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月を穿つ  作者: 天海りく
4/12

第1幕ー3

***


 太陽神の光が降り注ぐ朝を迎えても王国は暗い影に包まれたままだった。

 夜会で王太子が弑され十五人に及ぶ貴族が常闇によって食い殺された。他にも城門から夜会の会場までの扉を護っていた団員も多く犠牲になった。そして惨劇が起きたのは王宮だけではなかった。

「なんてことを……」

 大聖堂の広大な身廊の奥、祭壇の左右に背を向け合っている太陽神と月神の立像の首が無残に落とされている光景にジュリアは歯噛みする。

 落ちた首は砕けて原形がない。そして祭壇の側に血溜まりができていて、ここで大司教が遺骸となっていたという。修道士も何人か食われてしまったとの報告が上がっている。

「ジュリア、君は先に休んだほうがいい。怪我だってちゃんと診てもらわないと」

 怒りに震えるジュリアの傍らにいるシリルが心配げに声をかける。

「たいしたことはないから大丈夫……」

 あちらこちら打ち付けて体中がずきずきと痛むが、ローベルの体を使って常闇の王、フェルが何をしたのか知っておきたかった。

「ジュリア、シリル、無事で何よりだ」

 別室から現れた鎧を纏っていても分かるほど痩せぎすで長身の三十ほどの男に呼ばれたふたりは敬礼する。

 薄茶の髪と同じ色の三白眼が特徴的なこの男は聖騎士団長のクレマン・オビーヌである。

「僕らは無事でも……」

 悔しげにシリルが両の拳を握りしめる。彼の感情はジュリアにもよく分かる。

 護りきれなかったものがあまりにも多すぎた。

「……お互い状況を整理しよう」

 クレマンが感傷には触れずにそう言って、近くの長椅子に三人は腰かける。

「常闇の王はローベルの体を乗っ取り、王太子殿下を殺害した後、常闇達の群を夜会の場に呼び込んだ。その後、この大聖堂を襲撃した。あいにく私が伝令を受け駆けつけたのはすべてが終わった後だった。聖女様はご無事だったがすっかり怯えて部屋からは出てこず、会話できる状態ではない」

 クレマンがぼそぼそとした声で大まかな流れを確認する。

 大聖堂で住まう聖女には戦う術はなくずっと侍女達と部屋に籠っていたというのはすでに聞いている話だった。そしてもうひとり気になる人物がいて、ジュリアはクレマンを見やる。

「……エルネスト殿下はご無事なのですよね」

「無事だ。だがあいかわらず加護の力は使えず身を潜めていたということだ」

 聖刻を持ちながら扱えない第二王子のエルネストは修道士として大聖堂で日々を過ごしている。

「直系のお世継ぎはエルネスト殿下しかおられないとはいえ……」

 シリルが苦い顔をしてその場の空気が重くなる。

 二十歳のエルネストは幼少期より我欲の強い王子だった。同じ聖刻の持ち主であり年の近いジュリア、ローベル、シリルの三人は守役を任されていたが手に終えず、王は仕方なく大聖堂に預けた。十二、三の頃には落ち着いてきたものの、聖刻の力は依然として使えない。

(カトリーヌが懐妊している……)

 まだ公表されていないが亡き王太子の子をカトリーヌが宿しているのは、昨夜の様子から察せた。

「……国王陛下がお決めになることね。大聖堂に常闇の王が来たのは間違いないのですね」

「無事だった修道士によるとローベルが名乗り非常事態だと扉を叩いて、誰かが開けた途端に灯がすべて消えてしまい声を聞いたが姿は見えなかった。その後は皆、逃げるのに必死で何が起きたかはっきり分かる者はいない」

 その後ローベルの姿を見た者はおらず行方知れず状態である。

「しかし、返り血を浴びた格好でうろついていたら目立つでしょう。ローベルの顔は市街で知らない者はいないのに、一体どこへ……」

 シリルの疑問に、ジュリアも胸に引っかかっていることを口にする。

「どうやって常闇の群れが夜会の会場まで入り込んできたのかも分からないわ。城の城門から夜会の会場までも五つの扉があったのに全部突破されていた。内側に常闇の王が入り込んでいたとはいえ、城門だけでも開いていないと入り込めなかったのではないかしら」

