第3幕ー3
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すべての司祭が王宮へと入り扉が閉まるのを見送って、シリルは何も起こらなかったことに一度は安堵する。
だが胸のざわつきはおさまらず大聖堂の方角へ視線が行く。
尖塔は満月へと向かいまっすぐ伸び揺るがずそこにあるというのに、言いしれぬ不安が迫り来る感覚があった。
「……僕は見張り塔で待機する。君達は周囲の警邏を引き続き頼む」
大聖堂へと向かいたい気持ちを抑えてシリルは詰所へと進み始める。昼間とうってかわって夜気は心地よく、静寂と暗がりはいつもなら気持ちをなだらかにしてくれる。
夜は好きだ。常闇さえいなければ穏やかで安らぎに満ちた時間を過ごせるのにと、何度思ったことだろうか。
満月の日でさえ常闇は闇の中でわだかまっている。今も王宮の塀の影でかさかさと枯れ葉がすれるような音を立てているのをみつけ、シリルは聖弓を出現させて射貫く。
常闇達はいったいどこからわき上がってくるのか、この五百年の間に減っているのか増えているのかすら分からないまま聖騎士はこうして打ち倒し続けなければならない。
(月は答をくれない)
静かに夜空に佇んでいるだけの満月を見上げてシリルはため息をつく。
聖刻を持つローベルさえ常闇の王に奪われた。月神はこの状況をどう思っているのだろう。
とりとめない思考に浸りながら歩いていたシリルはかさりとまた常闇の動く音を捕らえて足を止める。
王宮から詰所までは石畳が敷かれており、その周囲は短い芝草で覆われ昼間は見通しがいい。だが今は奥の方は夜に呑まれて何も見えない。
次第に音は幾重にも重なり合って何かが這い回る音へと変わって行く。
シリルは聖弓を構え音のする方からゆっくりと距離を置く。
夜の奥から何かが近づいて来る。人ほどの大きさかと目を凝らしていたシリルは、近づいて来るものが人間だと気づき目を見張る。
「……エルネスト殿下?」
矢を向けていい相手ではないがエルネストの背後に蠢くものの気配に、弓を下ろすわけにもいかない。
「この私が足止め役とはな。いいように使ってくれる」
不機嫌そうなエルネストの足止めという言葉にシリルは息を呑む。
「大聖堂で何かが起こっているのですか」
ジュリアとクレマンが地下へ潜入するには早過ぎる。そもそも大聖堂内にいるべきエルネストがこんな所に現れることが異常事態だ。
「さて、何か起こる前には出たからな。あそこはもう、フェルが好きにしているだろう」
「常闇の王を匿っていたのですね。なぜそんなことを」
もはやフェルトの繋がりを隠し立てする気もなさそうなエルネストは何も答えなかった。その代わり彼の背後から大きな影が出現する。
巨大な蛇に見えたが、注視すれば何体もの常闇が折り重なりその巨体の表面が鱗のように見えるのだ。
「先に言うがこれは私が操っているわけではない。どう動くかはわからん。まったく、醜悪なものだな」
エルネストは巨大な常闇の集合体を振り返り眉を顰める。
常闇達はエルネストの周りを探るように這いずりながらじわりとシリルの方へ寄っていく。
「それでもご自分は喰われないと?」
シリルはエルネストの足下を舐める常闇達を射貫いて、彼を見据える。
「それもわからん。喰わせるつもりはないがな」
エルネストが聖刻のある右手で何かを掴むような動作をすると、赤みを帯びた光がその手から伸びそれは黒い棒状のものになる。
そうして棒の先端には槍の穂先、そのすぐ脇に斧頭がある聖斧の姿を現わす。
エルネストが聖斧を一振りすると、彼に群がっていた常闇達がさっと離れ行く。
「……聖刻の力を使えたのですか」
何度も訓練しても聖刻の力を扱えないことにエルネストが苛立ち、果てには訓練そのものを嫌がるようになった記憶は鮮明だ。
