神託の巫女様、自宅にて。
降り注ぐ暖かなシャワーを止めて浴槽に入り浸かる。身体じゅうの疲労感が溶けてゆく、心地よい感覚。トモエが作る即席のお風呂もきっと悪くはないんだろうけど、やっぱり本物には及ばないよね。あー、ごくらくごくらく。
ボク、ミズマチ・アユミは今、自分の屋敷でお風呂に入っている。奥深いダンジョンの探索の最中であろうと、ボクの身に宿すスキル、シュヘルムヴィアー神の権能の能力による時空間魔術を用いればこの通り、いつでも好きな時に自宅に帰れちゃうのさ! 他人は連れて行けない件は難点だけれども、それはそれ。一日の疲れを心ゆくまで癒して行くつもりさ。
時刻はそろそろ夜更けあたり。ダンジョンに残してきたみんなは既に寝入っている。ボクはいつもメンバーの殆どが寝てしまった頃を見計らってこうして自宅に帰っている。シャワーを浴びて自室で寝て、そして朝にはみんなの朝食と一緒にダンジョンに戻るってわけ。
ボク一人だけズルいって思われちゃうかもしれないけど、みんなダンジョン内で豪華な食事にありつけるんだから文句は言わせない。今回のダンジョン探索においていちばんの功労者は間違いなくボクだからね。ね!
「アユミ様、御召し物を御持ち致しました」
そうやってボクが入浴を満喫していると、浴室のドアの向こうからボクの屋敷の専属のメイドさんが声をかけてきた。適当に返事をすると、いつものように準備してくれた寝間着を着替え室に置いてくれた。そのまま立ち去ると思っていたら、
「それから、アユミ様にお客様がお見えになっております」
「お客さん? こんな時間に?」
そのメイドさんは思わぬ報告をしてきた。一応神託の巫女なんて呼ばれてはいるけれど、住居等は一部の人間しか知らないはず。冒険者としての顔にしても同様だ。ボクの素性を知る人物はこの国の中でも少ない。にも関わらずボクを訪ねて来る人物となると……。
「リーフェルト王子殿下に御座います」
「あー……」
なるほど、合点が行った。
個人的には王子様が待ち惚けしようと知ったこっちゃないけど、話が長引いたりしてボクの大切な睡眠時間が削られてしまうのも癪だ。それにメイドさん達の目がある手前。名残惜しいけど早々にバスタイムを切り上げる事にする。リーフェルトめ、何様のつもりだ。あ、王子様でした。
浴室から出たボクの濡れた身体を、待機していたメイドさんが拭き始める。や、そんな子どもじゃないんだから自分でできますって。
よく見ると準備されている着替えも寝間着ではなく、来客の目に入っても問題ない衣装だった。仕方なくその服に袖を通す。
メイドさんにそのまま軽くお化粧してもらって準備完了。リーフェルトが待っている客室へ向かう。
扉を開けた先には、席に腰掛け優雅に紅茶を口にしている我が国の王子様の姿が。ボクの入室を確認したリーフェルトは、パーフェクトな爽やかスマイルを向けてきた。うわぁうざい。
「やぁ、こんばんは、お久しぶりだね、神託の巫女殿。夜分遅くに失礼しているよ」
「こんばんは。どうしたのさ急に? ダンジョン内での出来事の報告なら受け取っているはずでしょ?」
王子様の挨拶を返しながら早速用事を尋ねる。リーフェルトには定期的に、ヴァリブトル地下迷宮での出来事や進行具合についての報告をうちの使用人伝いで送っていたはずだ。トラブルが発生したような話も聞いていない。わざわざ王子様が直々にボクを訪ねて来る必要があるとは思えないんですけど。
「たまには君自身の口から聞きたく思ってね。それに、僕からも伝えなければならない事があるしね」
ボクの疑問に対してリーフェルトはそのように答えた。ボクから直接ってのは置いといて、あちら側から何かしらの報告があるとは。何か問題でも起こっちゃってたりするのかな?
