第2幕ー2
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大司教が決まった翌日、ジュリアはカトリーヌからどうしても会いたいと呼ばれ王宮にやってきていた。
ドレスでなく団服でとの指示もあり公的な謁見とかと思えば、通されたのは王宮の奥の方だった。どうやらカトリーヌが私的に人に会うことは許されておらず、見かけだけでも公的にということらしかった。
「ジュリア、こんな格好でごめんなさい」
部屋着のゆったりしたドレス姿のカトリーヌが、長椅子に無造作に置かれているクッションへ寄りかかるように座り儚く微笑む。夜会の時から比べればずいぶんやつれて顔色もよくなかった。
「いいのよ。体調はどう?」
精神的な疲労に加えてつわりもあるのかもしれないとジュリアはカトリーヌの傍らに座りながら問う。
「まだ全然おなかも大きくないのに体が重たいですわ」
カトリーヌが不安そうな顔で腹部に手をそえる。
エルネストが大司教に指名されたのを受け、これから生まれる皇太子の忘れ形見が王位継承者となることが次の満月の日には公表される予定だった。
「生まれてくるのが楽しみね」
何気ないジュリアの一言にカトリーヌの表情が強張る。
「ジュリア、わたくし、この子を産むのが怖いの」
そう声を震わせるカトリーヌの様子は出産そのものへの恐怖ではなさそうだった。この部屋には侍女はおらず人払いしているのか近くに人の気配もないことと関係があるのだろう。
「どうして?」
急かさないようにジュリアが柔らかい声音で問いかけると、カトリーヌが何度か躊躇いながらも口を開く。
「……この子の父親が王太子殿下か分からない」
カトリーヌの瞳から涙がこぼれ落ちる。
予想だにしなかった告白に、ジュリアは絶句する。
カトリーヌは結婚前から王太子を慕っていた。不貞などあるはずがなければ王太子妃に無理強いできる者などいるのだろうか。
「何があったの?」
「先々月、大聖堂へ礼拝に行って、聖女様に呼ばれて……気がついたら」
真っ青な顔でカトリーヌが口元を抑えて呼吸を整える。
「……エルネスト殿下が目の前にいて、わ、わたくしを汚している最中で」
もうそれ以上は言葉にならずカトリーヌが泣き崩れるのをジュリアは呆然と抱きしめる。
エルネストは昔から兄である王太子に対して敵愾心が強くやりかねないことではある。
とはいえ大聖堂内でそんなことができるのだろうかと一瞬思うものの、自分の胸で慟哭する幼馴染みの嘆きを疑うことはできなかった。
「わたくし、なによりも聖女様が恐ろしいですの。あの方に会ってからどうやってエルネスト殿下の部屋に行ったのか何も覚えていない」
嗚咽が落ち着く頃、カトリーヌが震えながらそう言う。
「何か、薬を飲まされたとか覚えがない?」
最初に聖女がカトリーヌに何かしたのは間違いない。しかし聖女とエルネストが共謀している理由が見えない。
「いいえ、でも肩に触れられて、何かが刺さったように痛かった気がするけれど、跡は残ってなかったから気のせいだったのかしら」
「それは左手?」
「……月神のご加護をと言っていましたけれど、どちらかは覚えていませんわ」
ならば聖刻のある左手の可能性が高い。ただ聖女に常闇の存在を感じる以外の能力が備わっているとは聞いたことがない。
「ジュリア、エルネスト殿下が大司教だなんてあのふたりは何を考えているの。この子のことだって、どうするつもりなのか。不安で、不安でたまらなくて、だけれどあなた以外の誰にもこんなこと話せなくて。どうして、こんなことばかり。兄様だってあんな……」
ジュリアは再び泣き出したカトリーヌの背を撫でる。
「そうね。調べてみるけれど、あのふたり相手では私ひとりじゃ限界があるわ。エルネスト殿下が何をしたのかは誰にも言わないと約束する。大丈夫、何があっても私はあなたを護るわ。だから、今はおなかの子のことだけ考えていて」
ジュリアはカトリーヌが落ち着くまで側にいながら、疑惑に胸をざわめかせる。
はたして二年前の常闇の王との遭遇は偶然だったのだろうかと――。
***
ジュリアは大聖堂の神像に布がかけられて無残な姿が隠されているのを見やり長椅子に腰を下ろす。
多くの人々が入れ替わり立ち替わりやってきて騒動の前と変わらない。聖騎士は聖女から声がかかるかもしれないので、毎日大聖堂へ赴くのでここに自分がいることもいつも通りだ。
しかしここから下手に探りをいれるわけにもいかず、聖女が呼び出してくるのを待つしかなさそうだった。
「もう来てたんだ。何か進言は?」
そう声をかけてきたのはシリルだった。
「なにもないわ。満月も近いし、それほど大きな群も出ないでしょうけれど……」
聖女から直接進言がなくとも言伝のみのこともあるがそれもまだない。そもそも夜会から聖女は聖騎士を呼び出すこともなく、進言も数日前に一度あったのみだ。
やはり聖女とエルネストを探るというのは聖騎士の立場でも難しい。聖女はまだしもエルネストと接触するのも難題だと考えながら、シリルととりとめない会話をしているとすっと修道士が近づいてくる。
聖女がジュリアとシリル、両方に会いたいということだった。
「珍しいね」
あまり聖女に直接呼びかけられることのないシリルが不思議そうにする。
