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月を穿つ  作者: 天海りく
12/12

第3幕―4

***


 聖櫃の中から身廊へと常闇達に押し出されたクレマンは、再び扉を開こうとするものの身廊からあがる悲鳴に舌打ちする。

 どうやら自分と一緒に聖櫃の常闇達も一気に出てきたらしい。

 辺りは蝋燭の火が吹き消されすでに闇の帳に覆われている。

 クレマンはかぎ爪のように湾曲した聖剣を構え身廊に向かうと、暗がりの中で淡い光の輪が見えてくる。団員達が修道士を一箇所に集めて周囲を囲っているのだ。

 聖騎士達が聖別した剣はひとつも欠けることなく光を帯びている。

(ジュリアはまだ問題ない)

 クレマンは光の輪へ群がっていく常闇を聖剣で薙ぎ払いながら進む。

「団長! この常闇達はいったいどこから。ジュリア様は?」

 団員がひとりでやってくるクレマンに不安げな顔を見せる。

「別の任務を命じた。お前達は目の前の常闇を払うことに集中しろ。今日は満月だ。過剰に恐れることはない」

 実際常闇達は吹けば飛ぶような弱さではあるが、大聖堂という最も月神の加護のあるべき場所にこれだけ大量に発生するのは異常だ。とはいえ動揺して隙を見せるのは命取りになる。

 蠅のように光の輪の周辺をぐるぐる回っていた常闇達が不意に一箇所に固まり始める。そして身廊の高い天井に頭がつきそうなほど巨大な狼に似た姿をとって、人々を睥睨する。

 よく目を凝らせば胴の半分までは獣らしい姿であっても、あとは上手く形を作れていない。

「所詮、寄せ集めの紛い物だ」

 巨体に怯む団員へクレマンは静かに告げて狼の顎門の下へ位置取る。

 常闇を前にすると、異様な飢えを感じる。早くあれを狩り尽くさねばならないという衝動に、聖騎士としての使命感は後付けの理屈でしかなくなる。

 聖騎士というのはそういうものだと幼い頃は思っていたが、他の聖騎士達の話を聞けばどうやら自分だけのようだ。

 歴代の聖騎士でも二十代半ば頃には役目を終えるのがほとんどだというのに、自分が齢三十をそろそろ越える頃になっても聖刻が消えずにいるのはそのせいなのか。

 狼が大口を開けて真上から襲いかかってくる。

 聖剣を一閃すれば容易く散っていく。

 だが暗闇から湧き出るように常闇達は寄ってくる。

 数が増えるほどにクレマンの飢餓感は切迫していく。

 あれらを全部食らい付くしたい。

「も、もうおしまいだ!」

 修道士のひとりがあげた悲鳴を口火に、一斉に不安と恐れの声が広がっていく。

 団員達はまだ持ち堪えているものの動揺を嗅ぎ取った常闇達は光の輪の方へ雨垂れのように天井から滴り落ちてくる。

(一度、一掃しなければならんか)

