二 白い繊維
ユノは、わたしの上着と、濡れた肌着の左の肩を、鋏で切り開いた。
手術灯の黄ばんだ光の中に、傷口が現れた。
親指の先ほどの、黒い穴だった。穴の縁は、塞がろうとして盛り上がり、けれど、何かに押し戻されたように、ぎざぎざに裂けたままになっている。穴の奥から、とろりとしたものが、ゆっくりと滲み出していた。
赤かった。
ユノは、それを脱脂綿で拭いとり、綿の色を、灯りにかざして、しばらく見つめていた。
「……薄い」
それだけ言うと、ユノは、煮沸した器具を盆に並べた。細い鋏。先の曲がった鉗子。小さな刃。安置所で、遺体の中から弾を取り出すときにも、同じ道具を使うのだろう。ユノの手は、震えていなかった。仕事の手になっていた。
「欠片が、奥に残ってる。切って、開く。……痛いよ」
「わかってる」
刃が、傷の縁に当てられた。
熱い線が、肩を走った。
こめかみから、汗が噴き出した。冷たい汗だった。痛みが熱く燃えるほど、汗は、氷のように冷えていった。
身体が、跳ねた。
手首の帯が、ぎしりと鳴った。背中が台から浮き、左の肘が、帯を引きちぎろうとして、ひとりでに持ち上がる。身体は、刃物を持った手の位置を、正確に捉えていた。刃から、ユノの手首へ。手首から、ユノの喉へ。
動くな。
わたしは、身体に言った。奥歯を噛みしめて。
動くな。この人は、わたしを治している。
帯が、もう一度、ぎしりと鳴った。それから、わたしの肘は、ゆっくりと、台の上に戻った。
ユノの手が、止まっていた。刃を持ったまま、わたしの手首の帯を、見ていた。革に、爪の跡のような、深い筋が入っていた。
「……続けて」
わたしは言った。
ユノは、息を吐いて、刃を進めた。
傷が、開かれた。ユノは、先の平たい器具を二本差し入れ、傷の縁を、左右へ押し広げた。手術灯の光が、わたしの肩の、皮膚の下へ差しこんだ。
ユノの手が、また、止まった。
今度は、長く。
わたしは、首をねじって、自分の肩を見た。
薄い皮膚の下にあったのは、赤い肉ではなかった。
繊維だった。
白に近い、淡い桃色の、ひどく細い繊維。一本一本が、髪の毛よりも細く、それが何千、何万と、布を織るように、緻密に編み合わされている。赤いものは、その繊維と繊維のあいだを、薄く満たしているだけだった。
そして、繊維は、動いていた。
押し広げた器具の圧力に応えて、波のように、さざ波のように、ゆっくりと収縮しては、また緩む。息をしているようだった。
「……人工の、筋肉」
ユノの声は、かすれていた。
「うちに運ばれてきた兵隊の義手の中にも、入ってた。でも、あれは、もっと太くて、黒くて、ばねみたいだった。こんなに細かいのは……見たことない」
ユノは、器具の先で、そっと、繊維の束に触れた。
繊維が、器具を避けるように、ひくりと縮んだ。
「腕だけ?」ユノは、わたしの顔を見ずに訊いた。「それとも、もっと……」
「わからない」
「全身を、入れ替えた兵隊がいたって噂は、聞いたことがある。戦争の終わりのほうで、軍が、身体の半分以上を義体にした兵士を作ってたって。……噂だと、思ってた」
ユノは、それ以上、何も言わなかった。
鉗子の先が、繊維の奥へ、差し入れられた。
欠片は、繊維の深いところに、食いこんでいた。
黒い、米粒ほどの金属だった。その欠片から、さらに細い黒い糸が、何十本も、根を張るように、周りの白い繊維の中へ伸びていた。黒い糸が触れている繊維だけが、灰色にくすみ、ぴくりとも動かなくなっている。
「……対義体弾」
ユノが、つぶやいた。
「義体の中に入ると、根を張って、周りを殺していくんだって。だから、傷が塞がらなかったんだ」
ユノは、小さな刃で、灰色になった繊維を、一本ずつ、黒い糸ごと、切り離していった。
そのたびに、肩の奥で、何かがちぎれた。痛みは、白い光になって、頭の芯を焼いた。わたしは、声を上げなかった。手首の帯が、鳴りつづけていた。
鉗子が、欠片を掴んだ。
引き抜かれた。
黒い欠片が、黒い糸を垂らしたまま、金属の盆の上に、からりと落ちた。ユノは、それを、空の薬瓶に落として、栓をした。
その瞬間、肩の奥の白い繊維が、一斉に動きはじめた。
切り離された断面から、細い繊維の先が、手探りをするように伸びていく。向こう側の断面へ。触れ合い、絡み合い、編み直されていく。ユノは、器具を持ったまま、それを見ていた。安置所の氷の上で、わたしの脇腹の傷が塞がっていくのを見たときと、同じ目で。
いや、同じではなかった。
あのときのユノの目には、驚きがあった。今のユノの目には、もっと別の、冷たいものがあった。
ユノは、器具を盆に置き、傷の上に、清潔な布を当てた。
「腿のほうは、もう、ほとんど塞がってる」
布の上から、わたしの肩を、軽く押さえる。
「……終わり」
ユノは、洗面器の水で、手を洗った。指のあいだに残った、とろりとした赤いものが、水の中で、薄い筋になってほどけていく。ユノは、しばらく、その筋を見下ろしていた。水の中で、ユノの指が、かすかに震えていた。
「……ありがとう」
わたしが言うと、ユノは、手を拭きながら、首を横に振った。
「お礼は、いらない。死なれたら困るから、治しただけ。……あなたは、証人だから」
ユノは、手術台から離れ、盆の脇の拳銃を、ふたたび手に取った。




