第3幕ー2
中天に満月が光を滲ませる夜、その真下の大聖堂では粛々と儀式が進んでいた。
広々とした身廊には各地より集まった司祭と修道士が蝋燭を持って立ち並び、祭壇の上には聖騎士三人が月神の像の側に立つ。
祭壇中央には飾り気のない樫をくり抜いたような椅子があり、本来ならば先代の大司祭が座っているところだが今回は空である。そうして新たな大司祭となるエルネストが膝をついて空の椅子に向けて頭を垂れていた。
無数の燭台の火が灯っていても闇は濃く、うつむくエルネストの表情までは見てとれない。
いったいこの男は何を考えているのだろうと、ジュリアは記憶をたどる。
ローベルとシリルと共に聖騎士として学び始めてすぐに、エルネストもそこに加わった。
ひとつ年上の彼はとにかくわがままだった。
王太子よりも自分の方が王位に相応しく、他の聖騎士達の忠義は自分だけのためにあるべきと第二王子という立場をもってしても目に余るほど、自分達に従順さを求めていた。訓練の準備はもちろん、座学で必要なものを机に並べることすら自分でしようとせず少しでも窘めようとすると癇癪を起こしたものだった。
指導役であったクレマンにすらその態度で、結局国王は神に仕えて心身を清浄にしろとエルネストを大聖堂に入れたのだ。
あの頃のふて腐れた雰囲気はいまだに変わらない。大司祭という地位を得るだけでエルネストは満足するというのだろうか。
カトリーヌを傷つけた意図すら何も分からないが、どんな理由だろうとけして自分は許せない。
「これをもってこの者を大司祭と承認する」
前任がいない代わりにクレマンがエルネストの前に立ち宣告する。
まったく同意できなくともジュリアはシリルと共に、承認すると復唱した。
そうしてさらに祭壇の奥から扉の軋む音がして、暗闇からのっそりとジャンヌが現れる。燭台に照らされた横顔は退屈そうで小さくあくびまでしていた。
クレマンに短刀を渡されたジャンヌはそのままエルネストの前に立ち、おもむろに一つ結びにされた彼の髪を掴んで持ち上げ刃先を下から当てる。
その時ジャンヌは刃を不意にエルネストの首筋に当てて、近くで見ている聖騎士三人はぎょっとする。ただ刃を当てられているエルネストは無反応で、つまらなげにジャンヌは鼻を鳴らしてざっくりと髪を切った。
「じゃあ、これからよろしくね」
切った髪を無造作に樫の椅子の上に置いてジャンヌがそう言うと、ようやくエルネストが立ち上がって司祭達が膝をつく。
儀礼通りエルネストは無言で司祭達を一度見下ろした後、奥へ下がるジャンヌの後をついて行く。
椅子に腰を下ろすのは明日の日中、国民に向けて就任を知らせる時である。
(あの奥が、地下に続いている……)
祭壇奥には聖櫃と呼ばれる小部屋があり大司祭と聖女のみが入室を許される。ふたりは朝まで月神に夜の平穏を祈り夜明けには太陽神へ恵みの光を乞う。
聖櫃と聖女の居室は隠し通路で繋がっていて、歴代の聖女と大司祭が眠る地下の霊廟への入り口もあるということをジュリアは今まで知らなかった。
大聖堂内部の全体像は国王しか知らず、かといって王もすべてを把握しているわけではない。
司祭達も同じく何も知らないまま、彼等は儀礼にのっとり大聖堂でなく王宮で国王と共に神々へ祈りを捧げる。
修道士達が祈りのために自室へ引き返した後、シリルとクレマンが扉の前に立って司祭達はぞろぞろとついていく。司祭とはいえ夜に屋外へ出る本能的な恐怖は隠し切れず、扉が開かれると一様に不安そうな顔をしていた。ずらりと並んだ団員達の姿を目に留めるとやっと安堵した様子で扉の外に出る。
その際、クレマンがさりげなく聖刻のある右手を司祭達に翳して杭がないか確認する。
ジュリアはひとまず司祭達に何もなさそうなのを確認した後、最後に大聖堂を出る。
王宮と大聖堂は隣り合っているとはいえどちらも広大で背中合わせになっているのでそれなりに距離がある。大聖堂から王宮の敷地が見えてきたところでクレマンが足を止めて、ジュリアもそれに倣う。
「我々はここから周辺の警邏をいたします」