「それにしても……お風呂上がりか。中々に扇情的だね。君のまだ見ぬ一面をこうして拝めただけでも収獲かな」
「はいはいそういうのいいから。ボクだって明日も早いんだし、さっさと済ませちゃいたいんですけど?」
相変わらずのセクハラ発言。国のトップがこれってどうかしてると思うんですけどー?
「それは残念。まずは君の話からにしようか。確か、君達は既に帰路についているという話だったね」
「ん、まあね。でも、マツリちゃん提案の鍛錬メニューをこなしながら進んでるから、進行速度は速くはないよ」
冗談はそれくらいにして、二人ともお仕事モードに頭を切り替えて会話を始める。リーフェルトにはダンジョン内での出来事は全て伝えている。魔族との遭遇。時空間魔術の魔法陣。マツリちゃんとユート君との戦闘。そして協力を約束した事。
とはいえ、一方的な報告だったのでリーフェルトの意見はボクはまだ聞いてはいない。何か思うところはあるのかな?
「なるほど。ちなみに後どれくらいで帰って来れそうなのかな?」
「ん〜、多分、一週間以内にはかな」
彼の考えを聞く前に、大まかな予想ではあるけれど、みんながここ、アーヴァタウタ大国の王都に帰還できるであろう日付けを教える。
こっちの世界にも一週間っていう概念があるんだよね。ただ、元々ボクが居た世界とは違って六日で一週間だけど。魔術属性がそのまま曜日に当てはめられているみたい。光、闇、火、水、風、土曜日って感じ。最初の頃は慣れなくて混乱したっけ。
「そうか。当初の予定よりもかなり早く帰って来れるようで安心した。君に任せたい仕事も山ほどあるからね」
「うへ〜、やだな〜。帰りたくなくなっちゃうじゃん」
王子様のにこやかな笑顔に辟易する。もっと長らくダンジョン攻略していても良かったのに。
まあ、こちらとしてはいちばん四苦八苦していた、最後の異界人の手掛かりの捜索が終了しているのだから、多少は肩の荷は降りた気分ではあるんだけどね。それを考えれば少しはマシかな?
「しかし、マツリ・カミドリ、か。彼女は本当に信頼できるのか?」
そしてようやく、ボクの報告に対する王子様の見解を口にし出した。うん、まあ、やっぱりまずはそこだよね。
マツリちゃんはアーヴァタウタ大国とは敵対関係にある国家、ヴァスキン帝国に所属していた。そのうえ他者を容易く支配下に置けてしまう凶悪な能力の持ち主だ。
そんな人物を大国内に招き入れてもしもの事があったら、国が傾くどころの騒ぎではない。彼女が危険人物である事は揺るぎない事実だ。
けど、
「大丈夫だと思うよ。エリスちゃんが綺麗に纏めてくれてさ。元々本心からヴァスキン帝国の指針に従っていたわけじゃなかったみたいだしね」
マツリちゃんとエリスちゃんの決闘、その結末は今でもよく覚えている。マツリちゃんの気持ちを全て理解して、支えになると語ったエリスちゃん。あの二人の間には、既に確かな絆が生まれている。そんな彼女がエリスちゃんを裏切るような真似はしないはず。既にボク達に協力的な姿勢を示しているし。
「……わかった。君がそう言うなら信じよう。ただし、君達異界人で片時も目を離さないように細心の注意を払ってくれ」
「もちろん。それくらいの責任は持つよ」
一応はリーフェルトも納得してくれたみたい。まあ、反対されても押し切るつもりだったけどね。
「しかし、イーヴィティア神様の権能か。美神に見初められたともなると、その能力を抜きにしてもさぞかし美人なのだろうな。この目にできないのが口惜しい限りだ」
「おいこら王子様?」
そして性懲りもなくそんな事を口走るこの国のトップの人物。見境いなしですか?
ていうか、マツリちゃんが十一歳って話も聞いてるはずだよね? 幼女だよ? 何? ロリコンなの? はっ!? 考えてみればボクもどちらかと言うと幼い容姿だし……って、誰が幼児体形だ!!
