その七 生け贄 2
志摩敦子については噂がある。
あいつはもう処女じゃない。火遊びが大好きで、迫れば拒まずやらせてくれる、というのだ。
電車の中でも、わざわざ満員の車輌で痴漢を待ち受けてるとか、嫌がらずに触らせてる場面が何度も目撃されたという。
そうした噂に照らしてみると、いまの敦子の態度はさもありなん、という気にさせられる。純潔とか貞操という観念は、ダラネーナ教の戒律にないのかもしれない。
敦子は僕の傍らで体と体が触れ合っても、平気のようだった。
今も、短めのスカートから伸びた、肉付きよくやわらかそうな光沢の太ももが、どうかすると僕の脚と密着したりするが、そういう状態でも離れようとしない。広からぬ礼拝室に何十人もが詰め込まれた状況とはいえ、脚くらい離そうと思えば離せるのに。
いや。僕のほうでも、ぷりぷりまろまろした感触があまりに快くて、自分から離す気もしなかったけど。こういうのは童貞少年にとっては大変な事件だ。
そんな次第で、厳粛な「生け贄の儀式」の最中なのに、僕の頭は隣りの敦子の太ももの感触で占められ通し、ところが敦子はといえば何事もないという風に前方に固定させた目線を動かさない。頭の中でも別のことを考えてる様子だ。
「実はね、最近、呼び方が変わったの。以前は、生け贄、生け贄って、みんな平気で言ってた。だけどやっぱり、聞こえが悪いから」
そりゃそうだ(太もも……)。聞こえが良いわけがない(太もも……)。
「生け贄、なんて聞いただけで引いちゃって来なくなる人、結構いるのよ。だから誤解されないよう、なるべく教団外の人や入信したばかりの人には生け贄の儀式があるなんて言わないようにしてるのね。守屋くんにも黙ってたわけ」
なるほど(太もも……)、そういうことか(太もも……)。
ああ、太ももばかりで話が進まない。とにかく敦子によれば、信者は給料や年金のうちだいたい十分の一を教団に納めるのが定めらしい。月収二十万の人なら相場は月二万円、生け贄の日は月二回、第二日曜と第四日曜なので、一万円ずつ献上するわけだ。他に、ボーナスが出たときも相応の額を貢ぐ決まりだ。
ちなみに、未成年者や学生は「生け贄」を免除されるという。
そうやって各地の教団支部で集めた「生け贄」のうち半分が支部での取り分として運営や布教のため使われ(実際はほとんど、支部長宅の生活費に化ける)、あと半分は教団本部が徴収する。ざっとした計算でも、年に数千万円がボジャイ様の懐に入る勘定だ。
これじゃ、教祖様はやめられないや!
ボジャイ様ほどでなくても、富裕者の多い地域に展開し信者数も百人を超える別の支局では、支部長一家の暮らしぶりはなかなかのものらしい。
やはり敦子の話だが、若い信者の親睦会で裕福な地区にある支部に行ったとき、建物があんまり立派で、貧乏信者しか集まらないこの大野小町支局とのあまりの違いに呆然としたという。
さて。
僕が敦子の太ももに気をとられるうち、献金箱が敦子の隣りの人から回ってきた。
敦子は、持っていた千円札を折りたたんで中に入れる。
「学生は免除されるんじゃなかった?」
「あたしの場合、自発的に貢いでるの。そうしたほうがボジャイ様のご加護がもっと受けられる気がして。あ、守屋くんはいいよ」
そう言うと敦子は、手に持った献金箱をぼくを抜かすかたちで、僕の隣りの信者に手渡そうとした。なんだか疎外されたと感じる振る舞いだった。
「ちょっと待って」
僕は、手から手へと渡され前を通り過ぎようとする献金箱を自分の手でガシッと受け止め、膝の上に置くと、財布を出した。五百円玉でもあればと思ったが、あいにく小銭ばかり。ポケットを探っても、出がけに母から渡された一万円札があるだけだ。
よし。
僕は一万円札を出して、献金箱に収めた。
やってしまってから、すごく後悔した。
一万円は無職の高校生には大金だ。あれも出来た、これも出来た。どうして貢いでしまったの?
僕が入れた紙幣に福沢諭吉の顔をとっさに読み取った敦子は、伺うように、こっちの顔を覗きこんだ。
「いいの?」
「いいさ」
今更もう取り出せないじゃないか。ところで敦子は、献金箱を回すときに僕のほうに大きく身を寄せた。まるで恋人に寄り添うように、右半身が僕の左半身にべったりとなる格好で。『生け贄の歌』の合唱が終わっても、そのまま姿勢を戻さなかった。
なんだろう、これは。知らない人が見たら、恋人同士と思われるじゃないか。僕は人目が気になりはしたが、迷惑とは感じなかった。
すでに敦子がもっと親密な態度をとるのではと期待するようにさえなってた。
僕はそれとなく周囲を見たが、会衆で気付いた人はいないみたいだ。一瞬こちらにチラッと横目をやり(僕ではなく敦子のほうに)、咎めるような顔をしてから視線を戻した黒石御影を除いては。
敦子のほうでも御影の反応を察したようで、返事のつもりなのか自分の頭をかしげ、僕の肩にのせてきた。まるで見せ付けるみたいに。
それで御影はまた敦子を見やり、怒ったように眉根を寄せ、顔を背ける。
僕と敦子とで馴れ合ってるのがあきらかに気障りな様子だ。
僕のほうは見せ付けたいんじゃなく、ただ隣席女子から示される親愛のアプローチを拒む気になれず快いものとして受け容れるという、いわば敦子のなすがままにされてたわけだが、それでも御影の心を乱したのがわかると、なんとなく一矢報いた気分になった。
しかし、僕にとってのこの幸せな状態は長くは続かない。支部長が僕の名を呼び、みんなの注目がこちらに集まったからだ。
敦子はたちまち姿勢を正し、揃えた膝の上に両手を行儀よくおいた。
( 続く )




