第63話:お父さんを取り戻したい
川越市、蔵造りの一番街。
軒を連ねる町並みの一端に、川越がひいきにしている鰻屋があった。
店の奥、通りからは見えない個室。
卓上には、湯気をあげる焼きたてのうな重が二つ。
室内に広がる香ばしい焦げたタレの匂いは食欲をそそる。
川越と所沢。
ふたりの大名による、うな重をつまみながらの密会である。
表向きは、帝都さいたま市のダ・サイタマ王の命令で奥武蔵を討伐する。
その裏で、ふたりはこの機に乗じて埼玉国からの離脱と独立の準備を着々と進めていた。
川越は『大江戸』を建国する。
そして所沢は『西武連合国』を樹立する。
所沢は箸を止めた。
目の前でうな重の身をほぐしている川越へ、念押しする。
「確認なのだが、討伐後は奥武蔵を構成していた入間市、飯能市、日高市の三市を、私がこの機に乗じて興す『西武連合国』に加えることで話は付いていると思うが?」
川越は頬張っていたうなぎを飲み込むと、フッと笑みを浮かべた。
「分かっているさ。その代わり、俺が坂戸市、鶴ヶ島市、毛呂山町、越生町を併合する時には、所沢が協力してくれる約束だったな?」
「それで間違いない」
所沢は頷いた。
そして一言付け加える。
「それで……入間、飯能、日高の三市だが、いずれは私の西武連合の同胞となる。だからなるべく戦闘で傷つけたくない」
川越の箸が止まった。
「あっはっは! つまり奥武蔵に出来る限り損害を与えずに、屈服させろということか。困った注文だな。まあ、やれないこともないが」
「助かる。その為に私は策を考えたんだ。聞いてくれないか?」
果たして、所沢の描く策とはどのようなものなのか。
香ばしいうな重の匂いが漂う個室。
ふたりは声を潜めながら語り合うのだった。
今後の具体的な計画を話し終える。
ふたりはうな重を綺麗に平らげると、テーブルの上に地図を広げた。
ふたりの視線の先にあるのは――狭山市。
川越市と所沢市の間には狭山市が位置している。
それぞれの市は奥武蔵を構成する入間市、飯能市、日高市と隣接していた。
現状は川越市、所沢市、そして狭山市の三市ともに、同じ埼玉国に属する傘下の自治体である。
その埼玉国の王・ダ・サイタマから川越と所沢へ奥武蔵討伐の王命が下された以上、本来であれば狭山市も両名に軍事協力をする立場にあるのだが――。
前もって、狭山から川越と所沢へ釘を刺す通達が届いていた。
“狭山市は領内を閉じる”と。
狭山市のマスコットキャラである七夕の妖精『おりぴぃ』が病に倒れたという。
だから刺激を与えたくないので市内は静かにしておいて欲しいという。
七夕の時期はとうに過ぎ、冬が近づいてきた。
マスコットキャラも体調管理には気をつけなければならない。
つまり川越と所沢は、狭山市から進軍することや軍事利用することも禁じられたということだ。
この地理的制約により、奥武蔵を攻略するルートは制限される。
川越は日高市側から、所沢は入間市側から侵攻するより他に道はない。
「その、狭山市だがな」
川越が切り出した。
ふたりの会話は更に先の未来、討伐後の話へと移っていく。
「独立後、俺と所沢の覇道において、狭山市には手を出さないというのはどうだ?」
「それは……今後ずっと制圧せず残すという意味か?」
「そうだ。狭山市は俺たち双方と関わりが深い。お前が『西武連合』を築き、俺が『大江戸』を築く。その勢力圏の中間にある狭山市を、今後どちらかが併合でもしようものなら、もう一方は必ずや警戒心を抱くことになる」
「なるほど。我々の間に、言わば緩衝地帯を設けるというわけか」
「ああ。狭山市はあくまで“狭山市のまま”残す。俺たち二つの国の境界を隔て、将来にわたって勢力の均衡を保つ為のアンカーとしてな」
所沢は無言で頷いた後、しみじみと返答する。
「……分かった。奥武蔵の討伐後、私の西武連合も、川越の大江戸も、狭山市を自国へ取り込もうとすることは禁止。私たち二国間のパワーバランスを保ち、無用な衝突を防ぐ為の中立地帯とする」
