第2幕-1
王宮と大聖堂が襲撃されて丸五日経つが依然事態は何も動いていなかった。
正午を知らせる鐘の音と共に起きたシリルは、椅子の背もたれへ適当に引っかけてあった団服の上着を着て詰所の私室を出る。
詰所は中央の演習所を取り囲むように石組の三階建ての四つの棟があり、聖騎士の私室は各棟の三階に分散している。詰所に部屋を持つ聖騎士が今はいないローベルを含め四人だったので、各棟にひとりずつになっている。そうして私室以外は物置や書庫なので静かなものである。
「今日はさすがに家に帰らないといけないか……」
こちらの方が落ち着くとはいえ屋敷に戻らねば祖父がうるさい。物心つく前に父を亡くした自分にとっては父親代わりでもある祖父のことは敬愛しているが、押しが強く頑固な年寄りの相手を長時間するのは疲れる。
(カトリーヌ、大丈夫かな)
従妹のことも心配だ。王太子妃という地位は宙に浮き、あまつさえ夫である王太子を殺害したのは中身が違うとはいえ実の兄である。ジュリアがこっそりと懐妊している可能性が高いと教えてくれた。その公表がまだないのは第二王子エルネストの存在もひとつの理由だろう。
それを裏付けるように先日の王太子の葬儀には慣例通り妊婦である彼女は姿をみせていなかった。
「シリル、おはよう」
団員達の集まる広間に行く途中、ジュリアと会う。
「おはよう。どうだった?」
「小さい群れがいくつか。やっぱり常闇達の動き方が変わっていると思うわ」
「今の所、被害が出ていないとはいえこのままだとあまりよくないね」
「せめて聖女様の進言があればとは思うのだけれど、まだ出てきそうにないわね」
いまだに聖女は襲撃による恐怖で部屋に閉じこもってしまっていて、騎士団もどこを重点的に警邏していいのか分からず市街に分散している。
常闇達も同じく小さな群れを幾つも形成して王都をうろついて、大きな群れで狭い範囲を取り囲む以前とは動きが異なる。いわゆるはぐれと呼ばれる群れからあぶれた小さな群れがぽつぽつ出ることは昔からよくあるのだが、明らかに今の小規模の群はそれと違って綺麗に分散している。
「……群というより小隊に近いな」
統制されているかのような動きに常闇の王の影を感じずにはいられない。
「そうね。王都を出たとは思えないけれど、一体どこへ消えたのかしら」
凪いでいたジュリアの榛の瞳が緩やかに熱を帯びる。
夜会の日から彼女は落ち着いているようでいて、時折こうやって怒りと憎しみを燃え立たせている以外にほとんど感情を見せない。
追い立てられるように夜は常闇を狩り、昼はローベル体を得た常闇の王の捜索に奔走している姿は痛ましかった。
ジュリアの開ききった傷口に触れられず、見守ることしかできない自分がもどかしい。
(ローベル、僕はどうしたらいい?)
この二年、眠り続けるローベルを見舞いながら何度そんなことを思っただろう。
ローベルは初めての親友であり兄のような存在だ。三人いる姉たちもよく自分をかまってくれたものの、やはり同い年で同性の彼と一緒に遊べる時間は楽しみだった。
大人になってもローベルとの関係は変わらず続いていくものだと思っていた。
ただ、それはジュリアの存在によってほんの少し想像と違ったものになった。
同じ聖刻を持ち年も近いので、幼い内から聖騎士として様々なことを三人で一緒に学んでいた。いつの間にかふたりともジュリアを好きになっていて、ローベルと自分はお互いの彼女への気持ちに気付きながらも何も言わずに変わらない関係を築いていた。
そうして三年前、ローベルとジュリアが婚約することになった。
――あのさ、まだジュリアには言ってないんだけど、父上が俺とジュリアを結婚させるつもりみたいなんだ。
気まずそうな顔でそうローベルが自分に告げた日のことはよく覚えている。
――……何か問題でも?
