第3話 静寂の破片、スポットライトの温度
「本日の公開オーディション、両部活とも準備はよろしいですか」
全校生徒が一堂に会した体育館。ステージ下に置かれたパイプ椅子の中央で、生徒会長の朝倉蓮が時計に目を落としながら静かに問いかけた。
体育館内を包むのは、異様な熱気とざわめきだ。
歴史と実績を兼ね備えた「演劇部」か。元アイドルの音楽教師が率いる、寄せ集めの「舞台芸術部」か。文化祭のメインステージに立てる枠は一つだけ。全校生徒の視線が、舞台袖に集中していた。
◇
先攻は演劇部だった。
幕が上がった瞬間、体育館の空気が一変する。演目は古典の名作『ガラスの仮面』を彷彿とさせる重厚な人間ドラマ。
部長である3年の黒川慎之介が第一声を放った途端、会場全体が息をのんだ。
「これこそが、我々が守り続けてきた表現だ!」
腹から響く圧倒的な発声、計算し尽くされた完璧な所作。一糸乱れぬアンサンブル。黒川の芝居は、長年の練習によって研ぎ澄まされた鋭利な刃物のようだった。観客の心を力ずくで引きずり込み、支配していく。
「すごい……隙がない……」
舞台袖で見ていた脚本担当の悠真が、ノートを握りしめたまま指を白くさせていた。
「これが、伝統の重み……」
「弱気にならないで、悠真」
白石玲奈がトウシューズのつま先でトントンと床を叩きながら、冷ややかな、しかし熱を秘めた声で言った。
「あちらが完璧な芸術なら、私たちは『今、ここで生きている私たち』を見せるだけよ」
舞台裏の暗闇の中、照明操作盤の前に座る安藤蒼は、静かに配線チェックを終えていた。
「大丈夫です。僕たちの光は、暗闇が深ければ深いほど綺麗に見えますから」
そして、舞台芸術部の出番がやってくる。
◇
「後攻、舞台芸術部。演目——『夜明けのファンファーレ』」
朝倉のアナウンスとともに、体育館の照明がすべて落とされた。完全なる暗闇。ざわめく観客席。
ポン、とスポットライトが一つ灯る。
照らし出されたのは、舞台中央で俯く水瀬結衣の姿だった。
(怖い……足が震える……)
大勢の視線が突き刺さる。中学時代の、あの声が出なくなった恐怖が津波のように結衣の脳裏をよぎる。息が浅くなり、マイクを持つ手が小さく震えた。
その時、袖で見守る益田塔子と目が合った。
塔子は静かに頷き、口パクで伝えた。
——『あなたらしく、歌って』
同時に、安藤蒼がスイッチを入れた。
結衣の頭上から落ちる光が、淡い青からあたたかな茜色へと滑らかに変化していく。それはまるで、長い夜が明けていく東の空のようだった。蒼の創り出した「光」が、凍りついていた結衣の心を優しく包み込む。
結衣は深く息を吸い込んだ。
「——♪〜〜」
透き通った高音が、体育館の天井へと突き抜けた。
一瞬の静寂の後、観客の皮膚に鳥肌が立つ。中学時代の失敗というトラウマを乗り越え、いま必死に声を届けようとする結衣の「熱」が、旋律に乗って会場を揺らした。
続いて、大野隼人が跳び出した。
ダイナミックなストリートダンス。独学ならではの野性味あふれるステップが、結衣の歌声と弾けるように重なる。
玲奈のバレエで培われたしなやかな跳躍が物語に彩りを与え、悠真の綴った「不器用な僕らの叫び」という台詞が、観客一人ひとりの胸に刺さっていく。
演劇部が「魅せる完成された舞台」なら、舞台芸術部は「感情が爆発する泥臭くも眩しい舞台」だった。
最後の旋律が響き渡り、蒼が仕掛けた渾身の演出——体育館全体を包み込むような桜色の光が弾けた瞬間、幕が降りた。
しばしの静寂。
そして、割れんばかりの拍手と歓声が体育館を揺らした。
◇
「——以上で、両部のプレゼン公演を終了します」
投票用紙が集計され、マイクの前に立った生徒会長・朝倉蓮の表情はいつになく真剣だった。
「集計結果を発表します。全校生徒による得票数は……両者、同数でした」
「「えっ……!?」」
会場にどよめきが広がる。朝倉は静かに生徒会役員から受け取った資料を開き、続けた。
「よって、生徒会規約に基づき、最終判断は生徒会長である私に委ねられました」
朝倉の視線が、演劇部の黒川、そして舞台芸術部の塔子たちへと向けられる。
「演劇部の公演は、技術、構成ともに文句の付けようがない完璧なものでした。高校演劇の枠を超えた素晴らしさです。……しかし」
朝倉は一度言葉を切り、言葉を選ぶように丁寧に話した。
「舞台芸術部のステージには、観客の心を動かす『未知の熱量』がありました。歌えなかった少女が歌い、怪我に泣いた少女が踊り、影にいた少年が光を灯した。彼らが舞台上で見せた葛藤と成長こそが、今年の文化祭のスローガンである『新風』に最もふさわしいと判断します」
朝倉は深く息を吐き、きっぱりと告げた。
「文化祭メインステージの出演権は——舞台芸術部に決定します」
歓喜の悲鳴が舞台芸術部から上がった。隼人が悠真を抱き上げ、結衣は玲奈と手を取り合って涙を流した。蒼も照れくさそうにメガネを押し上げながら微笑んでいる。
その輪から少し離れた場所で、演劇部部長の黒川がじっと舞台芸術部を見つめていた。
拳を強く握りしめ、悔しさに唇を噛みしめる黒川。しかし、彼はゆっくりと塔子たちの元へ歩み寄ると、右手を差し出した。
「……見事だったよ、益田先生。僕たちの『完成度』に、君たちの『生々しい熱量』が勝った。認めざるを得ない」
塔子は黒川の手をしっかりと握り返した。
「ありがとうございます、黒川くん。演劇部の素晴らしい舞台があったからこそ、この子たちも全力を出せました」
「フッ……勘違いしないでくれよ」黒川は不敵に笑った。「メインステージは譲ったが、演劇部は体育館の特設ステージで公演を行う。文化祭当日、どちらが客を惹きつけられるか……本当の勝負はそこからだ」
「望むところです」
互いの実力を認め合ったライバルたちの視線が交差する。
オーディションという大きな壁を乗り越えた舞台芸術部。しかし、喜びも束の間、校舎の陰からその様子を見つめる一人の女性の姿があった。
大きなサングラスに、深くかぶった帽子。
国民的人気グループの元センター、星野美咲——。
塔子の過去を知る「もう一人の主人公」が、ついに犬山の地に足を踏み入れようとしていた。




