恋愛アドベンチャーゲームを「何度もやり込む」……え?
エ……ギャルゲをプレイしている者として、どうしても違和感を感じてしまいました……。
乙女ゲームや美少女ゲームの世界に転生する物語を読んでいると、しばしば「前世でこのゲームを何度もやり込んだ」という説明が出てくる。
その一言を唱えた瞬間、主人公は攻略対象の性格からイベントの発生日、選択肢による好感度の変化、さらには脇役の家庭事情まで把握している。
便利である。
あまりにも便利すぎて、もはや前世の記憶というより呼吸する攻略Wikiのように見えることさえある。
しかしアドベンチャーゲームを普段から遊ぶ者としてはこの「何度もやり込んだ」、という表現にどうにも引っかかってしまう。
私はアドベンチャーゲームが好きで所持している作品は100本以上ある。
それなりの本数を遊んできたつもりだが、同じ作品を最初から繰り返すとしてもせいぜい2周程度である。
もちろん複数の攻略対象がいれば各ルートを読み、バッドエンドやトゥルーエンドを回収し、CGやイベントを埋めることはある。
しかしそれは同じ内容を何度も最初から読み返すこととは少し違う。全ルートを一度ずつ攻略すれば、その作品の主要な内容はほぼ体験し終えている。
そこから先は「やり込み」というより、既読スキップボタンがトモダチになってくる。
アクションゲームやシミュレーションゲームなら繰り返し遊ぶ理由は分かりやすい。
操作の腕を上げる、新しい戦術を試す、難易度を変える、異なる勢力や装備を選ぶなど、同じゲームでも毎回違う展開が生まれる。昨日は剣で負けたから今日は弓を使う、前回は内政で失敗したから今回は軍事国家にする、といった試行錯誤がある。
プレイヤーの判断や技量によって内容が変化するため、「何度もやり込んだ」という言葉にも自然な重みがある。少なくとも同じ台詞を10回聞くことが上達条件ではない。
一方、一般的なアドベンチャーゲームでは同じルートを選べば同じ文章が表示され、同じ場面で同じ台詞が語られる。
選択肢による分岐はあっても、一度確認した分岐を何度もたどれば新しい発見は急速に減っていく。
気に入った作品やルートを、小説や映画のように読み返すことはあるだろう。私にも好きな場面をもう一度見たくなる気持ちは分かる。
しかし同じ作品を5周、10周と最初から繰り返し、細かな日付や台詞まで暗記しているとなると、普通の遊び方とは言いにくい。いったい何のために繰り返していたのか。
次の定期試験に「攻略対象が図書館へ来る時刻」が出題される予定でもあったのだろうか。
転生物の主人公は、単に大まかな物語を覚えているだけではないことが多い。
「3日後に図書館で事件が起こる」「春祭りの午後にこの人物が階段から落ちる」「この台詞を選ぶと攻略対象の好感度が上がる」といった具合に、攻略本を丸ごと脳内に持ち込んだような正確さで未来を把握している。
というか、そもそも月日がしっかり描いてあるギャルゲの方が珍しいし、あっても覚えていないプレイヤーが大半ではなからろうか。現実のプレイヤーは作品をクリアしてしばらくすれば、印象的な場面は覚えていても細部は忘れる。推しの告白場面は覚えていても、その数日前に他のヒロインの服装までは覚えていないものである。
まして攻略対象ですらない人物の行動時刻や、画面に一度しか出なかった設定まで覚えているとなれば、プレイヤーというよりシナリオライターかデバッグ担当者の疑いが強くなるだろう。
この違和感をなくす方法はどうすればよいか。
1つ解決策として「何度もやり込んだ」と魔法の言葉で済ませず、主人公が詳しい理由を具体的にすればよいのではないか。
全ルートと全エンディングを回収した、攻略記事を書くために選択肢を検証した、二次創作の資料として台詞や時系列を整理した、設定資料集や公式ファンブックまで読み込んだ、あるいは特定の攻略対象が好きでそのルートだけを何度も読み返した、という事情なら納得しやすい。
デバッグやレビューに関わっていた人物なら、通常のプレイヤーより細部に詳しくても不自然ではない。
仕事で同じ場面を50回確認したのなら、それはもう「好きでやり込んだ」のではなく、立派な労働である。
解決策ではないが、むしろ転生物として面白いのは主人公がゲームの内容を完全には覚えていない場合ではないか、とも思う。
好きだった場面は鮮明に覚えているが興味のなかったルートは曖昧である。
イベントの順番を取り違えて「たしか春だった」と思っていたら去年の春だった。ゲームでは省略されていた日常や、画面の外で動いていた人物については何も知らない。
そうした記憶の穴があれば、ゲーム知識は万能な未来予知ではなく、役に立つこともあれば主人公を盛大に勘違いさせることもある不確かな情報になる。
攻略知識を信じて待ち伏せしたのに誰も来ない。そんな気まずい時間があってもよい。その方が物語には緊張感も説得力も生まれる。
もちろんアドベンチャーゲームを何度も遊ぶ人が存在しないと言いたいわけではない。
心から好きな作品を何度も読み返す人もいるし、すべての選択肢や演出の違いを確かめる人もいる。好きな映画を何度も見るのと同じで、それ自体は何もおかしくない。
ただしその場合には繰り返すだけの理由がある。
「何度もやり込んだ」という一言だけで、主人公に世界のすべてを知る権利を与えてしまうと、ゲームに詳しいというより作者から都合のよい未来予知を支給された人物に見えてしまう。
しかもとある作品では、その能力は肝心な場面まで一度も記憶違いを起こさない。
前世の脳はずいぶん高性能だったらしい。
アドベンチャーゲームは遊び方の中心に物語を読むことがある。だからこそ、そのジャンルを題材にするならアクションゲームやシミュレーションゲームと同じ感覚で「周回」や「やり込み」を語るのではなく、何を、なぜ、どこまで読み込んだのかを描いてほしい。
「何度もやり込んだ」で全部を片づけるのではなく、「推しのルートは5周したが、他のルートはほとんど覚えていない」くらいの偏りがあった方が、むしろ本物のプレイヤーらしい。
たったそれだけで転生前の主人公は記号的なゲーム好きではなく、本当にその作品を遊んでいた一人の人間として見えてくると思う。
何周もプレイするのではなく、まずは積みゲーを消化する……それこそが真のエ……ギャルゲーマーではないでしょうか?