「結局、お前達は聖刻の本質を理解していなかっただけだ。……鬱陶しいな」
エルネストが諦めずににじり寄ってくる常闇達を聖斧で薙ぎ払いながら、シリルへと近づいていく。それと一緒に常闇達もシリルを狙い始める。
(常闇達は倒すとして、エルネスト殿下は困るな)
矢で射ればあっけなく霧散していく常闇達は数が多いだけで、満月の下では弱い。
問題はエルネストがこのまま攻撃を仕掛けてくるかだ。
シリルは常闇達を退けつつエルネストの間合いに入らないように距離を取る。
(ジュリア、団長……)
早く片付けてふたりの元に駆けつけたいというのに、エルネストの狙い通りに動けずいることに焦りがつのる。
「力の使い方を教えられたのは聖女様ですね」
もはやジャンヌとエルネストが共謀しているのは明白だが、確実な答を聞きたかった
「他にいるまい」
まるで調子を変えずエルネストが踏み込んでくる。
シリルは聖斧の先が迫り来る前に後方へ飛び、短弓でもってエルネストの足下を狙う。
咄嗟のことで矢の狙いは定まりきらず、そのままエルネストがさらに踏み込んできて斧の刃が頬を掠める。
ただ頬をうっすら切っただけとは思えない焼けるような痛みがあった。
加護の力は人間相手でも有効のようだと思考を回しつつ、シリルは動きを止めず続け様に矢を放ちながらエルネストから距離を取る。
連射された矢は精度がないながらも、一本がエルネストの右の上腕を掠った。
「常闇の王に利用されているのですか、しているのですか?」
シリルは弓を構えたまま、動きを止めたエルネストに問う。
「どちらとも好きに取ればいい。なに、いつもローベルの影で指をくわえて見ているしかできなかったお前にとってもいい機会だろう。邪魔者が消えて欲しいものが手に入る」
常闇の群れが懲りずに動いてまた襲いかかってくるのを払いのけながら、エルネストが淡々と告げる。
「……ローベルは、僕にとっても大事な従兄です」
シリルはエルネストから逃れて自分へ向かってくる常闇達を射貫く。
「大事な?」
エルネストが嘲笑を浮かべる。
「一度も傲慢だと思わなかったか? 自分以外は弱い者で、手を差し伸べねばならないと自覚もなく善人の顔をしているあの男を。お前の卑屈さにつけ込んで、ジュリアを手に入れたことを祝福させたのだろう」
ざわりと胸の奥がさざめく。
「ジュリアは誰のものでもなかった」
そう、だからローベルを選んだのはジュリア自身。
でもローベルは自分のジュリアに対する気持ちを知っていた。
(そうだね、ずるいとは思ったよ。君はジュリアが断れないことも、断らないことも知ってた)
わき上がってくる思考にシリルは凍り付く。
そこへまたエルネストが間合いを詰めて来る。
反応が遅れたシリルは聖弓を長弓に変え、弓の背で振り下ろされた聖斧を受け止める。
両腕が痺れるほどの衝撃に体勢を崩しそうになるが、そのまま踏みとどまる。
「誰のものでもないならお前が手に入れてもよかった」
ふたりの間に常闇の群れが雪崩れ込んでくる。
がさがさと不快な音は外側でしているのか、自分の内側から響いているのか。
吐き気を覚えるほどの目眩のような感覚に、シリルは目を閉じかけるが常闇の群れの隙間から聖斧を構えたエルネストの姿が見えて持ち堪える。
(……本当は使いたくないけれど)
シリルは聖刻に意識を向ける。
一夜に一度しか使えない御業は温存しておきたかったが、この状況から抜けるには仕方ない。
聖弓が月光を帯びて淡く輝く。
そうして中空に放たれた一本の矢は無数の光の雨となって常闇達を打ち付ける。
常闇達の霧が晴れた先で、エルネストが中空に聖斧を向けていた。
御業だ。
そう気付いたと同時にシリルの視界は眩い光に白く染め上げられたのだった。