「また何かの気まぐれかしらね」
ジュリアは緊張感を持ちすぎないように平静を装いながらシリルと共に案内の修道士について行く。
奥まった場所にある部屋の近くにまで行くと案内係が修道士から聖女の世話係の女性へと変わり、合図によって扉が開かれる。
その先には二十人以上は人を入れられそうな広い部屋があり、等間隔に並ぶはめ殺しの細い硝子窓にかけられたレースのカーテン越しに光が降り注いでいる。
白を基調とした部屋の奥には天蓋付きの寝台があり、そこに寝転がっていた人物が起き上がる。
「やあ、ふたりとも久しぶりだね」
寝台から降りて部屋履きを引っかけながらやってきたのは黄金の髪を短く切りそろえ、まとっている服もゆったりしたシャツにズボンと少年のような出で立ちの少女だった。
「ええ。ずいぶん会っていませんでしたね、ジャンヌ様」
聖女、ジャンヌは部屋に点在している長椅子のひとつへ移動してそこへ膝を抱えて座る。
「ジュリアと会ったの、前の満月の時だったっけ? 下弦だったかな。まあいいや。君達に婚約祝いを言いたかったんだ。ローベルの代わりにしては見劣りするけど、おめでとう」
感情の見えない藍色の瞳で笑顔を向けてくるジャンヌを静かに見返す。
「シリルは、誰の代わりでもありません。それに、フェル……常闇の王が現れた今は、そちらの対応が最優先です。居場所は分からないのですか?」
「ふうん、常闇の王ってそんな名前なんだ。ローベルの姿をして常闇なのか人間なのかもよくわからないものって、僕にわかるのかなあ」
自分の爪先を見つめながらジャンヌがつまらなそうにぼやく。
「僕らはあれから常闇の群へ対応してきましたが、常闇の王は他の常闇達を指揮しているように思えます。そこから何か分かるものはありませんか」
シリルが問うのに、ジャンヌは顔を上げないまま沈黙する。
「……そんなこと言ってもさ、僕は何も感じてないんだもの。知らない」
ジャンヌが機嫌を損ねたような物言いをして、シリルが困り顔になる。
「今日の用件は私とシリルに会いたかっただけですか?」
ジュリアが問い詰めるのをやめるとジャンヌが顔を上げる。
「うん。そう。あ、あとエルネストも呼んでるから会って、君達からも大司教就任おめでとうって言ってあげて」
エルネストの名前に理性より感情が先立ちそうになったジュリアは、一瞬拳に力を込めて怒りを鎮める。
「……なぜ、エルネスト殿下を大司教に指名されたのです?」
「そんなのずるいからだよ。聖刻を持っている僕も君達も面倒くさい役目を背負ってるのに、彼だけただの修道士なんてさずるいと思ったことない?」
刻印のある左手を振りながら言うジャンヌはどこまでが本音なのか分からない。
「聖騎士としての役目は担うべきと思いますが……」
ジュリアはジャンヌの聖刻を見ながら考える。
カトリーヌは意識を消失させられてエルネストの部屋に運ばれたのか、それとも自らの足で行かされたのか。本人は覚えていないが侍女に少し遅くなると自分の口で伝えたというのは、後から聞いた。侍女の言うことが本当ならジャンヌは聖刻の力でもって人を操れるのかもしれない。
「それができないからさ、大司教なんだよ。……あ、来た」
ジャンヌが開いた扉の方へと視線を向けると、長い亜麻色の髪を一括りにした線の細い青年が秀麗な顔を面倒くさげに歪めてやってくる。
「わざわざその二人に会わせるためだけに私を呼んだのか」
青年、エルネストはジュリアとシリルを冷ややかに見やる。
「そう。昔からよく知った間柄でしょ。これから嫌でも顔を突き合わせるんだから、仲良くしておきなよ」
よく知った、というより手を焼かされた記憶しかないエルネストとこれだけ近くで相対するのは、数年ぶりのことである。
沸き立つ怒りを抑え込んでジュリアはシリルと共に形式的に礼をする。
「必要ない。くだらないことで呼ぶな」
「人がせっかく気をつかってあげてるのに、なんだよ。いいよ、仲良くしたくないならしなくていいさ。じゃあね」
ジャンヌがむくれてエルネストを追い払う。
ふたりがなんらかの協力関係にあるのか見極めるにはあまりにも短すぎる応対だった。
「……エルネスト殿下とはよくお話されるのですか?」
エルネストが退室してからジュリアはジャンヌへ直接問いかける。
「話してたってあんまり面白くないんだよね。顔は嫌いじゃないんだけど、つまらない奴。それならシリルの方がましだな」
答にならないような返答だった。
「常闇の王のことが何か分かればご報告下さい」
ジュリアは深く追求して怪しまれるのもまずいと話題を打ち切る。
「うん。もし分かったらね。君の瞳、今日はとってもいい色してる」
蠱惑的な笑みをジャンヌが浮かべて、ぞわりと悪寒めいたものが這い上がってくる。
探りを入れたつもりでいたのに、探られていたのは自分かもしれない。
ジュリアは表情を強張らせて挨拶し、シリルと共に部屋を出る。
「聖女様は難しいな。エルネスト殿下はやっぱり変わらなそうだし……」
先行きへの不安にシリルがため息をつく。
「ええ……」
「顔色が悪いけど大丈夫?」
身廊まで戻ってくるとシリルが心配げに顔を覗き込んでくる。
「……詰所に戻ってから話すわ」
やはりひとりで太刀打ち出来ることではなさそうだと、ジュリアはひとまずシリルへ相談することにするのだった。