「そんなに怖い顔をしないでくれ、冗談さ。それとも嫉妬しているのかい? 大丈夫、僕は君一筋だからね」
「るっさいわこの馬鹿王子! 話がそれだけならさっさと帰れ!」
王子様のあんまりにもあんまりな発言についつい暴言を吐いてしまった。おっと、いけないいけない。この場にはボク達二人だけじゃなくて使用人達もいるんだし、あんまり王子様に反抗的な発言をしてしまうと混乱を招きかねない。平常心、平常心。
「そう怒らないでくれ。それに、僕からも君に伝えなければならない事があると言っただろう?」
そんなボクに対して、相変わらずの爽やかスマイルを見せる王子様。あー、うざいなもー。
「で、何なのさその報告って?」
心底うんざりしながらも続きを促す事にする。下らない話だったら許さないからね?
「サーグラ国からの報告だ。バンダースナッチに類似した新種の魔物が出現したとの事だ」
「!」
告げられたその内容は、予想だにしなかったものだった。
新種の魔物。バンダースナッチに類似している。
それは恐らく、ジャバウォックが生み出した新たな魔物なのだろう。
「どんな奴?」
「バンダースナッチよりもかなり小さい個体だが、飛行能力を持ち数十の群れで行動しているらしい。バンダースナッチの出現と同時に現れ、騎士団や兵士達に上空から溶解液を吐き掛け甚大な被害を齎したそうだ」
リーフェルトの報告を聞きながらその魔物の姿を想像してみる。あの気色悪いバンダースナッチが小さくなって、羽根が生えて、空を飛びながら溶解液を吐いてくる……うえぇ。
「何それ。物凄く遭遇したくないんですけど」
「気持ちはわかる。その個体だが、バンダースナッチ程肉体の強度は高くはないらしい。上空に攻撃できる手段、魔術や弓矢等で撃ち落とせる程度の強さだったそうだ」
「あれ? 思ってたよりも弱いんだね?」
補足された情報を聞き意外に思った。バンダースナッチは異界人レベルの人でないと簡単には倒せない程厄介な魔物だというのに、その兄弟的な存在の割には大した事がなく聞こえる。
「問題はバンダースナッチの出現と同時に現れる事だ。僕は恐らくバンダースナッチの支援役として創造されたのではないかと推測している」
「なるほどね。ボクもトモエに意見を聞いてくるよ。でも、そんな奴が現れたって事は、あっちもそろそろ動き始めたって事なのかもね」
バンダースナッチに次ぐ新たな魔物の出現。それはつまり、ジャバウォックがより活動的になりつつあるという証明なのではないか。
一緒に考察を続けてきたトモエならどう考えるだろうか。それから、新たなメンバーの頭脳担当のマツリちゃんにも意見を聞きたい。
「こっちとしては好都合だね。異界人全員の所在が把握できたところだし、そろそろ居場所を突き止めたかったからね」
「フフ、心強いね。それでこそ神託の巫女様だ……さて、もう夜も遅い。長居しては悪いだろうしそろそろ御暇しようかな?」
報告を終えて用は済んだらしく、リーフェルトはゆっくりと席を立った。
「それとも、君の部屋に案内してくれると言うのなら喜んでお邪魔させて貰うのだけれど……」
「さっさと帰れセクハラ王子!」
直前まで真面目な話をしていたのに、最後になって台無しにしてくれる王子様。何なのホントに? どうしてそう何かにつけてセクハラしてくるの? 馬鹿なの?
リーフェルトはボクの暴言を流しながら肩を竦め、別れの挨拶をして部屋を後にした。あー、なんか魔物と戦ってる時よりも疲れたんですけど。
王子様を見送ったボクは、メイドさんにいつものように明け方頃に起こすように頼んでから自室に行き、ベッドに横になった。すぐに微睡み始めた意識を、その睡魔に委ねさせる。明日もまたダンジョンでみんなと冒険だ。休める時はしっかり休まなきゃ。
おやすみなさい……。
……お気楽なダンジョン探索の裏で、既に事態が侵攻していたのを知るのは、もう少し後になってからだった。




