第一章 4『訪れない安息』
陰気のある暗い室内に一筋の光が注ぎ込まれる。
その眩しさに瞳孔が窄まり、まともに目が開かなくなる。
今はない扉の先から、灰色の髪をひとつに束ねた美青年が登場する。
「探したぜ、アーシュ様よぉ!」
「クラウス? すごい形相でどうしたの?」
勇ましい声に少し怒気を含め、男――クラウスはアーシュに怒鳴りつけた。
その怒気は決して疎ましさを孕んだものではなく、半ば呆れを含んだものだった。
クラウスもアーシュを敬称つけて呼んでおり、主従の関係であることを伺わせる。
「どうしたもこうしたもないわ! 今日は大事な会議だったはずだろ! アーシュ様がいなくてうちはみんな困ってんだ」
「あ! 忘れてたわ……ごめんねミナト。また今度話を聞くから!」
「お……おう」
クラウスの口振りから、かなり大事なものであるとわかるが、それを忘れてしまうアーシュもおかしいのでは、と純粋に思う。
そんな微笑ましいような危なっかしいような二人のやり取りを見て、自然と笑みが零れ、頬が緩む。
アーシュの目に多少の焦りが映る。
「……明日! 夜にここで待ってるから!」
そう言い残して、クラウスとアーシュは宝物庫を出て行った。
「……俺んとこのドア、修理代出してくれるよな、これ」
蹴破られたドアを見て、ただ一人、グルトルがそう呟くのだった。
◆◆◆
「ここが『ゴンデル』か」
ミナトはアーシュと別れた後、ついに決心ついて一人でゴンデルへと訪れた。
そこは宝物庫から更に五分ほど西に歩いたところにあり、完全に人気は失せていた。今の時刻も相まって、ほんの少しの恐怖を感じてしまう。
しかし、目の前に聳え立つ大きな建物から感じるのは絶対的な安心感そのものであり、その恐怖すらも掻き消えた。
「ロマノフから話を聞いてるんだよな。だとしたら、謝っとかねえと」
予定時刻よりも大幅に遅れてしまったが、ひとまず宿泊できる場所に来れただけ良しとしよう。
謝罪はしっかりすればいい。
木材でできた入口の扉をノックし、応答を確かめる。
――――。
返ってきたのは沈黙だった。
「……? 誰もいねぇのか?」
応答がないことに一抹の不安を覚えつつ、ロマノフの言葉を信じ、ゆっくりと扉を開けた。
そこに広がっていたのはもぬけの殻となった受付場所で、人の存在をまるで感じさせない。
残っているのは少しの明かりと受付場所の裏にある酒棚だけ。
「おかしいな、地図だとここのはず……」
違和感に気付いたのはすぐだった。
微かに香る鉄分の匂いと、どこかから滴る水の音。
直感的にヤバいと思ったミナトの裏には、すでに男が立っていた。
「よぉ、さっきぶりだな。弱虫」
その声はミナトの耳を貫き、確かな絶望を与えていた。
◆◆◆
「ったく、問題の坊主はいつ来るってんだ」
時は遡ること数十分前、一人の男がそう呟いていた。
その男は旅館『ゴンデル』の主人であり、ロマノフの友人のレイである。
レイは決して屈強な体ではないが、ロマノフに勝るとも劣らない剣技を持っており、国内でも有数の実力者だ。
「ロマノフのやつ、ちゃんと紹介してくれてんだろうな」
ロマノフの紹介で来ると言っていた少年カサイ・ミナトのことをただ待っていた。
ロマノフが来たのは約五分前。そしてミナトが来るのも二分後ぐらいと言っていたので、思っていたより遅れていることになる。
ロマノフへの疑心があるわけではないが、やはり少し心配になる。
その中で、宿の入口が開かれ、一人の青年が入ってきた。
「ごめんくださ〜い」
「やっと来たか。ロマノフから話は聞いてるぜ、ミナト」
待ちくたびれた来客に、ため息混じりに接待をする。
――その男の正体に気付かずに。
「ミナト、ミナトか。すまんが、俺はアンタの求めてるミナトってやつでも、ロマノフの言ってるミナトでもねぇ」
「――は?」
如何なる強者でも、見知らぬ人間に騙されればどんな抵抗もできない。
男は短剣を取り出して前方に立つレイの背中に突き刺した。
「……ごほっ!」
これまでレイは戦に出ることは少なく、傷を負うこともなかった。