 クレマンは理性と本能に揺さぶられながら、御業を使うために聖刻へ意識を向ける。

 聖剣が光を湛え、いくつもの三日月に似た光の刃が四方八方へとはじけ飛んで常闇達を狩り尽くしていくのだった。


***


「エルネスト殿下と聖女様はどこにいるの?」 

 ジュリアは修道士の服を着たフェルに掴まれた腕を振り解き、彼へ聖槍の先を突きつける。

 あれほどこの男を捜し求めていたというのに、思考だけが冷静に回って自分の感情が掴めない。

「ここにはいない。邪魔な聖騎士も外に出した。だからふたりきりだ」

 まるで動じる様子もなくフェルが笑って、心臓を握りつぶされたように息苦しくなる。

 記憶の中にあるローベルの屈託のない笑顔の記憶が、フェルの歪んだ笑みに塗りつぶされていく。

 このままでは愛していたすべてが憎しみに上塗りされてしまう。

「……返しなさい。その体はお前のものじゃないっ!」

 一気に踏み込む。

 だが現れた大剣に容易く受け止められる。

「返すあてもないだろ。こんなにいいからだ、むざむざ土に埋めて腐らせるだけなんてもったいないから俺が使ってやるのさ」

 フェルの方から斬り込んでくる。

 前とは違って踏み込み方も刀身への力の乗せ方も上手く噛合っていて、俊敏な斬撃が襲ってくる。

 聖槍の側面で弾き返しながらも、ジュリアは徐々に壁際へと追いやられていく。

「お前なんかに、使われるよりずっとその方がいいわ!」

 剣を受ける瞬間、聖槍から少し力を抜いてフェルの体勢を崩させる。

 そして下から切り上げるようにしながら手首を鉾先で狙う。

 しかしすぐに真横から幅広い刀身が打ち付けられて、ジュリアは避けながらフェルと距離を取る。

「なるほど、じゃあ、俺ごとこの首を刎ねてみるか」

 再びフェルが間合いに入り込んで来て、ジュリアは突きを繰り出す。

「……っ!?」

 突然フェルが動きを止め、鉾先がうっすらと彼の首を切り裂いた。

 脳裏に二年前の惨劇があまりにも鮮明に蘇ってジュリアは硬直する。

「どうした、俺の首を取るんだろう?」

 いたぶるようにフェルが笑ってジュリアの刻印のある右手首をきつく握り、手から聖槍が零れ落ちるとそのまま消える。

 再び聖槍を出現させようとも骨が折れそうなほどの力をかけられ、痛みのせいで集中しきれずに叶わない。

 近くの壁へと押しつけられ、鎧と石のぶつかる音と痛みが響く。

 聖槍の灯を失い真っ暗闇の中でフェルの黄金の瞳だけが不気味に輝いていた。

「お前の目的は何?」 

 ジュリアは痛みに顔を歪めながらも目を逸らさずに問う。

「それはまだ教えてやらない。……ああ、これは俺のつけた痕か」

 不意に壁と背の間にフェルが手を差し込んできて、傷痕のある場所に触れる。

 鎧越しだというのに手首の痛みを上回るほどの焼け付く痛みと不快感が同時にやってくる。

「うっかり殺すところだったな。……ジュリア」

 柔らかく愛おしげに自分の名を呼ぶ声は、記憶にあるローベルのものとまったく同じだった。

「やめて……」

 弱々しく上擦った声でそう言いながら、ジュリアはフェルの手から逃れようと身を捩る。

 自分の記憶に入り込まれているのだと、直感で悟る。

「この体の記憶も覗いておくんだったな。人間の記憶なんざどうでもいいから放っておいたら全部消えちまったが、面白そうなものが見れそうだったな」

 背中に触れていたフェルの手が離れてジュリアの頬に触れる。

 人差し指で眦を撫でるのは、ローベルの癖。

 言いようのない感情に涙が一筋零れる。

 ローベルのすべてが奪われていく。

 許せない。そんなことは絶対に許さない。

 胸の奥で燻っていた怒りが一気に吹き上がる。

 無意識のうちに聖槍が手にあってジュリアは感情のままに御業を発動する。

 満月の夜だ。体ごと跳べる。

 一瞬のうちにジュリアの姿はフェルの目の前から消え去り、その頭上に現れた刻印から姿を現わす。

 真上から勢いをつけて聖槍をフェルへ突き立てんとする。

 だが寸前の所で躱された。

 素早く体勢を取り直しジュリアはさらに突きを仕掛ける。

「今度は、俺の番だな」

 フェルの大剣が赤黒い光を帯びる。

(刺し違えてもいい)

 ジュリアは勢いを殺さずそのままフェルへと向かって行く。

 大剣はジュリアの突きを正面から受けると同時に床石を打ち砕いた。

 足下が崩れてジュリアはそのまま床下に落下する。

 強かに体を打ち付けたものの、頭だけはどうにかぶつけずにすんでジュリアはうめきながら体を起こす。

「ああ、生きてるな」

 近くからフェルの声が聞こえてきて聖槍をかまえようとするが、全身が痛んでこれ以上戦うのは難しそうだった。

(このまま、終われない)

 しかしどれだけ心がもがこうとも体はまともに動かない。

「さあ、面白いものが見れるぞ」

 フェルがそう言って、ジュリアは薄明かりへと目を向ける。

 そこには両開きの扉があって、聖刻に似た文様が淡く光っていた。

「あれは、何?」

 月明かりに似た光は赤黒い色へと変わり、どろりと血が流れるように文様が溶けていく。

「ここは霊廟、だろう」

 扉はがたがたと激しく揺れ始めたかと思うと、突然砕け散る。

 扉の奥にはいくつも折り重なった骨が同じく赤黒い光を帯びていた。

「聖女様達と司祭様達……?」

 ここに納められているのは歴代の聖女と司祭のはずだ。だが棺らしきものどころか服の残骸すら見当たらず、裸のまま投げ込まれたようなありさまはとてもそうとは思えなかった。

「あれは聖女だけだ。ただの人間は放り込む意味がない」

 骨達も溶けて真っ黒なもやになる。それは姿をもたない常闇によく似ていた。

 扉の奥から黒いもやが外へと流れ出てくる。

 どん、と激しく部屋全体が揺れて、ジュリアは立っていられずしゃがみ込む。

 そうして黒いもやが無数の漆黒の蝶となって頭上の穴から飛び立つ様を呆然と見上げることしかできなかった。


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