 夜会の会場に常闇の群が押し寄せて来たのは会場の扉が開かれてからだ。その前に城門も他の扉も開いてしまったと考えているのだが。

「……大聖堂の扉を開けたのが誰なのかは分かっていない」

 クレマンがそう付け足したところで三人揃って沈黙する。

 常闇の王というものの実態はよく分からない。ただその行動はひとつひとつ振り返ってみれば違和感が残る。

「協力者がいる」

 声を潜めてジュリアはつぶやく。

「王太子殿下と話す前に、先に国王陛下へご挨拶したんだ。僕はそのまま陛下と少し話していて、王太子殿下に声をかけられてローベルが先に対応した……」

 それまであまり積極的に人と話そうとはしなかったローベルがさりげなくシリルと距離を取り、隠しもっていた短刀で正面から喉を割いたということだった。

「初めから王太子殿下を狙っていたということか。かつて陛下が聖騎士であったことを考えれば、引っかかりがあるな」

 クレマンの言うように国王はかつて聖刻があったが王太子が産まれる頃には消えている。ちょうど常闇の活動が静かな頃でクレマン以外の当時の聖騎士も役目を終えていた。

「……まずはローベル、いや、常闇の王か。その捜索が最優先だ。昼間も動けるのは厄介だが、どこまでのことができるかも不明だな。シリル、目覚めてからの昼の様子はどうだった?」

「うたた寝をしていることが多くて動きも鈍かったのですが、昼間だからなのか目覚めたばかりだったからかは不明です」

「とはいえ昼間に捕らえるのが最善か。シリル、ジュリア、君達は詰所で眠るように。私も捜索指示と陛下への報告がすんだら一度休む。それと、ジュリアは医務官から治療を受けてから寝なさい」

 クレマンの指示に従い、ジュリアはシリルと共に大聖堂を出ることにした。

「眠れるかしら……」

 体は重たいのに頭の中は思考や感情が暴れていて眠気のないジュリアはぽつりと零す。

「僕も眠れそうにないけれど、また夜が来るまでに休んでおかないと……本当に体は大丈夫?」

「打ち身だけだと思うわ。言われた通り、医務官に診てもらうから心配しないで」

 力なく微笑んでみせてジュリアは言葉を止める。

 それからふたりともローベルのことは一切口にしなかった。言葉にできるほど感情の整理がついておらず、王宮と大聖堂の裏手にある騎士団の詰所につくまでひたすら無言で歩き続けたのだった。

 

***

 

 ジュリアは騎士団の詰所にある私室の寝台の上で横になる。疲労感に体が動かなくとも意識はまだはっきりしていて痣だらけの全身が痛む。

 しかし一番疼くのは二年前に常闇の王の爪に抉られた背中の傷痕で、仰向けでは寝られそうになかった。

——俺さ、まだ夜が怖いんだ。

 ふっとそんなローベルの言葉が脳裏に浮かぶ。任務の終わった夜明け頃、この寝台の上で睦み合って熱の冷めやらない素肌を触れ合わせ、余韻にぼんやり浸っているときだった。

 誰だって夜は怖いものだと彼の頬に触れたのを覚えている。

——なんだろうな。真っ暗で何も見えなくて朝なんてこないんじゃないかって、子供の頃から夜になると暗闇の中に閉じ込められてるみたいだった。今でも夜警をしてるとひとりで夜に取り残されるかもしれないって怖くなる。

――月神のご加護があっても?

――月は遠い。遠すぎる。だからかな。月の下にいるとよけいに置き去りにされてる気がする。

 それは少し分かる気がした。月神は直接人を守ってくれるわけではない。人は自らの手で戦わねばならない。

――朝は必ず来るし、私はあなたが帰って来られるように迎えに行くわ。

 そんな約束もしていたのに自分は眠り続けるローベルに何もできず、待ち続けることすらできなかった。

――手に届く所にいるジュリアの方が頼りがいがあるな。

 そう笑って自分を抱きしめるローベルが愛おしかった。

 結婚は家同士が決めたとはいえお互い異存はなかった。ずっと自分はローベルに惹かれていたし、彼も同じ気持ちだと縁談が親から伝えられる前に打ち明けてくれた。

 あのままずっとローベルと同じ夜を越えていけるとなにひとつ疑っていなかった。

「……っ」

 涙が零れて嗚咽を押し殺す。

 あんなにも夜を恐れていたローベルは眠りの中で、どんな思いを抱いていたのだろう。本当に彼の魂は食い尽くされてしまったのかと疑う一方で、自らの体で暴虐をさせられていたなど知らずにいてほしいと願う。

 ローベルが恐れを押し殺して護り抜いてきたものはたった一夜の内に穢されてしまった。

 悲鳴染みた嗚咽が喉からほとばしりそうになって、ジュリアは枕を口に押し当てる。

 今の自分の感情が怒りなのか悲しみなのかすらわからない。

 取り戻さないと。ローベルの体をどうあっても解放しないといけない。

 後は疲れ果てて眠る瞬間までその思考だけがぐるぐると周り続けた。

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