「よし!」
川越と所沢。
ふたりは地図の上で、力強く握手を交わす。
それはまだ存在しない、ふたりの国の境界線を定める約束でもあった。
区切りをつけるような静寂を挟んだ後。
所沢は、ふと思い出したように川越に尋ねる。
「ところで、川越。本当に『大江戸』という名前で建国するつもりなのか?」
川越は目を細める。
「何か問題でも?」
「いや、その、言いにくいんだがな。歴史書に載っていることだが、川越だって知っているだろう? 『江戸』という名の元ネタは――今の『東京国』のことだぞ」
その指摘に、川越は一瞬だけ言葉を詰まらせた。
だが、すぐにフンと何食わぬ顔で鼻を鳴らす。
「それがどうした?」
「それがどうしたって……。川越が『江戸』を名乗るのはこの際、考え直してみてはどうだ?」
川越は目を閉じた。
所沢の指摘は的を射ているのだ。
『江戸』という名の源流は、まぎれもなく東京(旧・江戸)を指す。
しかし。
川越は引かなかった。
カッと、自信あり気に目を見開く。
「江戸の名は俺が……俺の国が継ぐ!」
「本気なのか?」
「川越は古くから『小江戸』と呼ばれてきた街だ。江戸という名前に深い縁がある。そこからさらに飛躍して『大江戸』を名乗る理由なら、いくらでもあるのだ」
「それで小江戸から、坂戸市、鶴ヶ島市、毛呂山町、越生町を併合して大江戸になるのか……」
まだ何か言いたげな所沢の顔を見て、今度は川越が尋ねる。
「お前こそ人のことを言えるのか? 所沢だって西武グループ(西武鉄道など)の名を冠して『西武連合国』を作るつもりだろう?
だがな……数年前に、その大本である西武の大黒柱――『西武ホールディングス』の本社は、所沢市を離れたんじゃなかったか?」
所沢の息がピタリと止まった。
みるみる顔が深刻そうに歪んでいく。
川越は構わずに追及する。
「確か、東京国へ本社を移転したはずだが……違うか?」
所沢は、完全に押し黙ってしまった。
そうなのだ。
所沢市にとって“西武”という名はアイデンティティのようなものだった。
が、その主要たる西武ホールディングスの本社移転という痛恨の事実。
当時、所沢市民はその衝撃に動揺した。狼狽した。慟哭した。
時が経っても、それは完全には癒えていない。
「所沢?」
川越は心配そうに所沢の顔を覗き見る。
所沢の瞳には、今にも溢れそうな涙が浮かんでいた。
「どうして、西武ホールディングスは所沢市から東京国へ行ってしまったんだ……」
所沢の悲痛な言葉。
ついに一筋の涙が頬へ伝い落ちる。
川越は思わず目を伏せた。
ほんの所沢をからかうつもりの指摘だった。
なのに、これほどまでに傷つけてしまうとは。
「すまん……俺が無神経だった」
川越は気まずそうに謝った。
所沢は服の袖口で涙を拭い、決心するように言う。
「私はいつか……西武ホールディングスを所沢市に取り戻したい。西武という名の『お父さん』みたいな存在だから」
「お父さん、か」
川越は励ますように笑みを浮かべる。
「西武連合国を作るんだろう? 入間と飯能と日高を束ねて、お前の国を築く。その国が名実ともに大きくなれば、いつか東京国だって、お前たちの存在を無視できなくなる日が来るかもしれない。そうすれば西武ホールディングスは、思い直して所沢市に帰ってくるかもな」
「川越……」
所沢は再び目頭が熱くなり、ぐっとこらえた。
川越は照れを隠すように横を向く。
「せいぜい頑張ることだ。俺は俺で大江戸を作り、覇道を進むがな」
埼玉国の王・ダ・サイタマは、今も信じている。
川越と所沢が、自らの命令を遂行して奥武蔵を討伐してくれるはずだと。
だが、その任務達成の直前にふたりは牙を剥く。
帝都さいたま市へ、反旗を翻すのだ。
それぞれの誇りを掲げ、新たな国家を創り上げる為に。
『西武連合国』と『大江戸』。
彩の国を揺るがす二大新国家の初動が今、静かに動き出す。




