第2話 交錯する光と影
「あと十日しかないんだぞ! 演出のテンポが遅い!」
放課後の第一体育館。演劇部部長・黒川慎之介の鋭い声が響き渡っていた。洗練された発声、寸分の狂いもない立ち位置。半世紀の歴史を誇る犬山北高校演劇部の稽古は、圧倒的な緊張感に包まれていた。
体育館の2階ギャラリーからその様子を見下ろしていた舞台芸術部の面々は、思わず息をのむ。
「すごいプレッシャーだな……。黒川先輩の演技、遠くからでもビリビリ伝わってくるよ」
隼人が珍しく真顔でつぶやく。
「完成度が違いすぎます……。僕の書いた脚本で、あの圧倒的な演技に勝てるんだろうか」
悠真は抱えたノートをぎゅっと握りしめ、目を伏せた。
部員たちの間に漂う不安な空気。それを払拭するように、白石玲奈がフッと鼻で笑った。
「怯んでどうするの? 向こうが正統派の『演劇』なら、私達は音楽もダンスも光も混ぜ合わせた『新しい舞台』を見せればいいのよ。型にはまる必要なんてないわ」
玲奈の言葉に、最前列にいた1年の安藤蒼が小さく頷いた。彼の膝の上には、学校から借りてきた古い照明機材の配線図と、自分で描き込んだノートが広げられている。
「……勝てますよ」
蒼がぼそりと呟いた。普段は口数の少ない彼が、珍しく強い眼差しで塔子たちを見上げる。
「黒川先輩たちの舞台は素晴らしいですが、照明が『役者を照らすための道具』にしかなっていません。僕たちがやろうとしているのは、光そのものを一つの『役者』にすることです。悠真先輩の描く感情の揺れを、色と明暗で空間全体に拡張してみせます」
蒼の手元にあるスケッチには、結衣が歌う瞬間に、まるで犬山の桜吹雪が舞うかのように光が交差する緻密な演出案が描かれていた。
「蒼くん……そこまで考えてくれてたんだ」
結衣の瞳にパッと光が宿る。
「よしっ! 裏方がそこまで本気なら、表に出る俺たちが日怯んでる場合じゃないな!」
隼人が豪快に悠真の背中を叩いた。「悠真、自信持てって! お前の書く台詞、俺すげー好きなんだからさ!」
「痛っ……ありがとう、隼人くん」
落ち込みかけていた部員たちの顔に、再び熱が戻っていく。
その様子を後ろで見守っていた益田塔子は、胸の奥が温かくなるのを感じていた。互いの得意分野で支え合い、弱さを補い合う。完璧な個の集まりではないからこそ生まれる化学反応。それこそが、彼女がかつてアイドル時代に忘れかけていた「チーム」の姿だった。
◇
数日後の夜。校舎の解錠時間を過ぎても、旧校舎の音楽室には明かりが点いていた。
塔子は一人、グランドピアノに向かい、劇中のクライマックスで結衣が歌うソロ曲の編曲を詰めていた。教員としての業務を終えた後の作業は体力を削るが、不思議と疲れはなかった。
「……先生、まだ残っていたんですか」
振り返ると、ドアの隙間から安藤蒼が顔を出していた。手には自作のLED配線基板を持っている。
「安藤くん? どうしたの、こんな時間に」
「あ、すみません。昼間、音響の配線で少し気になることがあって……。機材室の確認をしていました」
蒼は申し訳なさそうに縮こまったが、塔子は優しく微笑んで「入って」と椅子を勧めた。
「安藤くんは、どうしてそんなに照明や音響が好きなの?」
温かい缶コーヒーを渡すと、蒼は少し照れくさそうに缶を見つめながらポツリポツリと語り始めた。
「……僕、子供の頃から話すのが苦手で。クラスでもずっと影が薄くて、誰からも気づかれないような子供だったんです」
蒼の視線が、音楽室の天井のスポットライトに向く。
「中学生の時、たまたま観に行った小劇場の舞台で……暗闇の中から一筋の光がパッと差して、ステージの真ん中にいる人を照らしたんです。その瞬間、空間の空気すべてが変わった。誰にも見向きもされなかった場所が、光ひとつで世界で一番綺麗な場所になる。……それを見た時、鳥肌が立ちました」
蒼の言葉には、強い熱量がこもっていた。
「自分自身が表舞台で輝けなくてもいい。でも、光を使って、誰かが輝く場所を作りたい。悩みながらも前を向こうとしている結衣さんや隼人先輩たちの姿を、一番綺麗な光で包んであげたいんです」
「安藤くん……」
「だから、絶対にあの公開オーディション、成功させたいです」
静かだが固い決意。塔子は胸が詰まる思いだった。
(この子たちはみんな、何かを諦めたり、傷ついたりしながら……それでも自分の光を探している)
自分はどうだ。かつて声が出なくなり、ステージから逃げ出したトラウマ。それを理由に、どこかで「指導者」という安全な場所に逃げ込んでいなかっただろうか。
「ありがとう、安藤くん。あなたの光があれば、結衣さんたちの歌もダンスも、絶対にみんなの心に届くわ」
塔子は鍵盤に手を置いた。
「さあ、もう一踏ん張り。安藤くんの光に負けないくらい、最高の旋律を仕上げなくちゃね」
夜の音楽室に、力強く、そして優しいピアノの音が再び響き始める。
窓の外には、暗闇の中に静かに佇む犬山城と、城下町の街灯がぽつぽつと灯っていた。
公開オーディションまで、あと一週間。
舞台芸術部という小さな光は、着実にその輝きを増していた。