だから背中に負わされたこの痛みに耐えることが出来ず、吐血した。
なんとか前に倒れることは免れたが、平衡感覚が少し薄れ、バランスが保ちにくい。
「はぁ〜、その程度でロマノフと肩を並べるなんて言われてたのか。やっぱこの国のレベルも大したことねぇな」
しかし、レイも王国の人間だ。こんなことで死んでしまうほど、ヤワじゃない。
レイはふらつく体で剣を握り、男と相対した。
「そうだよ、それでこそ王国の民だ。……存分に殺させてもらうぜ」
「腐っても剣士、このまま死ぬわけにはいかねぇんだよ!」
レイがその剣を振るう前に、決着が着いた。
男のスピードがレイを上回り、その腕を切り落とした。
切り落とされた腕から覗く白の骨と赤色の筋肉、そこから溢れ出てくる深紅の血液。
それがこの裂傷の痛みを象徴していた。
「ふん、遅すぎてあくびが出るわ。出直してこい。もっとも、死ぬやつに出直すもクソもねぇけどな」
「……クッソ、ロマ……ノフ」
そうして、ゴンデルに静寂と、事件が訪れた。
◆◆◆
「待ってたぜ、ミナト」
その男は、この世界でミナトに初めて恐怖を与えた男だった。
「どうして、ここ、に」
恐怖で震える膝を抑えながら、男に投げかける。
その男はただ笑い、狂気に顔を染めていた。
「俺は、ロマノフを殺すために、まずはお前を狙う」
「……は?」
「ロマノフって野郎はよ、嘘をつくやつと悪に手を染める人間が一番嫌いなんだ。それと、自分の友人が傷つけられることも極端に嫌ってる。だから、お前を狙うんだ」
意味がわからなかった。一体なぜ俺を狙うのだと。
特段仲が良いわけでも、話を重ねたわけでもない。
ただ困っているところを助けてもらっただけだ。狙われる理由などない。
「――意味が、意味がわかんねえよ! 俺は友人でもなんでもねえ! お前もわかってんだろ!」
「あぁ。わかってるさ。それでもあの男はお前を守った。投げられるナイフに身を投じてまでな。それが答えだろ」
その男の顔は狂気に満ちていて、とても話が通じるとは思えない。
「……お前は、お前は何者なんだ! なんでロマノフを……」
「『神の使徒』」
「――は?」
ただ、純粋な疑問を投げかける。それは一種の時間稼ぎのためでもあった。
その少しの時間の間に逃げ切るための情報を得る。
それがミナトの描く理想であった。
しかしその理想はすぐに打ち砕かれた。
「俺は俺の、いや、俺が敬愛する神のために行動する。そしてその神はロマノフを殺せと俺に命じた。それだけだ。」
男は淡々と、しかし嬉々とした口調でそう言った。
自らを『神の使徒』と名乗る男を、ミナトはただ、絶望した表情で見ていた。
男は腰にかけた短剣を抜き出して、こちらに突き出す。
「……さて。話も終わったことだ、このまま殺されてくれるか?」
「――狂ってる」
このまま、殺されてなどなるものか。
殺されるくらいなら、恥を晒して生き、何がなんでも生きてやる。
目の前の男への恐怖は止まらない。しかし同時に生きる希望を見出した。
『何か困れば俺の名を呼べ』
先刻、ロマノフがそう言ったことを思い出し、一縷の希望にかけてその名を叫ぶ。
「ロマノフ! 俺はここだ! 助けてくれ!」
目の前に立つ男の顔は酷く困惑の色を示しており、状況を理解出来ていないようだった。
しかし返ってくるのは静寂のみ。
一縷の希望は断ち切られたのだ。
「ビビらせやがって。第一来るわけなんてねぇだろうが。心配して損――」
そこから先はミナトの耳には入らなかった。
光が見えた。砂埃が見えた。
それはミナトの入ってきた扉、男の背後にそれが見えた。
ミナトがその目を細めると、砂塵の中から出てくる人影が見えた。
その影はこちらに、どんどんと、着々と歩を進めてくる。
そして、それには確かな見覚えがあった。
「――ロマノフ?」
気付けばその名を呼んでいた。
混沌とする思考の中で、耳に一筋、強気な声が貫かれた。
「ミナト、遅れてしまって申し訳ない。必ず、必ずここから無事に帰してやる。これ以上、国を崩されてなるものか」




