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月を穿つ  作者: 天海りく
3/12

第1幕-2

***


 月が姿を消す朔日は王宮で夜会が催される。アーチ状の天井からつり下げられたシャンデリアには無数の蝋燭に火が灯され、壁面の等間隔に配置された燭台置きにも漏れなく火が点いている。

 まばらに配置された丸テーブルの上には銀の食器と水晶の置物、銀細工の装飾品と灯を反射させ暗闇に閉ざされた夜へ光を振りまく。

 それでも闇は深く誰も彼もが怯えを享楽に包み込んでひたすら朝を待つ。

 ジュリアは聖騎士を示す銀の房飾りの肩章がついた純白の団服を纏い、華やかに着飾った人々の一角を見つめていた。

 二年前となにひとつ変わらぬ姿でローベルはシリルに付き添われて戸惑い混じりの笑みを浮かべている。ただ違うのはいつも真っ先に自分を探し出してくれていた彼は、今は目の前の人物しか見ていない。

 十日あまり前に目覚めたローベルはあいかわらず記憶がないらしい。日常生活は問題なくとも家族や友人、聖騎士であったことどころか常闇の存在すら覚えていなかったというのだ。

 あらゆる思い出を失ったローベルの記憶を取り戻すきっかけになればと、夜会で顔見知りと話すことにしたらしい。

(もうすぐ、私の番)

 ローベルの姿を見るのは一年ぶりで、笑顔を見たのはあの夜の出動前。

 ゆっくりと近づいて来るローベルの姿に、ジュリアは表情を硬くする。

 家族のことすら彼は覚えていなかったのだ。ましてや自分のことは分かるはずもないとわかっているからこそ、どんな表情でどんな言葉をかければいいのか思いつかない。

「ローベル、同じ聖騎士だったジュリアだよ」

 やがてシリルがこちらの表情をうかがいながらやってきて、その一歩後ろにローベルがいた。

「久しぶりね。目が覚めてよかったわ」

 ぎこちない笑顔でジュリアがそう言うと、ローベルは考えるように目を伏せてから苦笑する。

「すまない。覚えてないんだ」

 ジュリアはとっさに返事ができずに小さく頭を振る。

「……知っているわ。だけれど、もう一度あなたに会えて嬉しい。名前と顔だけでも、もう一度覚えておいて」

 嬉しいのだろうかと自分自身の言葉に疑問を感じる。

 無事でいてほしいと祈り続けたというのに、目の前にいるローベルには懐かしさや親しみがわいてこなかった。まるで自分まで彼との思い出を失ってしまったかのように心が動かない。

「ジュリア、よく覚えておくよ」

 ローベルがそう言い残してがっかりした顔のシリルと共に他の者へ挨拶に移る。ジュリアは彼を目で追うのをやめて王宮の中央部分であるこの場所の唯一の出入り口である鉄の扉へと視線を向ける。そこには聖騎士団の白い団服を着た門兵がいる。

 常闇は自ら扉を開けることはできず人に開けさせる。

 常闇達は群れで行動し家々を取り囲み不快な微かな音を立て不穏な空気を送り込み、人々は恐怖と不快感に惑わされて自ら家から飛び出そうと扉を開けてしまう。一つの悲鳴が連鎖し次々と周囲の住人も同じように常闇を招いてしまう。

 月のある夜ならば常闇達は諦めが早いが、朔日はそういかない。どれだけ多くの扉を経た先でも執拗に攻撃してくる。

 それでも巨大な王宮の中央まで魔手が伸びたことはない。

(見廻り、団長と変わってもらった方がよかったかしら)