クレマンがそう言うと、司祭達は護衛の聖騎士がひとりになることへ戸惑いながらも、夜空に輝く月と十数人いる騎士団の団員達の姿へすぐに気を取り直したようで足取りが止まることはなかった。
「……司祭様方は大丈夫そうですね」
司祭達がジャンヌに操られていないのは一安心である。
「後はシリルに任せておこう。……こちらは夜明け間近までは動かずにすめばいいが」
大聖堂の地下への潜入はできるだけ騒ぎを大きくせず、朝日の恩寵へと逃げ込める時間帯を見計らってはいる。ジャンヌとエルネストが関わっていることもあって、混乱を避けるためにも団員達にすらこの策は知らせてはいない。
しかしそこまで都合よくことが進むとは思えなかった。
ジュリアはクレマンと共に道を引き返す。ここから真裏にあたる地下の貯蔵庫への入り口の鍵を国王から預かっている。
「団長!」
大聖堂の正門の辺りから巡回の団員が切羽詰まった様子で駆けてくる。
ジュリアはクレマンと顔を見合わせて、表情を硬くする。
「大聖堂内部に常闇が!」
団員によると突然大聖堂の扉が開いて、何事かと見れば修道士が倒れていて常闇が食らい付いていたという。すぐさま聖別された剣で払ったものの、進入路は不明ということだ。
「……私達が中を調査する。団員達の一班から三班は引き続き外側を見廻り、残る者は共に大聖堂内に入り修道士方を身廊に集め、護衛にあたれ」
クレマンが素早く判断を下し、ジュリアは共に急ぎ足で大聖堂へと引き返す。
扉はすでに閉めて団員が見張っている。中にも数名残っており、合図をすると緩やかに扉が開かれる。
満月の日に大聖堂内でどこからともなく常闇が現れたとあって、団員達も動揺し困惑しているようだった。
「……団長」
ジュリアは身廊の長椅子に横たえられた修道士の亡骸に手を翳し、クレマンを呼び寄せる。
「聖女様とエルネスト殿下は?」
銀の杭が消え去るのを見やりながら、クレマンが問う。さすがに聖櫃の扉を開くことは団員達にはできず、未確認ということだった。
「お二方とも、聖刻をお持ちです。心配は、ありませんよね」
団員がひどく怯えながら祭壇の奥へ目を向ける。
「私とジュリアが確認する。お前達は朝までここで待機だ」
そうしてジュリアとクレマンは祭壇の奥まで進む。燭台の灯はまだ残っているが奥の方は闇に呑まれて何も見えない。
ジュリアは聖槍を出し、クレマンも獣のかぎ爪のように湾曲した聖剣を出現させて扉を叩く。
中から応答はない。片側には太陽、もう片側に月が意匠として彫られた両開きの扉をクレマンがそっと開く。
「どこへ行ったの……」
予想通り、中はもぬけの殻だった。人どころか石の床に絨毯一枚すら敷かれず燭台がひとつだけ置かれたその部屋はさほど広そうには見えない。
燭台に火はなく奥の方を聖槍で照らせば細い通路への入り口が見て取れた。
「どうしますか?」
あまりにもあからさますぎる誘いに乗るか否か、ジュリアはクレマンへ指示を仰ぎながらも気持ちは奥へと吸い込まれかけている。
「……身廊の方も気がかりだ。そちらを頼む」
「それなら私が奥へ行きます……!」
フェルがいるとするならこの暗闇の向こうである確信があった。
「ジュリア、決定だ。状況に応じてシリルに応援を呼べ」
クレマンが命じるのにジュリアは首を横に振る。
ここまできて待っているだけなど納得できない。
ジュリアが食い下がろうとした時、ごうっと奥から蠅の群のようなものが吹きつけてくる。
「常闇……!」
夜でない闇に包まれ視界が塞がれる。
背後で扉が開かれる音がする。
「ジュリア!」
クレマンの呼ぶ声が聞こえるが何も見えない。
聖槍に力を込めて常闇を振り払おうとするが数が多すぎて視界が開ける前に、すぐに暗がりへ戻される。
扉のしまる音がかすかに届く。
「団長……?」
不意に後ろから腕を引かれてジュリアは振り向く。
それと同時に常闇の群が引いていく。
「久しぶりだな、ジュリア」
そうして聖槍の灯す微かな光の中に浮かび上がるその姿はフェルだった。