――いや、問題っていうかシリルだってあれだろ。ジュリアのこと……。
なんて答えるかたくさん考えた。このまま素知らぬ顔でやり過ごすのかそれとも彼と真っ向から決闘でも申し込むのか。
――大事なのは僕よりジュリアの気持ちだと思うよ。
だけどどうあがいたってジュリアの心がローベルに向いていることは、知らぬふりはできなかった。それはもう、ローベルだって分かっているはずだった。
ローベルはなんとも言えない顔をしてため息をつきながら、自分を抱き寄せて肩を軽く叩いた。
――そうだな。……悪い。シリルに先、言わないと俺がずるい気がして嫌だったんだ。
――君がそういう性格なの、よく知ってるからいいよ。おめでとうはジュリアの返事を聞いてからがいいかな。
ローベルが体を離して苦笑する。
――お前のそういう物わかりのよすぎるところ、好きだけど心配になるな。
ローベルの言うほど物わかりがよかったわけでもない気がする。
叶わなかった恋の痛みも親友が少し遠く感じてしまう寂しさもしばらく引きずっていた。ようやく大切な二人の幸せそうな様子に痛みよりも柔らかな幸福感を覚えるようになった頃、あの日が訪れたのだ。
命からがら逃げ延びた団員から襲撃の報告を聞いて団長と駆けつけたとき、すでに誰ひとり立っている者はいなかった。
そしてかろうじて息があったのはローベルとジュリアだけだった。
ローベルが一命を取りとめて一年はまだ希望を持っていた。だがローベルの聖別した剣達が力を失う頃、どこにも彼の存在を感じることができなくなっていた。
(あの頃に、すべて食われてしまったんだろうか)
常闇の王は水滴が岩を削るようにじわじわとローベルの魂を囓り取っていったのかもしれない。
婚約が白紙になったジュリアがローベルとの思い出に触れるのを避けるように、自分とも距離を置き始めて違和感を話せる相手はいなかった。
そこに存在を感じないローベルの体に虚しく問いかけ続ける日が続いて、祖父がいつの間にかジュリアと自分の縁談を取り纏めてしまった。
(しばらくは結婚どころじゃないな)
ジュリアの生家から承諾が来たことも驚いたが、彼女自身が納得しているのかは不安だった。それにまだローベルが目覚めるかもしれないという微かな望みもあった。
しかし常闇の王によって希望は潰えてしまった。
一番ローベルの近くにいたのに何もできずにいたことは悔やんでも悔やみきれない。状況を把握しきれないままローベルへと弓を引いた時、躊躇いで狙いを外ししてしまった。
加護の矢が人間の肉体に効果があるかもわからなかったが、ローベルに弓を向けざるを得ないあの一瞬の恐怖と絶望感が蘇ってきてシリルは唇を噛む。
次の機会が来たら自分は迷わずいられるだろうか。
(ジュリアは自分で常闇の王を倒す気でいる)
ローベルの肉体を葬ることになってもやるだろう。
だけれどそれはジュリアに新たな傷を負わせることになる心配があった。これ以上彼女に傷ついてほしくないが、しかしそこまでしなければ癒えないものもあるかもしれない。
(ローベル、本当に僕はどうしたらいいんだろうね)
シリルは返事のない問いかけをまた投げかけるのだった。
***
ジュリアは騎士団の詰所の一室で並べられた銀の剣を聖別するべく、刻印を翳し意識を研ぎ澄ます。昼間でも薄暗い部屋の中で刀身が淡く月のように一瞬光を放った。
夜会からすでに十日が経ち、次の大司教を決めるべく地方から司教が次々と集まってきていた。各地の常闇の動向に大きな変化はないようだったが、念のため聖別した剣を新たに配備することとなった。
満月へと近づくほど常闇達は群れを小さくしていっているものの、あいかわらずフェルの手がかりは返り血のついた服の切れ端すら見つからない。