 賑やかな場が苦手で狩好きな聖騎士団長は聖女の進言で市街の一角に出ている。

 家族は屋敷が聖女の示す区域から遠いので夜会に出席しておらず、知り合いと話す気にもなれないジュリアは思考を任務に集中させようと扉へと足を向ける。

「ジュリア」

 しかし馴染んだ女性の声に呼び止められて、ジュリアは形式的に敬礼する。

「それ、やめて欲しいですわ」

 くすくすと笑い声をもらすのは、淡い金髪を既婚者らしく降ろし白波のようなドレスで身を包んだローベルの妹であるカトリーヌだ。

「だって妃殿下ですもの。団服を着ている以上は必要なのよ」

 カトリーヌは半年前に王太子へ嫁いだ。ローベルのこともあって結婚は先送りになっていたが無事に結婚できてほっとしている。

「ジュリアは変な所、真面目ね。……兄様はまだなにも思い出してくれませんわね」

「まだ起きたばかりだもの。きっと思い出してくれるわ」

「ええ。だけれど、ああやってシリルに引っ張られているのを見ていると、子供の頃を思い出しますわ」

 ジュリアの後方にいるローベルとシリルの姿を見ながらカトリーヌが目を細める。

「言われてみればそうね。昔はシリルがいつも前にいたわ」

 シリルは控えめな性格だが臆病ではない。好奇心の赴くままに藪の中や暗がりも恐れず突き進むシリルの後を、ローベルが心配してついて行くのはよくある光景だった。

「結局、シリルが猫に引っかかれてから兄様が前に立って危ないところへ行かせないようになりましたわね。兄様は本当は弟が欲しかったのですわ。いつも、シリルのことばかりかまって」

「その代わり私がいたでしょう。ふたりが葉っぱや泥をつけて帰ってくるのを待っていたのが懐かしいわ」

「また、あの頃みたいに四人で一緒に笑えればよいのですけれど……このままシリルと結婚しますの?」

 ローベルが目覚めてシリルとの婚約をどうするかはまだ両家で話し合えていない。シリルの方は結婚する前でよかったと破談にするつもりであるようだが、自分がどうしたいかはまだ分からない。

「何も、決まっていないの。まだローベルもあの状態だもの」

「そうですわよね。ごめんなさい、せっかく兄様がご無事だったのに眠っている時とあまりかわらないようでなんだかもどかしくて……」

 話している途中でカトリーヌの表情が不意に凍り付く。

「どうしたの?」

 その視線の先を追ってジュリアが振り返る瞬間と、カトリーヌの悲鳴が上がるのは同時だった。

 場内の奥で何かが吹き上がっていた。

 灯の下でぬらりとしたその何かは血で、青年が仰向けに倒れるのが見える。

 そして、青年の正面にはローベルが頭から血を被って佇んでいた。

「王太子殿下!」

 周囲から上がる声にジュリアは青年が王太子である事にやっと気付いたが、ローベルと視線がかち合ってぞわりと背中の傷痕が疼いた。

「いや、どうして、殿下……」

 膝から崩れ落ちたカトリーヌの引きつった声にジュリアははっと我に返る。

「待て! 扉を開けるな!!」

 混乱にごったがえす場内で、扉が開かれようとする音に気付いて声を張り上げるが遅かった。

 生ぬるい風と同時に灯という灯が消えて闇に呑まれる。

「ご加護を」

 ジュリアの刻印から細い光の糸が絡まり合いながら流れ出し巨大な角のような槍を編み上げる。そしてその周囲だけ淡い光が取り巻く。

「総員剣を抜け!」 

 シリルの声が奥からかかって騎士団の者達が剣を抜きぽつぽつと光が生まれるが、朔日とあって弱い。

 場内はあちこちから悲鳴が上がりテーブルの上の物が落ちて不協和音を奏で、常闇達があちこちを這いずっている気配がする。

「総員その場から動かず護りを固めよ! 武器を持たぬ者は光の下へ!」

 ジュリアは指示を飛ばしながら、動けないカトリーヌの側まで寄る。

(シリルは陛下方の側にいるわね)

 目を凝らせば聖弓をかまえるシリルの背後に国王夫妻の姿が見える。しかし明かりが乏しく状況は把握しきれない。

 動けぬまま誰かが常闇に襲われ悲鳴が上がるのを聞くしかなく、ジュリアは歯噛みする。

(ローベルはどこ)

 視線を巡らせても聖別された剣の近くにローベルの姿は見えない。

「ジュリア、殿下は兄様が……?」

 夫を殺され声を震わせるカトリーヌにジュリアは首を横に振る。

「あれは……ローベルじゃない」

 血にまみれて自分を見たあの目はローベルではなかった。だが記憶にはある。

(しまった)

