで向き合った。台の上には敦子が持っていった封書が置かれてる。いよいよ入団の質疑だ。
「そうだ」
ここで黒石支部長は、よいことを思いついたという顔をして、自分の娘を見た。
「御影」
父親に呼ばれ、御影はビクッとする反応を示す。嫌な役を命じられるのを敏感に察したように。
「おまえ、守屋くんの前に出て、入団式の音戸をとってみなさい。できるだろ?」
「できない」
彼女は父親の仰せに、一呼吸もおかず拒絶の返事で応じた。敦子の話では、御影が衆目の前でこういう態度をとるのはほんとうに珍しいことだという。
「やり方は何十回も見てるから、わかるはずだ」
「いや」
「言われた通りにしろ!」
黒石氏は僕というお気に入りの入信希望者を相手に、その同級生でしかも自慢の娘、信者たちにも評判の良い御影に入団質疑の音戸をとらせることで、いい場面に仕立てられると踏んだのだろう。
しかし実際は、まったく違う状況、予期せぬ修羅場を招いてしまったようだ。とにかく御影はやりたがらない。僕のそばに来るのを必死になって拒んでる。
そんな娘の異常な抵抗を同級の男子の前ではにかんでるからとしか思わず、父親の、支部長としての権限で思い通りにする気なのだ。
こうした黒石氏の、いやがる娘に無理やり若い男の相手をさせようとする強硬な態度のせいで、こっちの立場も微妙になってきた。これじゃ僕まで、御影を虐げる側だ。避けられるだけだったのが今度は、敵意すら持たれかねない。
事実、御影は悲痛なほど嫌そうな顔をして出てくると、僕の前に立った。
政略結婚の犠牲となり望まぬ相手と無理強いで挙式させられる生娘のようだった(実際、まだ処女らしい)。こんなやり方は、僕だって望まない。
御影は、教団の儀式でのしかるべき役目をまかされた者として最低限の神妙さは保ちながら、入団質疑の文句をなんの抑揚もつけず、まったくの棒読みに朗誦する。
「汝、守屋護。ボジャイ様より差しのべられし救いの傘による庇護を受ける代償として、命と持ち物のすべてをボジャイ様に捧げることを誓うか?」
この場の様相が何ともちくはぐに見えるとしたら、理由は御影の台詞よりも顔の向きにあると言っていい。御影は僕を見ないよう、あさっての方向を向いたまま誓いの質疑を読み上げているのだ。
さっそく黒石氏から懲戒が入った。
「御影。ちゃんと相手の顔を見ながら言いなさい。そっぽを向いてるじゃないか」
御影は顔の向きを変えなかった。
「御影!」
父親からドス顔で凄まれた御影はいやいやという感じで、顔をこっちに向けた。目はしっかり瞑っている。
僕は不快な思いとともに、彼女への同情を感じた。いまや、御影に幽霊が見えるというのは嘘ではなかったのだとはっきり悟った。
「汝、守屋護。ボジャイ様より差しのべられし救いの傘による庇護を受ける代償として、命と持ち物のすべてをボジャイ様に捧げることを本心から誓うか?」
「本心から誓います」
僕は本心から嘘を言った。
「汝、守屋護。ボジャイ様より差しのべられし救いの傘による庇護を受ける代償として、命と持ち物のすべてをボジャイ様に捧げることを何度でも繰り返し、誓うか?」
「何度でも繰り返し、誓います」
僕は何度でも繰り返す思いで、嘘を言った。しかし、くどい。
そして御影はダメ押しする。
手探りで、机の上の誓いの紙が入った封筒を取り上げると僕に突きつけた。むろん目をしっかり閉じたまま。
「汝、守屋護。いま述べたボジャイ様への忠誠を、この紙に名を書いた者の命に賭けて、誓うか?」
「………………」
返事が得られないので、御影はさらに繰り返す。
「汝、守屋護。この紙に名を書いた者の命に賭けて、ボジャイ様にすべて捧げると誓うか?」
困ったな……。