目覚めてからのローベルの動向も確認したが、彼が自宅である屋敷を出たことはなく協力者の目星もついていなかった。
(いつまで隠れているつもりなの)
苛立ちが募ると集中が途切れて次の銀剣は光を放たなかった。
ため息をついてジュリアは聖別をやり直すこともなく部屋から出る。廊下の鎧戸は開け放たれていてからりと乾いた風がそよいでいる。
風に誘われるようにジュリアは窓辺に寄り新鮮な空気を吸う。三階部分であるここからは国境である山岳の稜線を見渡せる。険しい山を越える者はほとんどおらず隣国との交流はないに等しい。海側も沖合は海流が複雑で数年に一度難破船が流れ着いてくる程度だ。
土も沿岸の漁場も豊かで年中暖かく、常闇さえいなければ小さくとも穏やかな国である。
魔が大陸にはびこり始めたのは五百年ほど前、大陸全土で地形を変えるほどの大戦のあとのことだ。魔は神の怒り、失われた魔術の残滓とも言われるがはっきりしたことはよく分かっていない。
いつかは再び夜も穏やかに過ごせる時代が来るかも知れないが、果てなき先の話だろう。
「ジュリア、もう終わった?」
ぼうっと外を眺めているとシリルが声をかけてくる。
「気が散っちゃってまだ。聖別は疲れるわね。シリルは自分の持ち分終わったの?」
「終わったよ。ちょっと何か食べに行くつもりだけど、一緒に行く?」
「……ええ。そうするわ」
ひとりでいたい気持ちもありつつ、感情が自分の内へ内へとどろどろと籠っていくのも嫌でジュリアはうなずく。
「暑いし、シロップ水もあるといいね」
シリルの子供のような微笑みは、自然と心を穏やかにさせられる。
ローベルのことで辛いのはシリルも同じだろうに、それとなく彼が自分に寄り添おうとしてくれているのは気付いている。なのに自分は彼の心にまで気を回す余裕がない。
食堂に着くとジュリアは机の上に積まれているオレンジを手に取り、一緒に置かれている果物ナイフで切り分けシリルに渡す。
あいにくシロップ水はなく水で薄めた葡萄酒を少しのんで喉の渇きを癒やす。
「次の大司教様、満月までには決まりそうかな」
「あと二人到着したら全員だったかしら。だけれど、今の状況で選ばれたくない方もいるでしょうね」
地方から出てきた司教は首のない神像を見て腰を抜かす者が複数いたり、失神してしまった者までいるという。
「結局、一番落ち着いている方に決まるんじゃないかな。合同葬儀もあるし、早く大聖堂だけでも落ち着くといいね」
夜会での死者の葬儀は各家々で一通りすんではいるが、被害が甚大なため国をあげての葬儀も行われる予定だ。あいにく大司教まで没してしまったので葬儀を取りしきる者がいない現状である。
大聖堂への襲撃は王都で暮らす人々に暗い影をいまだもたらし、大司教の不在に足下が落ち着かない心地でいる。
「そうね。……もうひとついる?」
ジュリアはあっというまにオレンジを食べきったシリルに問う。
「もらおうかな。あ、自分で切るよ」
「私の方が手近だからやるわ」
罪悪感の埋め合わせのようにジュリアは新たにオレンジを切り分ける。
今は自分の感情に手一杯でこんな小さなことしかできない。
「ありがとう。今年のは出来がいいね」
ささやかなことに喜ぶシリルを見ていると、やっとジュリアも表情を緩めることができた。
シリルとの縁談を迷わなかったのは彼のこういう所が、穏やかな心地でずっと一緒にいられそうだと思ったからだ。
しかし穏やかな日常は当分の間訪れることはなく、自分も結婚などしていられる状況にでもないので縁談もこのままうやむやなままだろう。
そうして二日後、司教がすべて大聖堂に集ったが大司教に選ばれた者は聖女が拒絶した。
彼女が選んだのは第二王子のエルネストだった。