 ふっと近くに気配を感じて身構えるが遅かった。斜め後ろの闇の中から伸びて来た手に首を掴まれたジュリアの踵が浮く。

 無理矢理爪先立ちにさせられて息苦しさに喘ぐジュリアの視界の端にローベルの顔がある。

「ああ、これじゃあ顔がよく見えないな」

 ジュリアは一瞬だけ解放されるものの体勢を整える間もなく今度は正面から首を掴まれる。真正面で楽しげに見つめてくる瞳は黄金色に輝いている。

「常闇の王……」

 なぜこんなことが起こっているのか。

 理屈はなにひとつわからずとも、目の前にいるのが二年前にローベルによって倒された常闇の王であると本能は否応なく認めている。

「ああ。俺も覚えていたよ、ジュリア。俺の右目を潰してくれた小娘!」

 首を締め付ける力が強まり爪先は床から離れる。

「兄様やめて!」

 取り縋るカトリーヌを冷ややかに見下ろして常闇の王が笑う。

「お前の兄はとっくに食い尽くした。最後まで誰かこの体を焼いてくれと懇願していたよ。……ふたり分だな」

 そうして常闇の王が捕食者の目になるとカトリーヌが腹を庇いながら後退る。

「さあ、小娘。悔しいだろう。お前にできることなんてなんにもない。その両目をくり抜いてやりたいところだが、それじゃあなんにも見えないからつまらんか」

 ぎりぎりと首を締め上げられながらも、ジュリアは常闇の王をねめつける。

 許せない。ローベルの命を奪っただけでなく聖騎士としての誇りまで踏みにじったのだ。

 為す術のない自分の非力さにさえ怒りを覚える。

 槍を持つ手を動かそうとしてもどうにもならず、朔日では御業すら使えない。

「もうひとりいたな」

 常闇の王が舌打ちしてジュリアの体を床に投げ捨てる。

 シリルの放った銀の光の矢が闇を引き裂き床にあたって鱗粉のように散った。

 ジュリアは痛みを堪えながらすぐさま起き上がり聖槍の先を常闇の王の背に向けて構える。

 続けざまに矢が放たれ常闇の王がそれに意識を向けている内に踏み込む。

 しかし、左肩を狙った穂先が鈍重な音を立てていつの間にか出現した漆黒の大剣に受け止められる。

「聖刻が、どうして……」

 常闇の王がこちらに向き直り、宙に浮いた大剣の柄へ右手を翳す。そこには以前と変わらず聖刻が刻まれていた。

「なにもかも喰わせてもらったからな。あっちは他にくれてやる」

 闇が蠢いてシリルへ向けて動き出し、彼は聖弓の姿を長弓から短弓へと変える。

 援護を失ったジュリアは常闇の王から距離を取りつつ、カトリーヌの姿を確認する。

 せめて彼女だけでも護り通さねば。

「なんだ、こないのか? まあ、いい。使い心地を試してみるか」

 柄を握り込んだ常闇の王が緩慢に近づいて来る。

 荒い動作で振り下ろされた大剣を聖槍で薙ぎ払う。

 腕が痺れるほどの衝撃に眉根を寄せながら、ジュリアはそのまま突きを繰り出すがたやすく避けられる。

(無茶苦茶な動きだけれど、早い)

 常闇の王はまだ慣れないのか大剣を気の向くままに振り回しているが、こちらの動きを読んですぐさま防御と攻撃を切り替えている。

「面白いな、これ」

 新しい玩具を手にした子供のような顔をしながら、常闇の王が横薙ぎに大剣を振るう。

 ジュリアは後退して攻撃の合間を狙い、突きを仕掛けるがやはり常闇の王に素早く跳ね返されてしまう。

(埒が空かない)

 このまま攻撃の応酬を続けられるほど自分の体力は保たない。

(ローベル……)

 十字を切るように聖槍を振るい常闇の王に斬り込んで行きながら、ジュリアは恋人を想う。

 剣の扱いも、表情もまるで違うというのに姿形だけはローベルであることに悲しさと悔しさがわき上がる。

 取り戻したいのに穂先は届かない。

「っ……!」

 大剣が頭上から振り下ろされ聖槍ではじき返そうとしたものの力負けして体勢が崩れる。

 ジュリアはそのまま床に転がり叩き潰されることだけは避けたが腹を踏まれる。

 力はそれほど強くないとはいえ起き上がることはできない。それでも恐れなど微塵もみせるものかと、ジュリアは見下ろしてくる常闇の王をきつく睨みつける。

「いい顔だ。……安心しろ、まだ生かしておいてやる。さあ、夜明けまでに次の餌場にいくとするぞ。ここが気にいった奴は好きなだけ喰っていけ」

 常闇の王が離れていく。ジュリアは半身を起こし聖槍を支えに立ち上がるまではできても、まだ常闇達がいる以上追いかけるわけにはいかなかった。

「ああ、そうだ。俺の名前を教えといてやる。フェルだ、次に会うまでにしっかりと覚えておけよ、ジュリア」

 そう言い残し常闇の王、フェルは常闇達の一部を引き連れて去って行く。

 辺りにはまだ常闇達がわだかまり人々は動くこともできず、ただ夜明けの鐘が鳴るのを祈りながら待ち続けるのだった。

 


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