おねえさんの命はおねえさんのもので、僕ごときが勝手に、軽々しく誓いの賭け代になんかできるもんじゃない。まず、口先だけで立てた誓いで、ぜんぜん守り通す気がないんだし。
僕から沈黙の応答を受け、御影はさらにさらに、質問を繰り返す。
「汝、守屋護。この紙に名を書いた者の命に代えても、ボジャイ様への信仰を守り通すと誓うか?」
僕が無言でいることに、会衆は不可解そうなざわめきによる反応を示し、支部長は困惑したような顔をする。
そして御影は、CDが壊れた箇所のように同じ文句を延々と繰り返すばかり。
「汝、守屋護。この紙に名を書いた者の命に代えても、ボジャイ様への信仰を守り通すと誓うか?」
本心ではもしかして、僕がついに誓いの拒絶をし、二度とこの場所に来なくなるようにと願ってたかもしれないが。
そう、来られない。
ここで誓いを拒んだら、僕は教団員として認めてもらえない。この支部に二度と来られなくなるだろう。御影に幽霊が見える秘密もわからず仕舞い、人生がオカルトに呑み込まれて果てる。
………………。
とにかくひとつの事実は認めねば。
割り切る以外に選択の途がないってことだ。
よし。
「誓います。その紙に名を書いた者の命に代えて」
我ながらはっきりした調子で、宣誓の言葉を口から出した。
御影はとりあえず、ホッとしたようだ。
これで同じ文句を際限もなく繰り返さずに済む。かくなるうえは、可能なかぎり入団の質疑を早く終わらせて、一刻も早く僕の前から立ち去りたいというのが当座の本音だろう。
会衆も安心したに違いない。仲間が増えたのも嬉しいし、この入団の儀式が済めばバーベキューの会食が待ち受けてるからだ。
いちばん安堵したのは、さっきからの僕と御影とのぎくしゃくしたやり取りに、苛立ちを隠せない様子でいた黒石支部長かもしれない。ようやく儀式の段取りが自分の思う通りに運んだのを知ると、晴れやかな表情を見せた。
さて、御影は詰めを入れてきた。
「守屋護。汝が当教団に命を捧げた者の名を拝見する」
なぜ誓いの紙に書かれた名前を照覧するかといえば。敦子に聞いたところ、時々ふざけてか勘違いでか、芸能人やアニメキャラの名を書くのがいて――そういう人は信者になれない――、ほんとうに入団者の生活圏に存在する人なのか確かめるためだ。
それにしても「当教団に命を捧げた者」とは、なんて言い草だい。何も知らずに病床で臥せってる(命にかかわる容態じゃないらしいが)おねえさんこそいい面の皮だ。
御影は盲人の仕草で封筒を開け、誓いの紙を取り出す。あくまで形式的に目を通すだけ、そこにある名前が守屋護の父か母か、いずれにせよ自分とは関わることのない誰かだろうという距離感をおいた態度で。
しかし目を閉じたまま、どうやって読むんだろう。
僕がそう勘ぐった矢先、彼女は折りたたんだ紙を拡げた。それを両手で捧げ持つ感じで、自分の視界から僕の存在を遮蔽するように顔の前に拡げてしまう。
(あ。この手があったか)
しばらく何事も起こらなかった。
御影は、誓いの紙を顔の前に拡げたまま凍りついたように動かず、言葉も発しない。
こういう態度も儀式の一部なのかと思い、彼女の次の挙措を待ち続けたが、会衆席では御影の様子をいぶかるようなさわめきが生じ、しだいに大きくなってくる。
普段どおりじゃないのだろうか。人々の目にも、御影の様子があきらかにおかしいようだ。
突然、御影に異変があった。
自分の視界を遮っていた誓いの紙をおろし、僕と初めて、まともに向き合ったのだ。不安におののいているが、それは幽霊を怖がっているからには見えなかった。今この瞬間、僕の周囲の幽霊は退散したのだろうか。あるいはすでに意識朦朧として、前にあるものが目に入らないのかもしれない。
