高校生の「幼馴染」って意外と多くないかな?
―――幼馴染―――
現代を舞台にした恋愛作品を読んでいると、必ずと言っていいほど登場する人物設定である。
主人公とヒロインは幼稚園、あるいは保育園で出会い、小学校、中学校、高校までずっと一緒。そして物語が始まる頃には、「十年以上も隣にいた、かけがえのない存在」として紹介される。幼馴染というだけで転校生や後輩には到底追いつけない、唯一無二の恋愛ポイントとポジションが付与されているのである。
なおこれに匹敵するポジションは『妹』である。異論は認めない。
しかし「十年数年ずっと一緒」という条件は、地方や郊外の公立校ではそれほど希少なものなのか、とも思うのだ。
幼稚園から小学校へ進み、中学校へ上がる。ここまでは同じ顔ぶれが何人も残る。なぜなら学区と呼ばれる強制区域が存在するからだ。
高校では進路が分かれるとはいえ、地元の生徒が多く進学する学校なら、同じ中学出身者はもちろん、幼稚園時代から見覚えのある生徒がいても不思議ではない。
なお筆者は小学生の時に転校してしまったので、誠に……誠に残念ながら同じ幼稚園の子はいないが、小学生時代から高校まで同じ顔ぶれが10人以上はいたものだ。
つまりヒロインや主人公が胸を張って「私(俺)たちは幼稚園からずっと一緒」と告げた瞬間、教室の後方で何人かが顔を上げている可能性がある。
「いや、私もなんだけど」「俺も年少組から知ってるぞ」と内心思いながら、物語上の都合によって静かに背景へ戻されていく。恋愛イベントが発生しない者は十数年分の付き合いがあってもモブはモブ以上には進化しないのだ……幼馴染業界もなかなか世知辛いとは思わんかね小僧。
そもそも現実問題として「幼い頃からずっと一緒にいる幼馴染です」と胸を張って言えるのは、大学生か社会人になってからではなかろうか。
高校生の時点では、幼稚園や小学校から同じ顔ぶれが残っていても、それはまだ学区と進路の結果である可能性が高い。大学進学や就職で生活圏が大きく分かれ、それでも連絡を取り、たびたび会い、関係が続いている。そこまで来れば、ようやく「私たちは本当にずっと一緒だった」と言っても、教室の後ろから異議が飛んでくる心配は少ない。
もっともそこまで待っていたら高校生の恋愛物語は始まらない。
第1話で主人公が、「彼女は幼馴染というより、現時点では同一学区内ゆえに長年一緒にいるだけ」と冷静に分析していたら、読者もヒロインも困る。
だから高校生の幼馴染を特別な存在として成立させるには、単に同じ学校に在籍してきた以上の何かが必要になってくるのである。
それは単なる在籍期間ではなく、家庭や日常生活まで共有時間――それこそが、二人を特別にするのだ。
例えば両家が隣同士で、毎日のように一緒に遊び、互いの家で夕食を食べ、一緒に風呂に入り、家族旅行にも同行していた……そこまで関係が濃ければ、ほかの同級生とは明確に区別できる。
逆に言えば「幼稚園から同じ学校でした」という事実しか提示されていないのに、世界で唯一の幼馴染として扱われると少々大げさに見える。同じ校舎にいただけで十数年間ずっと親密だったとは限らない。
幼稚園で同じ象組でおままごとをしていた相手が、必ずしも高校生になってからも朝食を作りに来てくれるわけではないのである。
この問題を考えるうえで分かりやすい例として『名探偵コ〇ン』の工〇新一と毛〇蘭にご登場して頂きましょう。
二人は治安度最悪と呼ばれる米花町の保育園で出会い、高校生まで同じ学校に通う幼馴染として描かれている。そして新一も蘭も疑いようもなくお互いにとって特別な存在である。では新一や蘭の関係が特別なのは、単に保育園から同じだったからだろうか?
ここで忘れてはいけない人物をもう一人紹介しましょう。鈴〇園子である。
園子もまた、新一や蘭と保育園時代からの付き合いだ。つまり新一の周囲には、幼少期から高校まで同じ時間を過ごしてきた女の子が蘭以外にもいるという訳である。
「保育園から一緒」という資格だけで幼馴染ヒロインになれるなら、園子も十分資格保持者である。ところが園子には幼馴染ヒロイン手当が支給されていない。
つまり新一と蘭が特別なのは在籍年数ではなく、二人の個人的な関係が深いからだ。
新一と蘭は幼少期から互いを強く意識し、成長後も二人で出掛け、互いの家庭とも関わりを持ち、長い時間をかけて恋愛感情を育ててきた。園子も昔から新一を知っているが、園子と新一の関係は「蘭の親友であり、二人を横から見てきた人物」でしかないためだからだ。同じ年月を共有していても、その年月の中身が違う。
この例は幼馴染という言葉の曖昧さをよく示しているのではなかろうか。
同じ地域で育ち、同じ学校に通った人なら複数人いるはずだ。しかしフィクションで「幼馴染」と呼ばれる人物には、たいてい単なる古い知人以上の意味が込められている。家族ぐるみの交流、二人だけの思い出、日常的な往来、互いの弱さや恥ずかしい過去まで知っていること。こうした関係の蓄積があって、初めて物語上の特別枠が成立する。
高校生に男女の幼馴染がいること自体は別におかしくない。むしろ地元で育った者同士なら十分にあり得る。
違和感が生じるのは、同じ地域で育った生徒が大勢いるはずなのに、ヒロイン一人だけが「主人公の過去を知る唯一の存在」として扱われるときだ。主人公の七五三を知っている者も、運動会で転んだ姿を見た者も、泣きわめいている姿を見た者も、同じ教室に何人かいるかもしれない。ただし彼らには残念ながら好感度ゲージがなく、立ち絵がなく、名前すら与えて貰えない可哀そうな存在なのである。
幼馴染の特別さは何年同じ学校にいたかではなく、その年月をどう過ごしたかによって決まる。
「幼稚園からずっと一緒」という一文だけでは恋愛上の優位性を保証するには少し弱い。せめてほかの幼馴染候補が黙って席に座り直せるだけの、具体的な思い出や関係性が欲しいところである。
そうでなければ教室の隅から十数年の出番を待ち続けたモブたちの恨めしい視線が飛んでくるであろう。
――彼らもまた、履歴書上では立派な幼馴染なのだから。