彼女はなにか言いたげに口を半開きにし、ついでなにかを求めるように手を伸ばしたかと思うや、白目をむいて放心したような表情になると、こちらのほうによろめくのを立て直すように床に膝を突いたのち、まさかと思ったが、しなやかな身を床の上でスライディングさせるように倒れ伏した。
突っ伏した頭が僕の足に当たりそうなほど迫ってきた。
もともと小柄でほっそりした子なので、床から受ける衝撃は軽かったはずだが、それを見た会衆はみんな、大きな衝撃を受けた。
実のところ、御影が床に倒れるより先に、すばやくダッシュして崩れ落ちる少女の身を受け止めることもできなくはなかったが、とっさの事だし、御影が相手ではどうしてもそうするのを阻むものが僕の心の中にあった。これがおねえさんだったら違ったかもしれない。
いきおい僕は、美しい衣装をまとった姿で気を失った少女を前に、呆然としてたたずむ格好となった。どうすることもできぬまま。
御影のそばには真っ先に母親が、ついで黒石支部長が駆けつけ、抱え起こす。何事かと色めきたった会衆も席を立ち、親子を取り囲んだ。
狭い礼拝室は一定の秩序は保ちながら、人々が口々に取り交わす言葉の喧騒で実際より大きな混乱に陥ったような錯覚をみんなにあたえた。
「大変!」「ああ、ボジャイ様……」「御影ちゃん、大丈夫かしら」「バーベキューは? ねえ、バーベキューは?」
幸い、会衆の中には看護師の女性もいた。
御影に外傷がないこと、呼吸や脈拍も危険な状態でないのを確かめてからどうも貧血らしいという見立てがされ、とりあえず別室に移し、安静な状態で様子見することになった。
黒石氏は御影を抱き上げると、看護師さんの先導で人々が後ずさりしてできた道を通り、奥のほうに運んでいった。御影のお母さんが続く。
さらに敦子や敦子の母など、何人かの黒石家と親しい人々があとを追い、残余の会衆はざわめきの中で礼拝室に残された。
ほとんどの人には気がかりではあるが野次馬ぶって様子を見に行くのがはばかられたからだが、僕もその一人だった。
あんな事が起こって心が騒がなかったかといえば嘘になる。
そのあと長きにわたり、僕は倒れる御影を受け止められなかったのを後悔し続けた。なぜ体が動かなかったのだろう。御影の身をかき抱くあれほどのチャンスは望んでも得られないことなのに。
今の今まで御影が、あの御影が、僕のほうから庇護をあたえられる存在とは思いもしなかった。
それにしても疑問を残す出来事だった。
御影はなぜ失神したのだろう?
あきらかに彼女は、誓いの紙に書かれた名前を見てから様子が変になった。
倒れる直前、僕に助けを求め、すがりついてくるように思えたが、目の錯覚ではないはずだ。
つまり紙に書かれた名前が、幽霊の群れよりよほど恐ろしかったというわけか。
では御影は、三田のおねえさんの名前を見て、あれほどの衝撃を受けたというのか。もしかして彼女、おねえさんを知ってるのだろうか?
まったく、わからない。
この騒ぎの中もはや誰も関心など払わない、御影が手にした誓いの紙が動きまわる野次馬に踏まれたり摺られたりで床をすべるようにして、ぼくのいる付近まで運ばれてきた。
行き交う人々に手を踏まれる危険を冒し、なんとかそれを拾い上げる。誓いなんてどうでもいいが、この紙には大事なおねえさんの名前が書かれてる。紙くずみたいに粗末にされたらたまらない。
しかし拾った紙に目を通した僕は、御影ほどではなかったものの、愕然とした。
それはまぎれもない誓いの紙、御影が封書から出して照覧したものに間違いないが、その前に、僕が三田和美の名を書いたのとは別の紙だった。
僕の筆跡じゃない、ワープロの印字体でおねえさんとは別人の氏名が記されていたからだ。
黒石御影の名が。
その後、ダラネーナ教の奥義がわかってきた頃に、僕はようやく思い知る。
いまのが本当の「生け贄の儀式」だったということに。
( 続く )




